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2冊目を作ろう——kaze no tanbun 製作記5
西崎憲 with 奧定泰之・竹田純
この文は柏書房から刊行中の書きおろしアンソロジーのシリーズ kaze no tanbun の製作記です。これまでの記事はこちらです。
製作記1
製作記2
製作記3
製作記4
製作記6
池袋服部珈琲舎で2巻打合わせ
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シリーズの第1作『kaze no tanbun 特別ではない一日』は2019年の10月24日に刊行された。2作目の『移動図書館の子供たち』の刊行日は2020年の12月28日だったので、刊行までに1年以上かかったことになる。
このペースはどう考えてもまずいだろう。シリーズや叢書を刊行する場合には、それなりの間隔というものがあって、前の巻がまだ書店にあるうちに畳みかけるべきというのが一般的な見解だろう。
書店での見え方を考えると1冊と2冊では当然迫力が違う。そして1年あれば人はさまざままことを忘れる。1年前に出た本をすぐ思い出せる人がどのくらいいるだろうか。
もちろん、そのペースで出したかったし、出すつもりだった。『kaze no tanbun 移動図書館の子供たち』は2020年の春刊行予定だった。しかし、予定というものは、人の運命そのものである。われわれは決して運命も予定も自分の裁量だけで決めることはできない。とくに本の刊行予定といったものは。
とまあ、なにやら深刻げに書いているが、遅れた原因の一番はおそらく『特別ではない一日』に入れこみすぎたせいである。
いやあ、入れこんだ、入れこんだ。終わってから寝込みこそしなかったものの、刊行後、筆者はエアーポケットに入ったような、ある種、虚脱状態にしばらく陥った。反動である。まあ、それだけ集中したということなのだろう。
寄稿者を決めなくてはとさすがに考えはじめたのは春の終わり頃だったか。
シリーズは3冊であるが、寄稿者にかんしては重なりを、レイヤーを考えていた。そもそも、このシリーズを編集しているあいだに、全体の有機性といったものが必要ではないかという思いが強くなった。
1巻では巻末目次や、抜き書きをエピグラムのように使うことによって、短文の集合であると同時にひとりの著者が書いたイメージを醸成できないかと考えた。
そしてこの2巻を編集するにあたっては、3冊をひとりの著者が書いたようなイメージまで広げられないかとさらに考えを推し進めた。あるいは逆に無際限の数の作者が書いたように。
結局、1巻の作者6名のかたに再度執筆をお願いすることになった。
表紙タイトルの箔の色を検討。デザイナーの奥定さんの書類ケースのなかにはいつも小世界がある
1冊目の『特別ではない一日』を作るときは、とにかく開かれたもの、風通しのよいもの、ということが念頭にあった。それは2冊目の『移動図書館の子供たち』でも同様である。
生きた本、有機的な本、読者の手のなかで生長しつづけるようなもの、そのような本を作りたいという思いは強い。
しかし開かれた本、風通しのよい本という呼称はいかにも聞こえはいいが、具体的にはどういうものなのか。
それにかんしてはさまざまな考えがあるだろう。内容であったり、売り方であったり、デザインだったり、人によって重要だと考えるポイントがわかれるはずだ。何をどんなものを目指すか、それはなかなか難しい。それは進めながら考えようということで、まず本作りの常套からすこし離れようと考えた。
作品の前に作者名を記した扉をたてないこと、フランスの本のように目次が最後にあること、内容によって本文の組み方に違いがあること、それらは1巻を踏襲したが、今回は栞について3人で考えてみた。
栞は個人的に本のパーツのなかでかなり好きなもので、趣向がこらされた栞というものはたくさん見てきた。しかし、自分がかかわる本ではなかなか手をかけられず、ずっと不満のようなものを漠然と覚えていたのだ。
そして、3人で頭をしぼったあげく、栞に1行詩を書いてもらうことにした。
全部で16種類。16人の寄稿者が1行詩を書いて、そのうちの1枚が1冊にランダムに挟まる。
図書カードという体裁を思いついたのは奥定さんだった。結果は見てのとおりで、本の読み手でこれを手にして胸の高鳴りを覚えないかたは少ないのではないだろうか。図書館の本と書店の本のハイブリッドのようにも見える。
表紙にかんして言えば、やはりそれなりに悩んだ。何しろ顔なのだ。ブックデザインの中心と言っていいだろう。
今回、イラストで行くということはかなり前から決まっていたのだが、人選はもちろん難しいものだった。どなたにお願いするか、それによって本の運命は決まる。内容がよければ自ずからいい結果が導きだされるという考えを持つ編集者はいまは少ないだろう。
最終候補は2名で、協議の結果、銅版画を中心にして活動している寺澤智恵子さんにお願いした。寺澤智恵子さんには以前から注目していたのだ。
そして作品が仕上がってくるまでの楽しみなこと。寺澤さんは仕事が早く、ラフが届くまで、1週間もかからなかったのではないかと思う。奥定さんと細かいところまでつめてもらって、ふたりのメールのやりとりを横から見ながら、筆者と竹田さんの期待は膨らむばかりだった。
そして届いたのは外国の絵本を思わせる愛らしい絵だった。喜ぶまいことか。届いたとき、紙の質感と絵の線の繊細さを長いあいだ賞玩したものである。
作者と作者名を収録順に並べよう。
古谷田奈月「羽音」
宮内悠介「最後の役」
我妻俊樹「ダダダ」
斎藤真理子「あの本のどこかに、大事なことが書いてあったはず」
伴名錬「墓師たち」
木下古栗「扶養」
大前粟生「呪い21選――特大荷物スペースつき座席――」
水原涼「小罎」
星野智幸「おぼえ屋ふねす続々々々々」
柳原孝敦「高倉の書庫/砂の図書館」
勝山海百合「チョコラテ・ベルガ」
乘金顕斗「ケンちゃん」
斎藤真理子「はんかちをもたずにでんしゃにのる」
藤野可織「人から聞いた白の話3つ」
西崎憲「胡椒の舟」
松永美穂「亡命シミュレーション、もしくは国境を越える子どもたち」
円城塔「固体状態」
内容についてはどのように書くか、少し迷う。
この本の惹句に「現代で最高の書き手」といった語を用いている。
もちろん、この惹句は制作者側の意気込みゆえの勇み足のようなものと受け取って欲しい。なぜなら、文章家というものは一線上に並べて順位がつけられるような種類のものではないのだ。けれどそれは理解しつつも、本の作り手としては、ここに収められた17篇の短文が日本で最高のレベルにあると断言したい。
実験性のようなものを狙いとしたわけではないが、ここには相当量の実験がある。そして鋭敏な抒情もあるし、物語を煮詰めたような語列もある。
それらは実験性や鋭敏さにもかかわらず、少なくない数の読者の慰めとなるだろう。慰めを狙いとしたわけでもないのだが。
いずれにせよ、ここで筆者が要領よくまとめられるような、そんなものにはなっていない。読者の数だけ、感想があるはずだ、本がそうあるべきように。
3冊目はすでに準備がほとんどできている。春にはお届けできるはずだ。 kaze no tanbun シリーズの3冊はすべて判型が違う。3冊並べても統一感はまったくないはずだ。筆者がそのことにたいして覚える感覚は深い自由のそれである。3冊目はクロース装である。
柏書房
http://www.kashiwashobo.co.jp/book/b553502.html