Doors 第17章 〜 フォーカルジストニア奮闘記1
交通事故で右手の指3本を開放骨折をしたことが原因で後々にフォーカルジストニアに悩まされるようになった.主な症状はドラムの連打奏法が満足にできなくなったことだ.
初めて違和感を覚えたのは事故から半年ほど過ぎた時だった.アップテンポな曲をコピーするバンドのスタジオで,突然動かなくなってしまった.
そのスタジオはとても小さかったので,自分の音しか聞こえなかった.だからボリュームを落とすために少し加減しながら叩こうとした.その時だった.連打でリズムがズレた.嫌な感覚だった.ドラムに触れて日が浅い時はよくあったことだが,いつしかそんな感覚は完全に消えていた.蘇る負の感覚.このことが針の上に立つメンタルを谷底に突き落とした.
何度やっても同じところで躓く.それどころか,連打とは関係のないフレーズまでも手が追いつかなくなってしまった.たちまちスティックの握り方・振り方が分からなくなってしまった.特に手首から先において,どこにどれくらいどのように力を入れていたのかが分からない.というか,今までは意識せずとも問題なく動いていたのに.
ドラムを叩くとはどういうことなのか,そんな疑問までも生まれた.どうにかしようと闇雲に試すうちに,手の平の雪が溶けていくかのようにドラムを叩く感覚が消えてなくなってしまった.暗くて狭い部屋に閉じ込められてしまった.扉は開かない.寒い.
普通に考えて疲れが溜まっていただけだとも言えるだろう.事故の影響で感覚がまだ戻りきっていないとも言える.それも含めて,ただただ未熟なんだと言われれば否定はできない.だけども,僕の中の見えない存在がその全てを反証してしまった.
それ以降,できたりできなかったりを繰り返しながら数年かけてフォーカルジストニアは"完成"してしまった.
この時のスタジオの状況は超記憶として記録されているので今でも鮮明に思い出せる.どこのスタジオで誰とどんな曲を演奏していたのか.立ち位置までも正確に再現できる.
その時の胸に突き刺さるメンバーの歪んだ表情.あの淀んだ空気の色,毛糸のように複雑に絡みあった冷たいサウンド.自分の中に湧き上がる黒龍のような残酷な感情.そのどれもが昨日の出来事のように鮮明に記録されている.
超記憶はアングルを自在に変えることも可能.そして,音はほとんど記録されていない.音の原始的な情報,いわゆる空気の振動の情報が数値として残っている感覚.これほどまでの鮮明な記憶を誰かが勝手に残しているのだ.忘れることができたらどれほど楽だろうか.
しかしながら,この日以降この負の感覚に悩まされることはあまりなかった.負の感覚からただひたすらに逃げていたから.なまじ中途半端に技術はあったので誤魔化すことができた.連打を完全にコピーはできないけど,その表現したいことを自分の音で演奏することができた.幸い夢をかけていたバンドは歌ものだったから,自分は最低限の仕事をこなせば成立していた.
約3年間所属したそのバンドもメニエール病をきっかけに脱退し,そこから約2年間は完全に療養生活に入ったが,この時間は感覚を消去するには十分過ぎる時間だった.
療養生活から復帰後にサークルで音楽活動を再開したが,ドラムを叩く感覚が全然戻らなかった.連打や即興演奏はもちろん,基本的なリズムでさえも,滑り台で静止してバランスを保つような繊細な感覚に思えた.一度気を抜けばツルツルと滑り落ちてしまった.
ただ,悔しいという気持ちよりもドラムを再び叩ける喜びの方が大きかったから,そんな状態でもステージに立つことはできた."過去の栄光"は忘れて今に専念することに.僕は人生の中で何度も青春を味合わせてもらっている.贅沢な待遇に感謝したい.