「この人だれ?」からの・自己紹介
初めまして。
風薫るです。
Noteは2年前に4つ記事を書いたきりで、反応も0に近かったのですが、初心新たに「再度トライ」してみようと思います。
「宝塚とか、女優みたいな名前やな、『風薫る』って」と、ガサツな私を知る人たちは笑います。
私も、ほんの少し照れます。
でも、本人は割と真面目に、初夏の季語ということで、「ふとした瞬間に吹き抜けていく、自然の薫りを乗せたような、爽やかな人でありたい」などと思っています。
本人は、むさ苦しい、コテコテの、暑苦しい、関西人なんですけどね。
2年前とは違うことをしてみよう、と、まずは、自己紹介を書いてみることにしました。
私について
30年以上前に、「世界バックパック旅行か、アメリカ留学か」で後者を選び、1年だけの予定が、そのまま、日本人には馴染みの薄い、アメリカ・ワイオミング州に住んでいます。
父が転勤族だったので、高校卒業までに5回の転校経験。
東京、札幌、川崎、岡山、神戸などに住みました。
今では、このワイオミングの田舎町が、一番長い居住地になりました。
ワイオミングの大自然に惹かれて、こちらに移り住んだミネソタ州出身の夫と、絶賛思春期中の高1の息子との3人家族に、白髪が混じり始めたアメリカン・ウォータースパニエル君が一匹。
仕事:公立高校での日本語教師
帰国子女でもなく、英語もままならなかった私が、町の公立高校で、パートタイムの社会科教師として働き始めました。
毎日泣いて、どんどん痩せていった怒涛の一年目が、ようやく終わる頃。
校長から「すまん!来年は生徒数が減るので、一番若い君に辞めてもらわんとあかんのんや。」と。
せっかく、教師として「ほんの少しの自信」が芽生えてきたのにな。残念だな。また職探しか…
そんなことを思っていたら、
「いや、待てよ。君、日本人やな。ほな、日本語教えられるか?」
そんな校長の思いつきで、今なら考えられない速さで、数ヶ月後には教壇に立って、日本語を教え始めました。
州で唯一の日本語教師として。
それから四半世紀。
日本人はもちろん、アジア人すらほとんど見かけない田舎町の高校で、日本語プログラムがいきなり誕生し、成長し、おかげさまで現在も存続しています。
そして、体はごっつかったり、20−30代にも見える可愛い生徒たちと、日々楽しくやっています。
教え子が親となり、その子供が、私のクラスに入ってくるようにもなりました。
それだけ年月が経ったのだな、とびっくりします(「歳をとった」の穏便形)。
保護者会では、そんな教え子たちとの昔話に、花が咲くことがあります。
夏休みに生徒たちと行く日本旅行も(累計150人以上)、私にとっては大きな楽しみの一つです。
そして、昔とは徐々に変わってきているとはいえ、安全で、清潔で、人々が優しい、そんな母国を持って本当に幸せだな、という気持ちでいっぱいになります。
2023年の夏には、引率を含め42人の大所帯で、日本旅行に行ってきました。
隣州の大きな空港へは、うちの小さな田舎町からだと、一日数便の飛行機も小さな50人乗りなので、
「もう私たちだけで、飛行機をハイジャックするしかないって感じっすね。」
笑いあり、涙ありの珍道中の11日間でしたが、X(旧Twitter)のおかげで、日々あった小さなことも思い出せます。
思い出しては、このNoteにも書いていきたいです。
趣味:フィギュアスケート
47歳で始めたフィギュアスケートは、今年で11年目になります。
当時は、仕事も家庭もそれなりに安定していたものの、仕事と家の往復だけの決まりきった日々。
「あぁ、このまま私の人生、終わるのかぁ…」と、半分人生を諦めていた頃に、衝動的に始めました。
スケート教室の初日は、「生まれたての子鹿状態」でしたが、一年後にはコーチからレッスンしてもらうようになり、3年後には、アラフィフが蛍光ピンクの衣装を着て、試合に出るようになっていました。
でも「趣味はフィギュアスケートです」とは、恥ずかしくて周りに言えない時期も3年間ありました。
今では、スピンを練習するためにスピナーを教室に持ち込み、生徒たちも楽しそうにクルクル回っています。
燃え尽き症候群を2年ほど経験しましたが、自分の懐状況、残りの有給期間と折り合いをつけながら、ローカル、地方・全米選手権など、色々な試合に出ることができました。
スポ根マンガとは逆を行く、私のスケート。
自分が辛くなるような追い込みはせず、「自分はスケートが好きだから滑る」を忘れずに、試合では順位を気にせずに(←まだまだ修行中)、自分のしたい演技が本番でできるように、週に数回楽しく練習しています。
数ヶ月前の2024年1月には、イタリアで開催された『冬季・世界マスターズ大会』へ、初の海外遠征で参加しました。
『60までに国際デビュー』という夢があったのですが、間に合いました。
そして、ブロンズレベル・年齢別クラス3で、なんとメダルをいただき、腰を抜かすほど驚きました。
現在のところ、『80歳まで現役で滑る』『世界リンク100訪問』『世界の試合100体験』が、スケートにおける夢になっています。
Kindle出版
2年前に「自分のスケート人生の記録を残しておこう」と、Kindle出版してみました。
趣味とよべるものがなかった人生で、軽い気持ちで始めたスケートでしたが、そこからゆっくりと人生がおもしろくなって行ったので、「やりたいことは、まずやってみようよ!」と。
特に、「いまさら、こんなこと…」と、自分でブレーキをかけてしまいがちな方々を応援する気持ちで、書きました。
『47歳・スケートやってみた』by 風薫る
「私の趣味はフィギュアスケートです」とカミングアウトしてからは、本来の自分が出てきたというべきか、スケートに関してやりたいことが次から次へと出てきて、「失敗上等」とばかり、片っ端からやっていきました。
その様子を2冊目の本で、書きました。
『51歳・大人スケート沼へようこそ』by 風薫る
今は、数ヶ月前の初の海外遠征について、3冊目の書いている途中です。
そして、再トライのNoteでは、大人スケーターとしての色々な思い、気づき、体験を書いていくつもりです。
次のチャレンジ
夢の一つだった、フィギュアスケートの海外デビューが終わってしまい、スケートでの次の夢はなんだろう、と思っていたら、誘われて、いきなり「クロスカントリースキー」をすることになりまして… 。
道具も、体幹も、持久力もないのに、なんでやねん?とは思いますが、おもしろいので、流れに乗ってみることにしました!
スケートと同じく、順位などは気にせずに、楽しく、自分の知らなかった世界を体験してみよう、そんな気持ちでいます。
そして、次回の『冬季・世界マスターズ大会』は、4年後の2028年になりますが、その時はフィギュアスケートと、クロスカントリーの二刀流(?)で参加できたら最高だな、と思っています。
57歳で、新たなスポーツにチャレンジするのはどうよ?と思うのですが、楽しいことも、辛いことも、全部Noteに書いて、後で笑えたらええんちゃう?とも。
そして、それを基に「この体験も、Kindle出版してみよう!何歳からでも、やりたいことにトライできる!というメッセージになるかも?」という計画もあったりします。
本のタイトルだけは、もう決まっています。
『アラカン、クロカンやってみた!』です。
友人は、「クロカン」と聞いて、「黒缶?ビールかいな」と思ったそうですが(笑)。
日々のこと
もうお分かりだと思うのですが、私は「丁寧な暮らし」や「ちゃんと日々を過ごす」ことが苦手中の苦手、いや、できない。
それでも、自分や家族にとって、日々、アリンコのような小さな「カイゼン」を実践中。
そんな「カイゼン」たちのこと、ふと思ったこと、考えていること、つまり日常のことを書いていきたいです。
また、家族の趣味でもある夏のアウトドア、愛するワイオミング州のこと、夫が週末大工として、一人コツコツとやっている改築中の家のこと(現在は道向かいの家を賃貸中)、本のこと、リタイア後の計画、副業案件、などなど、書く題材はたくさんありそうです。
再トライのNoteには、2年前よりもうんとある「発信欲」で、三日坊主ならぬ、「4記事坊主」にならないように、心豊かに、楽しく、軽く、書いていきます。
ここまで読んでいただき、感謝です。
皆さんのNoteも読ませていただき、私の世界を広げたいと思っております。
どうぞ、よろしくお願いいたします。
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