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夢の沼

沼と聞いて何を想像する

一つは,沼の龍

父親が子供の頃,
今から約60年ほど前の話になる
家の近くの小さな公園に沼があったそうだが,
どうやら,そこから龍が出てきたのを見たらしい

そんなことを子供の頃に何度も聞かされていたが
信じた試しは一度もない

どこか懐かしく,少し穏やかな風が流れた


そんな話はどうでもいい
やはり,沼と聞いて外せないのが夢の沼
音楽の夢
その沼に大きくハマった


音楽との出会い

僕は音楽とは無縁の
ごくごく平凡な家庭に生まれ育った(と思っている)
父親は普通のサラリーマン
母親はパートをしながら僕の子育てをしてくれた
姉は二人,3つ上と6つ上
ただ,そういった環境もあってか
子供の頃はよく一人で家にいることが多かった

今でも鮮明に覚えている
遡れる最後の記憶にほど近い頃
優しい夕陽が差し込む階段に座り
幼児用の玩具
黄色い顔から紐が出ていて
引っ張るとゼンマイ仕掛けが稼働し
「赤とんぼ」のメロディが流れる
そのメロディを聴きながら何故か泣いている
人生初めてのお友達
これが音楽との最初の出会い

音楽が嫌いだった少年期

小さい頃,歌を歌うのが好きだった
幼稚園で歌った「大きな古時計」
卒園式で歌った「思い出のアルバム」
大好きなお友達との最後の歌だった


卒園式から程なくして
小学生で最初に歌ったのは「グリーン・グリーン」
当時の僕は,まだそのお別れの悲しみに包まれたままで
とてもこの楽しげな歌を歌うことはできなかった

当然,先生は僕を叱った
「何で歌わないの!」
その理由は僕にも分からなかったが
歌えないものは歌えなかった

今になって考えれば,
自分の気持ちに蓋をしたくない,
それぞれの楽曲に対して失礼だ,
子供ながらにそんな気持ちだったのかもしれない

卒園式で共に涙しながら歌っていた友達が
一転して楽しそうに歌っている姿は,
裏切られたかのようにも思える絶望の光景だった

音楽が嫌いだった


リズムとの出会い

小学生高学年の頃,
周りで楽器を始める人がちらほら出てきた
友達Aくんもその時からギターを始めた
僕は,誘われないのに断るセリフを覚えていた

中学生になって転機が訪れた
友達の家にあったゲーム『beatmania』との出会い
このことが僕の人生を大きく変えた

好きな時に好きな音に触れられる
能動的に音楽に触れることができた
リズムに合わせて体(指)を動かす
それにより自分の中からメロディが飛び出してくる
たったこれだけなのに衝撃だった
僕はすぐにそのゲームを買い,夢中になった

そして,周りではまだ誰もクリアしたことのない
当時では超難易度の『ska a go go』
通称「skaの滝」を攻略したことで
ローカルながら脚光を浴びる
それがまた,僕を沼へと引き摺り込むことに

日々ゲームに向き合う中で,
ふと我に返った瞬間がある
一体これの何が楽しいのか
そう自問した

『ゲーム画面を映し出すテレビ』
『コンポから流れるゲーム音楽』
『僕に叩かれる鍵盤型コントローラー』
『プレイしている自分』
『それを見ている自分』
この5体で思考を持ち寄った

その結論は,
リズムを楽しんでいる
ということだった

そう言えば,ジャンルで言えばテクノ系が好きだった
鍵盤でメロディを出している時よりも
テクノ系でリズムを打っている時の方が楽しかった
であれば,beatmaniaである必要はない
これは手段であって目的ではない,そう気づきました
これが,リズムとの出会いである


その出会いよりも前に
ちょっとしたリズムとの出会いがあった

ある休み時間
友達数人が担任の先生から
何やら楽しそうなことを教わっていた

近づいてみると,紙に書かれた謎の記号
友人たちは,それを見ながら
椅子に座って手足を動かしていた
「うまくできた!」,「失敗した!」,
笑いながら楽しそうだったので僕も参加した

その記号はいわゆる簡単なリズム譜で,
ドラムの基礎となる手と足の動かし方を学ぶための
基本的な練習のためのものだった
リズム譜の見方を教えてもらい,僕も挑戦した

感想としては,
「何だかできたっぽいけど,それで何?」
といったものだった
それもそのはず,
これが何なのか分からずして行なっていたから
興味を失った僕はそそくさと立ち去った


卓上ドラム

リズムと出会ってからドラムにたどり着くまで
そう時間はかからなかった

自作のドラムセットはすぐに完成した
と言っても,シンバルこそ薄い金属をハサミで切って
"加工"したものの,太鼓はそれらしい箱を
ただ机の上に並べただけだった
でもその仕上がりには満足だった
こうして,僕だけの卓上ドラム(上半身のみ)が
新しいお友達となった
好きな曲を流しながらドラムごっこ
そんなことを延々とする日々が続いた

ドラムごっこは内密にしていたつもりだった
が,予想以上に音が漏れていたらしく
家族周知の事実となっていた

ある誕生日,父親がドラムのスティックをくれた
それまでは祝い箸を使っていたのだが,
それも知っていたのだろう

卓上サイズには,実際のドラムスティックは長すぎる
けれど,嬉しくて早速使ってみた
夢中で一曲叩き終わってみると,
卓上ドラムは壊滅的な状態になってしまった

でも,ほんの一時だけど
ドラマーになれた気がして嬉しかった
そんな気持ちを抱きつつ
壊れたドラムセットを修復した


新しい目標

そうして,僕はすっかり卓上ドラマーになっていた
そんな自分にぴったりのゲームが登場した
drummania

僕にとってはプロのドラムも楽勝だった
(と勘違いしていた)
そんな自分にとって,たかがテレビゲームなぞ
いとも簡単なものに違いなかろう
そんな浅はかな考えは,当然すぐに打ち砕かれた

drummania初プレイ
まず手始めに一番簡単な曲から
お手並み拝見といきましょう
その僅か30秒後にゲームオーバーになった
このシリーズのゲームは,一打毎に評価判定があって
悪い評価が重なると強制終了,
つまり,ゲームオーバーになる仕組みになっている

手と足が思うように動いてくれない
この時,先述のリズム遊びの意味が漸く理解できた
プライドは見事にへし折られ,
全身が屈辱に包まれて悔しかった
だから,夢中になって何度も何度もプレイした


そうして,クリアできる曲が一曲二曲とだんだん増え,
友達が匙を投げた曲にも果敢に挑み,
気がついたら,全曲クリアしていた
そして,目標がなくなった
同時に別の目標が生まれた
好きな曲のドラムを叩きたい

ある日,曲が終わってもクリア画面に戻らないバグを
偶然にも見つけることができた
それで簡易的な電子ドラムが完成した
これで次の目標へと向かえる
また一歩,沼へと足を踏み入れた瞬間だった


生きているかのような鮮やかな色

この頃には,学校の一部の界隈で噂になっていた
噂というのはいつだって無責任に飛び回るもので
「スーパードラマーがいる」
「家にドラムセットがある」
「自宅にスタジオがある」
など言われていると,親友から聞いた

そんな噂を聞きつけた友人Aが,
僕の家に訪れたのは中学3年生の時
彼は自宅から自前のギターアンプを持ってきていた
そして,僕が近所のリサイクルショップで買った
3,000円のギターを弾き始めた

部屋に轟く爆音
正直,近所迷惑な音量だったが
それよりも,その音のエネルギーに圧倒された
普段自分の手元から出ている音とは全く異なる音
轟音だけど騒音でない心地よさ
生きているかのような鮮やかな色
彼が放つ音は,4畳半の部屋をライブハウスへと変えた
こんなことができるんだ!
こんなことがしたい!
そう明確に思う心は,
また沼への手招きとなった


電子ドラム購入

高校生になってすぐ,
僕は初めてお付き合いする人ができた
その人は同じ中学校だったけど
一度も同じクラスになったこともなく,
当然向こうは僕のことを知らなかった
付き合うに至った経緯は,特に関係ないので省略する

それでも,ドラムセットの噂は知っていたようだ
その子が家に来る
けれど,家にあるのは
drummaniaの専用コントローラー
とてもじゃないけど,恥ずかしくて見せられない
でも,ドラムセットを買うわけにはいかないし,
買ったところで置く場所も叩く場所もない

結論は,電子ドラムを購入することになった
厳密には,中古のドラムセット購入費(約24万円)の
半分を父親に負担してもらったので
購入とは言えないかもしれないが

そして,買ったからには使いまくった
drummaniaのコントローラーとしても使えたので,
ゲームに勤しみ,曲の練習に勤しみ,
一日12時間飲まず食わず座りっぱなしの休みなしで
文字通りずっと叩きっぱなしの日もあった

元々中古だったので,幾分の劣化はあったけど,
それでもパッドのゴムが擦り切れて
中の基板が露出するまで叩きに叩いた
いよいよ,足が沼に浸かってしまった


人生初バンド

電子ドラムを買い,正真正銘ドラマーとなった
あと足りないのはバンドだった

ドラムセット購入からほんの一月余り,
バンド加入の話がやってきた
電車で30分ほどかかる他校のバンドだったが
すぐさま飛びついた
これで漸く「自分はドラマーだ」と胸を張って言える


人生初のバンド加入から
人生初ライブまで1ヶ月もなかった
初めて生ドラムを叩いた時,
ドラムに笑われたことを覚えている

そんな状態から,ひと月の練習で間に合うのか
まぁ,とにかくやるしかない
3日に一度のペースでスタジオでリハーサルをし
コピー5曲,オリジナル2曲の合計7曲を仕上げた
初ライブは,何とかやりきったの一言だった


だいたい2ヶ月に一度のペースでライブを行った
年が明けた頃,ボーカルに僕だけが呼び出された
指定された場所に向かうと,見知らぬ二人がいた
その二人はギターとベースを弾いているそうだ

挨拶も早々にして本題に入った
僕らと上京しよう
そう言われた
最初,言葉の意味がよく分からず,
頭の中をぐるぐると回っていた
彼らは本気でプロを目指して活動していたそうだ
だが,そのバンドのドラマーは別で声がかかり
一人上京してしまったそうだ
それで新たなドラマーを探している,ということ

「そんな乱暴な」と思いました
だって,彼らとは初めて会う身で
当然,向こうだって僕のことを何にも知らない
何が好きでどんな性格なのかもどんなプレイスタイルで
どれくらいの楽器スキルがあるのかすらも
それに,僕は地元ではそこそこの進学校に通っていて
やはり勉強が大事だと教えてこられたので
プロになる気など毛頭もなく
粘られましたが断りました

ただ,この一件を機に
ボーカルとギターが仲違いをし
僕にも謎の"容疑?"がかけられ
バンドはそのまま解散となってしまいました
そりゃそうだ,という思いと共に
僕自身,何となく大学受験へと向けて進まなければな
という気持ちがあったので,すんなりと受け入れました


放浪人生

そこからは暫くズルズルとした生活が続きました
ズルズルと進学し,ズルズルと勉強し,
ズルズルと軽音サークルに入り,
ズルズルと音楽を楽しんでいました


もうすぐ20歳になろうかという時,
僕は交通事故に遭いました
聞き手を開放骨折してペンが持てないのをいいことに
勉強を放棄しました
学校にも通わなくなりました
部屋に引き篭もって音楽理論の勉強をしたり
曲を作ったりしていました

プロへの誘い

そんなタイミングで友人Aが再び家に訪れました
昔話に花を咲かせ,近況をざっと報告した後
彼は本題を告げました
一緒にプロを目指さないか
正直,僕はプロになる気は全くなかったので
闇雲にその世界に足を踏み入れるのは自殺行為だと
そんな思いと恐怖がありました

呆気に取られる僕の顔を見て彼は続けました
信頼できる仲間と本気で音楽がしたい
本気でやってどこまでやれるか試したい
そう熱く語ってくれました
その時,中学生の時に聞いた彼の音が蘇りました
心揺れる中,彼がこう言いました
全てを捨てて音楽だけを本気でやりたい
その言葉に意思の重さを感じました
頭をかち割られたような感覚でした

全てを捨てて

自分にそんなことはできるだろうか

 全て

ということは
この生活も大学もサークル活動も勉強も
全部捨てて音楽だけを

無理だ


たしかに,大学には碌に行ってなくて
半分捨てているようなものだ
だけど,捨てるとなると訳が違う
一度捨てると二度と拾えなくなる
そんなことくらいは分かった
やっぱりできない

何より怖かった

僕は彼に断りを告げた
残念そうに肩を落としながら渋々帰って行ったが,
後に彼はその夢を立派に叶えてみせたのだった


音楽から勉強へ

その後も,僕は当てもなくダラダラと音楽に触れていた
ドラムを叩き,ギターを弾き,ベースを弾き
動画を見ては理論書を読んで曲を作る
何となくそんな日々を過ごしていた

4年で大学を卒業できないことが確定した
そんな時,教授に呼び出された
二度目だったので怒られることを覚悟した

意外にもその教授は,
親身になって今後のことを考えてくれました
この人の期待を裏切ってはいけない
そう強く心に思いました

その日から一年半もの間,一切音楽はやらずに
毎日10時間以上勉強しました
そうして,だんだんと勉強が好きになり
そのまま流れるように大学院へと進学しました


沼への旅路

大学院に進学後は,以前よりも時間に余裕ができました
自分で自分を試してみました
「この時間を何に使うのだろうか」
勉強なのか音楽なのかアルバイトなのか

答えは音楽でした
気がつくと空いた時間は全て音楽に費やしていました

勉強も好きだけど,それ以上に音楽が好き
音楽がしたい
バンド活動がしたい


メンバー募集サイトを開き
いくつかのバンドに応募して実際に会ってみました
一つだけ特別な感覚を持ったバンドがありました

言葉にするのは難しいですが
マクドナルドで会って話を聞いていて
この人たちとならやれる!
そういう直感のようなものがありました
なので,このバンドで活動しようと決めました
実際にスタジオでそれぞれが奏でる音を聞いた時に
この感覚は間違っていなかった,そう確信しました

今まで色んな人とバンドを組んできました
その中で初めての感覚だったのは,
この人たちとならプロになれる道筋がある
というものでした

全てを音楽に捧げればプロになれる可能性がある
もちろん,厳しい道のりであるのには変わりないが
そう確信が持てました
この時に,初めて友人Aの気持ちが理解できました


茨の道の先には

当時,国立の大学院に通っていて,
成績は学部でトップだったんですが
躊躇うことなく退学しました
教授や見たこともないお偉いさんたちと
数時間にも及ぶ話し合いがありましたが,
僕の意思は覆りませんでした


か細いながらも,プロへの道筋が
はっきりと見えていました
茨の道の先にある大きな黒い沼
その沼の中
遠くに浮かぶ光の島
そこが目的地

全てを音楽に捧げました
自分の人生を音楽に賭けました
成し遂げる自信もありました


黒い沼

茨の道を進んだ先には黒い沼がありました
嵐吹き荒れる大きな沼,夢の沼
この黒い沼の成分は,
かつて夢を追って沼に飛び込み,夢破れた敗北者の魂

その沼の遥か遠く中心辺りに
光り輝く島があります
その島に向かうためには
沼に飛び込まなければなりません
その沼に飛び込めばどうなるかくらい想像がつきました


また,その沼には所々に小島がありました
何もない小島
そこでは嵐は止んでいる様子です

暫く様子を見ていると,
その小島は沼に飲み込まれてしまいました
みるみるうちに,一つ二つと小島が沈んでいきます

「時間がないんだな」
そう悟りました
悩んでいて躊躇していても
どんどん状況は悪化するばかり

不安や恐怖心に打ち勝ち,
死をも覚悟の上で
一刻も早くこの沼に飛び込まなければ
光の島には辿り着けない
茨の道を歩んできた自分には
もう後戻りはできなかった

意を決して沼に飛び込んだ瞬間
時の流れがスローになり
沼の縁の安全な場所から家族が呼んでいます
心配してくれている
助けたい,守りたいと思ってくれている
そういう温かい優しい思いが伝わってきました
僕にとっても安らぎの場所


帰りたい


棘を飲み込むような思いで
その気持ちに蓋をしました
そのまま沼へと飲み込まれてしまいました


小島の楽園

沼はとても冷たくて苦しい
沼の中から見ると,先ほどよりも大きく見え
それが,より一層孤独感を助長している

どんなに必死に泳いでもちっとも前に進まない
体に泥が纏わりつき重く締め付ける
息継ぎをしようにも,嵐で思うようにできない
一度沼に飛び込めば,泳ぐことをやめられない
やめたら底に沈んでいくだけ

誰も助けてはくれない
誰も助けられない
一人で何とかしないといけない
泳いでいくしかない

小島に近づくと,
そこには家族がいたり友人がいたり昔の恋人がいたり
美しい花が鮮やかに咲いていて
木々も生き生きと生い茂っている
そんな楽園から温かい目で僕を手招きしている

そんな楽園で休みたい

でも,僕は知っている
やがて,その小島は沈んでしまうということを
程なくして,そこにいた人影は
ヘドロのように溶けていき
小島諸共沼に消えていきました

泳ぐしかない


自分にできることはただ一つ

泳ぐしかない


泳いで



泳いで




泳いで




沼に沈む森

バンドコンテストでグランプリをいただいたり
ラジオやテレビ出演もさせてもらったり
小規模ながら遠征ツアーを組んだり
インディーズのオムニバスアルバムに参加したり
少しずつだけど泳いで前に進んでいたのに
難病,闘病という足枷が僕につけられて
必死の抵抗も虚しく
そのまま沈んでいった

ベッドの上で過ごした1年半
死ぬことだけを考えていた

よく,
「明日死ぬとしたら何する?」
という質問を耳にするが,
本当に死のうと思っている人は
犯罪なんか思い浮かばないものなんだなと


人生はそんなに甘くはなかった

あんなに頑張ったのに

いや,頑張りが足らなかったのかもしれない

自分の力だけでどうとでもなると信じていた

でも,実際は運の要素も大きいものだ


だからと言って,諦めるとそこまでだ
その沼では沈んでしまったかもしれないけれど
別の沼では泳ぎ切れるかもしれない

そう信じて僕は今,
森の中を歩いている


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