風戸裕樹の不動産偏愛歴
皆さんこんにちは、風戸裕樹(かざとひろき)です。
私はProperty Accessという会社の代表を務めていて、東南アジア不動産(特にフィリピン)の取引をしています。
最近はツイッターやYouTubeでも私が海外不動産の仕事をしている様子について発信していますが、今日は私の「偏った不動産愛」と「経歴」について自己紹介がてらお話をしたいと思います。
・実需向け仲介
・不動産投資ファンド
・不動産テック(ソニー不動産)
・海外不動産取引
本当に平凡な若者だった私が、不動産という業界にさまざまな角度からもみくちゃにされ、気付いたら「風戸裕樹」になっていった様子をお届け出来ればと思います。少々長くなりますがお付き合いください。
この記事の最後でとんでもない企画の発表をします!
絶対面白いコンテンツになるので超ワクワクしています。
そちらもぜひご覧ください!
就活大失敗?無意識だった学生時代
早稲田大学商学部3年生に在籍中だった2003年。多くの同級生と同じように、普通に就職活動をしていました。学生時代に特にやりたいことも決まっていなくて、漠然と就職活動をしていた私。ただ漠然としていた中でも「将来自立・独立してビジネスをしたい」という強い意識がありました。理由は私の父のようになりたくなかったからです。詳細はYouTubeをご覧ください▼
「いつか独立するぞ」という前提での業界選び。
私が惹かれたのは不動産でした。
不動産を選択したのにも理由があって、
・不動産は生活の一部でとても身近
・独立しやすそう(だって不動産屋ってどこにでもあるじゃん)
ということから、自分にあっているのではないかなと当時思っていました。短絡的な学生だなぁ。笑 今となっては大正解ですが。
そんなマインドで始まった風戸裕樹の就職活動。
就職氷河期ということもあり、三菱地所、三井不動産といった大手の不動産開発会社の面接は全滅。その時は「俺早稲田なのに、1次面接で落とすのってアリ?」と本気で思ってました。こういう人は受かりませんな(笑)大人になってわかりました。
デベロッパーを目指してはいたものの、内定は出ず。仕方なく「不動産仲介」の会社で内定がでた2社(野村不動産アーバンネット、オークラヤ住宅)からオークラヤ住宅を選び入社しました。
風戸、社会に出る
オークラヤ住宅という会社は首都圏の中古マンションの買取再販・仲介を行っている会社です。内定後、入社までの期間で宅建取得のための講習を無料で受けさせてくれました。無事半年間の受験勉強を経て合格。オークラヤで”不動産エージェント”としてのキャリアをスタートさせます。
東陽町営業所に配属
1ヶ月の研修期間を経て、営業マンとして東陽町営業所に配属。新卒は始業1時間前に出社して机拭き、電話拭き、ゴミ拾い。営業時間は原付きを与えられ、原付きの前と後ろのカゴにチラシをいれて、いざ出陣!自分のエリアに到着し毎日2,000枚から4,000枚のチラシを投函していました。体育会系ではない自分としては、経験したことのない体力仕事。でも不思議と早く仕事を覚えたい一心で全く苦にならない日々。若いってすごい。笑
休みは毎週水曜日+たまに火曜日(自主出勤も多め)です。当時は日焼け止めを買うお金がなかったので原付きで日焼けをしまくりました。くろすぎる俺↓
新人賞獲得
1年目でノルマを達成して新人賞を獲得。同期営業マンの10人中の3位(上位3人が新人賞)でした。今でも覚えているのですが、同じかかりの先輩がつきっきりで仕事を教えてくれました。宅建を持っていても実務経験はなく、素人同様の私。初めての契約と決済(引き渡し)は本当に怖かったし、案件で大きなクレームをもらうこともありました。聞いたところ、東陽町営業所で私が担当したエリアは、最優秀賞がでるエリアだったとのこと。先輩だけではなく、良いエリアを任せてくれた所長にも感謝です。
目醒め
マンションの買取や仲介をやりながら、オークラヤ住宅での仕事はそれなりに充実した毎日でした。
そんな私にも転機が訪れます。ある日、オープンルームでボケーと読んでいた「金持ち父さん貧乏父さん」(ロバートキヨサキ著)に感銘を受けます。
この本の何に感銘を受けたかというと、投資用不動産に対する考え方。
「自分は不動産屋なのに投資用不動産の視点が全然ない!このままじゃだめだ、独立できない!」
ということで、”金持ち父さん”の実体験をしたく、転職活動を開始。
当時イケイケのイケイケだった、クリードという不動産ファンド会社に転職することになります。実はクリードで面接してくれた方がオークラヤ住宅の出身でした。転職活動はリファレンス(前職確認)で上司にバレていたけれど、その時の上司が「風戸はオークラヤで収まる人間じゃないから採用してやれ」とのこと。それを良い意味で捉えれば「俺イケてるよね」、悪い意味で捉えたら「こいついらないからとってやれ」ですが...笑 とにかくオークラヤ住宅時代は人に恵まれました。オークラヤ住宅がなければ今の自分はありません。感謝でいっぱいです。
イケイケファンド時代
クリードに入社
私が転職した2006年当時はファンドバブルの真っ只中。第二新卒として転職したクリードで、北海道から九州まで、不動産ファンドに入れるための物件を購入する毎日。
転職前は500万〜5,000万円ほどのマンションの買取や仲介をやっていた社会人2年目の小僧が、転職した不動産ファンド会社では、5億〜100億の物件の購入検討から契約決済まで任されます。前職とは文字通り桁違い。最初は数字がまともに読めなかったことを思い出します。
入社後、たくさんある購入チームのうちの1つに一番の下っ端として配属。物件資料の整理、投資計画書の作成、稟議などなど、片っ端からすべてを飲み込みました。
当時はバルク部屋(複数物件をまとめて買うためのチームが組成されたタコ部屋)に連れて行かれて朝9時から23時まで仕事。自宅に電車で帰れないので引っ越すしかなく。
そこで役に立ったのがオークラヤのポスティングで覚えた原付きスキル。会社へ原付きで通える市ヶ谷へお引越し。当時、クリードがある霞が関ビルってバイク置き場が無料だったんですよ!毎日ヘルメットかぶって出社、帰りもヘルメット。もし会食があったら原付き置いていけばよいし、タクシーだって全額経費精算OK。こんな最高の通勤あるのかい。
入社後1週間で冬の札幌出張でオフィスビル購入、立ち寄った青森でホテルを購入。金額はそれぞれ20億と10億。オークラヤで〜5000万円の物件ばかりを扱っていた私にとって、もう寒さが吹き飛びるくらい刺激的でした。
(風戸が買った札幌のビル)
不動産屋は夜行性夜な夜な銀座で情報収集。というのはあながち間違っていなく。良質な不動産情報を紹介いただくのはだいたいが会食を通じて仲良くなった「ブローカー」の方々。先輩に連れて行ってもらい銀座というものを覚えましたが、自分でお金を払えるわけでもなく(26歳の小僧にそんなこと期待されていない)毎日が勉強。帰宅が3時4時になることも多く、小僧の私は翌朝に頑張って出社するのですが、先輩方はお昼からというのも見慣れた光景。
会社が倒産!?
リーマンショック直前から不動産マーケットが怪しくなってきました。
そのような中でもその後働いていたファンド会社のダヴィンチは当時高額年収ランキング1位の会社。外資のような雰囲気の会社で、もちろん小僧の私は残業が100時間近くなり年収もうなぎのぼり。しかし、リーマン後風向きは代わり、以前働いていたクリードは倒産。仕事をしていたダヴィンチでも希望退職を募ることになり、真っ先に手を上げたのです。
結婚と起業!
起業の構想はリーマンショック前から既にありました。不動産ファンド会社で大型の物件取引から、開発もやったし、コンバージョン(立ち退きして住宅からオフィスに)、今では当たり前のリノベーションも。もうココまで経験させてもらって自信がつかないなんてことは皆無です!だから、起業を、もうやるしか無い!
でもリスクの前には結婚だ。ということで結婚してから起業しました。向こうの親に起業するから結婚しますというのって最高にクールですよね。当時はそんな事を考えていました。親になった今、自分の娘に「起業するから結婚しよう」と言う男が現れると思うと...ゾッとしますね。
また、ファンド会社時代の最後の上司がリーマンショック後で会社が倒産しそうな時にもかかわらず、すごいご祝儀をくれたのを今でも思い出します。オークラヤに引き続き、クリードでも人に恵まれました。
65万円片手に起業。
賃貸手数料無料のサイトを!
高収入の不動産ファンドで全く貯金していないという破天荒ぶり。自信だけは一丁前の28歳の面倒な若者(俺)。
起業して最初に作ったサービスは、賃貸手数料無料の物件を紹介するウェブサイトです。その当時、3つ目の手数料無料サイトでした。
冷静に考えて、65万円で作れるわけがありません。そんなときに早稲田の商学部の同級生がエンジニアになっていたのでお願いしました。なんと30万円で引き受けてくれたのです。今思えばこれも涙モノです。しかもフロムスクラッチで創ってくれたのです。
売却のミカタ!
起業してやりたいことは3つ有りました。
1.賃貸手数料は無料にできると思っていたので、そのサイト
2.不動産を売るときに最も良い条件で買主を見つけてくる売却のシステム
3.投資用不動産をファンド会社にいる投資責任者レベルで個人へのコンサル
2つ目のビジネスは理念先行で行っていたことですが、このビジネス、「売却のミカタ」がやがて日本全国に広がって、ソニー不動産になったわけです。その経緯はちょっとながくなったので割愛させて下さい。またどこかで書きますね。
ソニー不動産創業
ソニーへ会社を売却し、ソニー不動産(現東証一部上場のSREホールディングス)へ社員と一緒に参画しました。私の一般的なイメージは「ソニー不動産の人」というものかもしれません。
ソニー不動産もファンド会社時代と同じくらい刺激的な会社で、ソニーからきためちゃめちゃ優秀な人たちと不動産の未来を議論できるなんて夢のようでした!自分は不動産仲介領域の執行役員としての参画。前の会社の売上から1年少しで5倍になりました。というと「俺がやったよ!」的に言う人いますけど、社員のエージェントが創った数字です。私は優秀なエージェントやコーディネーターの採用をして、成長できるような適材適所や新しい事業のコンセプトを考えていたという期間です。ここでも人に恵まれました。
海外に行きたい!
そう思い始めたのはソニー不動産の仲間と仕事をしたから。彼らは常にアップルやアマゾン、サムスンといった海外の巨人たちを見据えながらビジネスをしているのです。ソニー不動産に新しく入って来る人や、ソニーから来たエンジニアと話をする中で、自分があまりにも国内のことしか考えていなかった、視野が狭かったことがわかって恥ずかしくなりました。
そして、自分はキャリアを通じて、不動産という業界を愛するように。だからこそ、これから不動産屋になる人を増やしたい。そのためには、まずは自分が「不動産屋ってかっこいいじゃん」って思ってもらえる人間にならないと、不動産業界ってクールにならない。
海外でビジネスをしたい、そしてかっこいい不動産屋になりたい!
でも、英語は話せない、読めない、海外経験はハワイとグアムだけ。飛行機も苦手。
私はソニー不動産を退職、都内の英語学校に通い始めました。
Property Access創業
そして今、Property Accessという会社でその夢を叶えつつあります。"かっこいい不動産屋"になれたかは確かではないですが、シンガポールで創業、東南アジアに支店をもち、海外と日本をつなぐビジネスをしています。今の事業に関してはnoteが長くなってしまったので詳しくは別の機会でお話しさせてもらえたらと思います。
そしてProperty Accessでも私は人に恵まれています。シーラというビジネスパートナーに出会い、信頼できる仲間に出会い、お客様に引き合わせていただきました。
アンダーズ東京で行った主催の日本国際不動産アワードで
プロパティアクセスチームと
ソニー不動産では不動産業界のDXをテーマとして取り組んだ私ですが、それでもなお「不動産は人だ」とつくづく思います。
これはらくだ不動産の皆さんです。皆さん本当に素敵な人たちです。
以上、風戸の不動産偏愛歴でした。
そして、最後にお知らせです。
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