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大人のハンカチ落とし

仕事でぐったり疲れた帰り道。

飛び乗った電車のドアの1番近くの席が空いていた。バレないように何食わぬ顔で、でも心の中では椅子取りゲームの気持ちで座った。

ガラガラの車内だったので、競り合う相手はいなかったけど。

ふぅ、と息をついてリュックを膝に乗せながら周りを見ると、ハンカチが落ちていることに気がついた。

男性物のようだった。ネイビーの薄手のもので、角の部分が少し折れ曲がっていた。ポケットに入れていた時にできたシワだろう。

落ちていたのは、私の座っているちょうど対角と言えばいいだろうか。向かいの列の、隣のドアに1番近い席の前に落ちてあった。

通勤時間でなくとも、ドア寄りの席というのは競争率が高い。2番目に座っていても、隣の端の席に座っていた人が下車しようものなら、すぐに席を詰めて座ってしまいたくなるくらいだし、誰もいない車内でもまずこの四つ端から席は埋まる。

ハンカチが落ちている隣の席に男性が座っていたのだが、ちょうど足元にそのハンカチがある。

わざわざ1番人気の席を避けて座っているその男性も、自分の足元やハンカチを時折見ているが決して拾わない。心なしかバツが悪そうな顔をしている。

周囲の人々も気になるようだが、拾う気配はない。

その様子を観察していた私も、拾うつもりがなかった。

こうして、大人のハンカチ落としが始まった。

・・・

大人のハンカチ落としは、子供の頃慣れ親しんだハンカチ落としとは違う。

通常は自分の後ろにハンカチが落とされたら、いかに早く気付いて拾って落とした鬼をタッチできるかに勝敗がかかっている。

けれど、大人のハンカチ落としは、いかに拾わないかが肝のような気がする。

近くにいる人は「私の陣地ではないから」と言い訳をしながらその場を避け、周りにいる人間もハンカチが落ちていることを確認しながらも、「わざわざ私が行くようなことでもない」とこちらも言い訳をするか、見て見ぬ振りをするか。

新宿に到着し、車内が混み始めた。

いかにも疲れてますという顔をしたサラリーマンと見られるおじさんが、ハンカチが落ちている角椅子に座る。

ハンカチに気付いていないのだろうか。左足でハンカチを踏んでいる。シワがつき折れ曲がったハンカチの角だけが、おじさんの足からクネっと出ている。

2.3駅でおじさんは、ハンカチに気づかぬまま降りた。

すると、そのおじさんの前に立っていた大学生くらいの若者がついにハンカチを拾った。

「感染」という言葉がついてまわるこのご時世に、落ちているものを拾うのはなかなか勇気のいることだ。

そして、そのまま網棚の上におき、おじさんが座っていた椅子に座った。

次の駅で私は降りた。

・・・

大人のハンカチ落としは、いかに拾わないかが肝と述べた。

まさにその通りで、私を含む誰もがハンカチというバトンを一生懸命に持たないようにしている気がした。

もちろん駅員に届ければいいということではなく、物によってはその方がいいかもしれないけれど、最後の若者のように網棚の上に置いておくというのは最善の方法かもしれない。

今の世では、物を拾って手も洗えないのでは、不安で仕方がない人だっているのは当然である。

ただ、これも仕方がないことかもしれないが、ハンカチ落としだけに限らず「当事者になりたくない」という気持ちが、多くの人の心にあるのではないかと思う。

子どもの頃は、早く私の後ろにハンカチを落として欲しいと願ったものだが、今では誰も何も落としてくれるな…と思っている。

大人のハンカチ落としは、始まらないのが1番みたいです。

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風埜いろは
今後も有料記事を書くつもりはありません。いただきましたサポートは、創作活動(絵本・書道など)の費用に使用させていただきます。