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Doors 第1章 〜 懐疑

 この世界は不思議で溢れかえっている.だからこそ飽きないでいられるのだろう.神のように全てのことが思い通りになる世界なんて1日と持たずに興味がなくなるものなのかもしれない.そういう意味では全知全能とは拷問のようなものなのかも.
 僕らは毎日毎日色々な扉を開けて進んでいる.頑丈で重い鉄の扉を.もちろんその扉を開けるまで先のことは分からない.その鉄の扉がガラスのようなものでできていて,開ける前から先が見えていたらいいのに.いや,鉄の扉でもいい,先に進んだ後で戻ってきて別の扉も開けれたらいいのに.人間はどうしてもそういう欲に駆られてしまう.一度でいいからその欲を叶えてみたいなんて考えたりもする.

 不思議と言えば,人間の感覚もまた不思議だ.深く考えてしまうと目で見たものが信じられなかったりもする.たとえば,赤いリンゴを見るということは,リンゴから反射された赤い光が目の中に入ってきて,その情報(エネルギー)が網膜を刺激して,電気信号に変えられて神経を伝って脳に情報が届く.その情報をもとに脳がイメージを作り出した結果,赤いリンゴが見えるのだ.一言で見るといっても少なくともこれだけの伝達が行われている.その全てにおいて番人共通であると考える方が些か不自然な気がする.そう思うと目で見たものの信憑性が薄れていく.真実を目で見ることは不可能に近いということになる.
 自分の内面,つまり目に見えないものに対しても同じだ.思ったこと感じたこと,これらも同様に情報からの"イメージ化"といえる.つまり外界にしろ内界にしろ,脳で考えたり感じたりすること及び意識等も含めた全てにおいて,それらが正しいという保証などどこにもない.だからと言ってこれらに価値がないと言っている訳ではないが,時々恐くなる時がある.だから目に見えない存在に頼ってしまうのかもしれない.

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