アカシア

2024.9.12 アカシアの木を切った

幼少期の頃は自分の能力の高さ故周りから浮いていて理解してくれる人がいなく孤独を味わう
12歳で音楽と出会い漸く理解してくれる存在に出会え夢中になる
プロを目指して必死で頑張って身体が壊れるまで頑張って
結果難病になって,一時期は音楽はおろか生活すらままならなくなった
20代後半の1年半ほどはほとんどベッドの上で過ごした
苦しかった辛かった死にたかった
でも,そんな自分を支えてくれたのも音楽だった
寝たきり生活を乗り越えてまた音楽ができる,文字通り歩けるようになって幸せだった
そんなこんなで20年間ずっと音楽と一緒だった
自分にとっては息をするようなことだったし,一生音楽すると誓っていた
それが新型コロナで急に止まった
でも,いい機会でもあったから自分と,自分の音と向き合った
音楽の基礎からやり直すことにした
ドラムを叩く動作,指1本1本第一関節の動きから
細胞の頃から人生をやり直すような感覚でしんどかった苦しかった
交通事故の際に開放骨折した古傷も痛む
けど,その先の光を求めて暗いトンネルの中を必死に進んだ
その頃にたまたま植物を育てることにした
それまでサボテンしか育てたことはなく,そのサボテンさえも1年で枯らしてしまった自分が
そうして出会ったのがアカシア
トンネルの中で唯一の存在で理解者
いい時も悪い時も共に過ごし人生を共有していた
生きる意味ができた
緑の多い土地に引っ越しした
新しいお友達(別のアカシア)も増えた
大切な人(奥さん)とも出会えた
新型コロナで延期になったライブが2年越しに行われた
僕のなかで必死に取り組んだ2年間だった
結果は散々と言うレベルでメンバーにも叱咤を受ける
でも,やれるだけのことは全てやったつもりだ
ライブ後,新型コロナに感染するし,1年(難病になって以来最長)ほど落ち着いていた発作にも襲われた
身体の限界まで取り組んだ結果だから素直に受け入れられた
不思議と未練もなく音楽をやめた
4畳半に収まりきらないくらいの楽器類もほとんど全て処分した
それでも一抹の淋しさは感じていた
受け止めてくれたのはアカシアだった
大切な人(奥さん)にステージⅢの乳癌が発覚した
よくわからない感情になった
受け止めてくれたのはアカシアだった
その人と結婚して引っ越しした
当然アカシアも一緒に
新居のベランダは日当たりも良く風通しも最高で,アカシアも喜んでいた
すくすく育って気がつけば自分より背が高くなっていた
最初は手のひらに乗る大きさだったのに
小さい時は苦労した
葉がほとんどなくなってしまったこともあった
もうダメかとも思った
それでも必死に育ってくれた
それを象徴するかのように下の方は枝が全くなく,お世辞にも綺麗な樹形とは言えない
まるで自分の人生を見ているかのようだった
そんなアカシアが二つ,仲良く絡み合っている
もう1本は自分よりももっと壮絶な人生を歩んできた奥さんのように感じた
毎日,本当に毎日その光景を眺めて生きてきた
それが普通で当たり前だった
真夏のベランダでも木の下は爽やかな風が吹く
その風は喜怒哀楽を包み込んでくれる
1時間でも2時間でもお気に入りの時間
1年に1度だけ咲かせる花を拝むのが楽しみだった
今年は花芽がたくさんついていているから,来年の開花が楽しみだった
たくさん花が咲けば奥さんも喜んでくれるかな
みんなで奥さんを笑顔にしようと約束した
今日,大家さんと管理会社さんから連絡が来た
久しぶりの雨だった
雑草が枯れるほど乾いた大地
横殴りの雨
雷落ちる嵐
僕は枝を切った
幹だけになった
大切な人の首を絞めて殺しているかのような気分だった
陽が差し込んだベランダで僕一人だけが泣いていた

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