Doors 第19章 〜 フォーカルジストニア奮闘記3
外は激しく吹雪いている.僕は一人テントの中にいた.雪原のど真ん中に構えたそのテントは,小さいながらも確実に僕を守ってくれている心強い味方.ここにいれば安全であることは保証されていた.ただ,その広大な雪原と激しい吹雪の前に人間の無力さを身をもって痛感していた.吹雪が止むことは二度とない.それがこの雪原の掟.選択肢は二つ,このまま一生この安全の中だけで暮らすか,外に出て本当の安全を探す旅に出るか.
しばらく外をぼんやりと眺めながら考えていた.万に一でも止んでくれたらなぁ.そんな期待は紙切れのようにこの風に吹き飛ばされていく.外に出るということが命懸けだということを理解しない方が難しい.想像するだけで湧き上がる恐怖.しかしながら,その吹雪はダイヤモンドダストのようにキラキラと美しくも見えた.開ける扉は決まった.
念入りに身支度を整えた.もうこの場所に帰ってくることは二度とないだろうから.生きるにしても死ぬにしても.そう思うと,慣れ親しんだこの場所に袖を引っ張られたような気がした.でも覚悟したんだ.僕は優しく振り払い,白銀の世界へと飛び出した.
外に出ると,一歩目から足を踏み外して落ちてしまった.雪が体の中まで入ってきて全身が真っ白に染まっていく.僕は思わず目を閉じた.どんどん息が苦しくなり目を開けると,そこは一変して黒くて憎い泥沼に変わっていた.パニックになった.足がつかない.全身が呪われたように重くて上手く動かない.このまま沼に飲み込まれるのだろうか.何とも呆気ないエンディングなんだろう.
目を覚ますと僕は小さな島の上に横たわっていた.断片化された記憶をかき集めパズルを組み立てる.すると目の前にあの黒い沼が現れた.ここは沼に浮かぶ小さな島だった.夢じゃない,絶望感に苛まれた.その沼はみるみる大きくなっていて,やがてこの島も沈んでしまうことは容易に想像できた.つまり,沼に入る以外の扉は用意されていないということだ.しばらくその沼を眺めていると見慣れない少女が現れた.
その子が僕をこの沼から助け出してくれたらしい.お礼を言う前に少女が先に口を開いた.いまいちまだ状況が飲み込めていない僕に,現状を教えてくれた.
この黒い沼の正体は人の念の集合.夢を諦めることになったその念,かつては夢へと向かうガソリンとしての役割を担っていたその念の役目が終わり,この沼に次から次と捨てられているのだ.その量たるや計り知れないばかりか,夢に向かって走っている人に纏わり付き,その養分を吸い取り自ら成長しているのだ.夢に向かうためにはこの沼を抜け出さないといけない.そのためにはこの沼の正体を知る必要があると.
少女に言われて対岸の方を見た.すると,そこはこの殺風景な小島とは違い,色とりどりの草木が美しく輝いていて,家族や仲間たちが笑顔で手を振っていた.僕は嬉しくなってすぐ沼に飛び込もうとした.それを少女が制止した.
阻止され腹を立てた僕に少女が説明した.あそこは楽園ではない.当然目的の場所でもない.あれらは全て幻だから惑わされてはいけない.そういったダミートラップが他にも沢山あるから気をつけるように.誰も助けてはくれない.自分で泳ぎ切るしかない.少しでも休むと別の沼に飛ばされて,目的地はもちろん自分が今いる場所すらも分からなくなるから注意するように.それと一度沼に飛び込んだら最後,泳ぎ切るか憎まれやの泥になるか.これは避けられない事実.その勇気と覚悟が必要になる.
その話がすぐには信じられなかったが,そのあと見た光景によって考えが変わった.もう一度"楽園"の方を見ると,そこは赤黒い炎に包まれていて,そこにいる人たちの顔はブラックホールのように穴が空いていた.やはり少女の言うようにあれは幻で,この黒く憎い念の沼を泳がなければならないようだ.でも一体どうやって?また溺れるのがオチなのではないのか.