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変わり者の経営者に告ぐ

よく経営者や起業家は変わり者と言われたりする。これを聞いて喜ぶ経営者もいれば、興味もないと素知らぬ表情を見せる経営者もいよう。

確かに、私の周りの経営者を見渡してみると、私の年代(40歳)では自らの意思で起業をした経営者、もしくは親世代から経営権を引き継いだ人が多く、大企業における株式を所有していない(していても少しだけの)サラリーマン経営者との接点はほぼない。40歳でそのような立場にいる人が少ないからでもある。

経営者、特に起業家には、一定の不調和なところを持ち合わせていたり、熱量の上下幅、巻き込み方や巻き込み力などが一般平均から著しく突出(欠如)している事が多いようにおもう。

だからといって変わり者として言われるわけではない。それは「マイノリティ」であるという理由が正しい。昨今はLGBTを始めとしてマイノリティ(少数派)に対しての偏見は30年前とは随分変化してきた。経営者を日本の会社の数からして考えると(個人事業主としての社長を含む)およそ420万人の社長がいる。もちろん延べ人数であるためもっと少なくはなるが、それ以外の人は社長ではない。少数派となり、大多数の人からするとその立場を選択したことすら変わっているということになる。

当たり前だが従業員や中間管理職と仕事の内容が異なるので見ている景色も変わってくる。話も通じなくなってくるし、従業員と過度に仲良くなるというのは「労使」という関係性からも適切ではなく一定の距離を置くようになる。イメージはクラスの中でいつも一人でいるあの子という感じだ。経営者が相談できる相手は社外だったりする。度が過ぎればクラブのママに愚痴を叩いたり、ということにもなり。課題解決からは遠のいていく場合もある。

素養について言えば、前述したように、突出(欠如)している何かがあることも事実だ。ただ、経営者になるまでにその素養が強かったというと、私は必ずしもそうではないと思っている。

その過程は、起業をして見ている景色が変わり、付き合う人が変わり、社員との関係性が従業員時代から変わり、孤独も感じ形成されてくる変化であって、最初から持ち合わせていたものではない。違いは一歩を踏み出した決断と、そうなりたいと心から思っていたというだけ。



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