思い出は、美化とともに劣化して
約半年ぶりにエアコンの電源ボタンを押した。
我が家には、私の代わりに日記を書いてくれる可愛いお猫さまがいるので、私の在室の有無に関わらず、エアコンは常時つけている。
空気の入れ替えをする時も、エアコンはつけたまま行っていた。
よく電気代を心配されるが、別に目ん玉が飛び出るほど高いというわけではなく、室内の気温がずっと変わらないので消費電力は少ないようだ。
・・・
今週から日差しが和らいできて、吹く風に秋の香りを感じるようになった。
少し涼しく、ほんのり香ばしい風が心地よい。
そして、どこか懐かしかった。
秋の風を感じながら、私は中学校の制服を着て、部活帰りに友人たちと歩く帰り道なんかを思い出して、喉の奥がツンとした。
夏服がくたびれてきた秋口の青春時代というのは、もうどうしようもなく懐かしくて切ない。
でも、なぜ自分の人生を懐古するとき、学生時代が真っ先に浮かぶのだろうか。
まぁ、今の私の年齢から考えれば、社会人になってからは「昔」と呼ぶにはまだ日が浅く、何より心が成長していると実感できる学生時代のほうが「あの頃は…」と比較しやすいのだと思う。
でも、私は学生時代を思い出して「あの頃はよかった」と思うことが少ない。
・・・
不幸な学生時代を過ごしたわけではない。
人並みに遊んで、甘酸っぱい体験もして、思春期という最も多感な時期にたくさん心を動かしながら全うした。
そして多感な時期には様々な初めての感情に触れるため、思い出して胸がキュッとする感覚は当時と同じ感覚を思い出したせいで、どうしても感傷的になってしまうのだ。
だから、それなりには楽しかった。
けれど、常に今が楽しい。
どうしてこう思うのかを考えてみると、私はどうもアホなのか、過去のことをすぐ忘れてしまう。
だから幼少期のことなんかほとんど覚えていないし、学生時代の友人と会っても全然話が合わないくらい、エピソードなんかも全然覚えていないだ。
よく「思い出は美化される」というが、実は同時に劣化もしているのではないだろうか。
そして、私はぼんやり浮かぶセピア色の思い出よりも、鮮明に思い出せる最近の出来事の方が、ずっと楽しくて思い出すのも嬉しい。
だから…
20年後、30年後、夏が終わりに近づいて、また秋口の風に触れたとき、喉をツンと刺す懐かしく思い出すのは、学生時代ではなく、今このときがいいなと思う。
そして、「あの頃はよかった」と振り返るのではなく、「あの頃もよかったけど、やっぱり今が1番いい」と思えるように過ごしたい。
そんな幸せな生き方がいいです。
今後も有料記事を書くつもりはありません。いただきましたサポートは、創作活動(絵本・書道など)の費用に使用させていただきます。