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#21 私の渋谷~今昔~ 拾った生命
ようこそ♪ 風瀬です( ´ ▽ ` )ノ
本日より3rd シーズン🍃
前20話を読み進めてくださっている250名のみなさま、
通りがかりにお読みくださったみなさま、
ほんとうにありがとうございます✨💖✨
そしてここからお読みくださるみなさま、はじめまして。
全40話を目指して11/1に連載をスタートしました
当 自分史エッセイ 。
この40話は33年前の私と並走しております🐾
1991年秋〜1992年春
あなたはどこで暮らし、
何に夢中になっていましたか?
1991ー1992年
私はちょうどこの2年間を、
渋谷区宇田川町にあったとあるゼネコンさんで
8:45〜17:15派遣社員として働いていました。
9月末から半年間の(火)と(金)は22時ごろまで、
つまり、起きている時間のほとんどを
この丸のエリア内で過ごしていました。
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(火)&(金)の夜は、
仕事終わりに徒歩3分、青い★印まで移動し
渋谷ビデオスタジオ 内にあった
東京アクターズスタジオ という
俳優養成所に休まず通っておりました。
こんな昔のお話を今まとめることにしたきっかけは、
#ムロツヨシさん と #西島秀俊さん が
目をキラキラさせて話している姿を
テレビ番組で見てしまったこと。 (詳細は第1話)
「2人は同じ俳優養成所出身」と言う話題で、
私はそれを見ながら大興奮❣️
なぜなら、私も出身者のひとりだったから。
東京アクターズスタジオの塾長は、
TBS ドラマ『ふぞろいの林檎たち』の
プロデューサーとしても著名な 大山勝美先生。
🟦1st シーズン (#01〜#10)
では、
断捨離でも捨てられなかった保存資料から
主にその概観を、正確にまとめることを心がけつつ
33年前の私の置かれた環境についても記しました。
ご指導くださった先生方をご紹介することこそ
大きな目的だったのに、
この期間中のご紹介は1名だけでした。
🟦2nd シーズン (#11〜#20)
では、
俳優養成所なので、実技を磨くことが目的のはず。
にもかかわらず、微に入り細に入り
事細かにメモしている私が居りまして(笑)
その記録&記憶をなぞりながら、
自分なりに別の目的があったのでは?と
考察もしてみました。
5名の先生方との思いがけないギフトやご縁も
綴ることができました。
🟦3rd シーズン (#21〜#30) は?
本日それがスタートしたわけですが。
このタイトルにもしましたように、
~今昔~ (いまむかし)
を綴ることになりそうな予感。
当初は極力資料に基づいて、
私の 居た場所・得たもの を、
デジタルデータに残したい!と思っていて、
それは変わりないのですが、
まだスマホもはもちろん
パソコンも持っていなかった当時は
その場で見聞きしたことだけがリアルな情報で
先生方のご活躍に触れていない場合は、
情報も映像もすぐに知る手立てがありませんでした。
ですので、今まとめることにより
手軽に検索できるたくさんの情報から
先生方の手がけた作品や、プロフィールも
改めて知ることができていて、
とにかく発見が多いのです。
そんな宝探しが、
ここからも楽しみでなりません💕(*´꒳`*)
また、私自身は、
欠かさずレッスンには通ったものの
その道は歩いておらず、
情熱いっぱいのあの毎日はなんのため?
と、
この2ヶ月半自分に問うてきたところ、
まったく別の道に見えた今と、
当時の学びがとても深く結びついていることにも
気づき始めています。
その辺りを、自分で整理整頓し、
自分なりに言葉にできたらと思う
連載折り返し地点を迎えた現在です。
先生方のご紹介は、
それぞれに書きたことが溢れますが、
全14名のうち未だ9名が手付かず(^-^;)
補足したい先生もいらっしゃるので・・・
5名はご紹介したいと思っております。
こんな調子ですが、
連載後半も、どうぞよろしくお願いいたします。
あなたのあの頃・あの年頃と重ねながら
お楽しみいただければ幸いです✨💖✨
本日の渋谷にて (写真)
先週予告したので、
本日はりきって写真を撮ってきました♪
青井陽治先生と冨田浩太郎先生につながる
第18話で綴ったエピソードでは、
パルコ劇場の話題もありましたので、
今日は生まれ変わったパルコへ出かけ、
劇場のあるフロアや、屋上にも上がってみました🌈✨
厳選5枚だけ貼りますね♪
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1/21・22 に『ラヴ・レターズ』上演❤️
タイムリーすぎるっ💕
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渋谷ビデオスタジオ跡地に立つ
Abemaタワー
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井の頭通り(西武A館とB館の間)
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(NIKEとMODIの間の坂)
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中央奥がAbemaタワー
〜渋谷ヒカリエ10Fより〜
・・・以上、最新の渋谷区宇田川町レポート、でした❣
さて、私のこともまた少し語ります。
どうして、東京アクターズスタジオの日々を
文字データで残したいと思ったのか?
と考えた時、
今、先生方の年齢になった私自身が
次世代に手渡したいもののヒントが、ここにある
そう感じているようなのです。
東京アクターズスタジオに通った年齢の2倍以上を
生きてきて、たくさんの出会いや経験があった中でも
自分でも 情熱が輝いていた と自覚できる瞬間が
詰まっている半年なんですよね。
東京アクターズスタジオに辿り着いて、
誇りを持ち謙虚かつ情熱を湛え先生方や、
希望に瞳を輝かせる仲間に出会えたことは
どう考えても 幸せで、貴重で、
この連載を始めて以来
あらゆる方への感謝が込み上げています✨💖✨
キラキラの宝石が詰まっている
私の人生のおいしいところ の大きなひとつ
そう確信が強まる一方です。
シナリオに興味を持った原点に当たる時期を
辿ってみたところ、
これは欠かせない
と感じたエピソードがありましたので、
それも記してみますね。
拾った生命
高2の冬休み直前、
下校し最寄駅から自転車で帰宅中
三叉路でワゴン車と正面衝突‼️
という交通事故に遭いました。
自転車と一緒に
ワゴン車のルーフより高く跳ね上がり
道路に落ちました。(運転手談)
うつ伏せで道路に平らに寝ている私。
その後、
ぐにゃりと軸が曲がり
大破した自転車も舞い落ちました。
が、まるで私を庇うように
ワゴン車と私の間、
ギリギリ重ならない位置に。
左足の親指だけがちょっと触れた感覚。
・
・
・
衝突直前のヘッドライトの眩しさ!
それだけ鮮明で、
その後着地までの間の記憶はなく
一瞬のはずですが、
体感では
奥行きある数分間 ・・・
私はきっちり走馬灯を見て
やわらかな光に向かって
スローモーションで
いろんなことがあったね・・・
よくやってきたね私・・・
みんなありがとう・・・
みたいな心持ちになっていました。
と同時に、
それなりに不思議体験がありまして。
・・・ここはファンタジーとしてお読みください・・・
この日より3年前に他界していた
第13話の隔世遺伝でご紹介したあの祖父が、
包み支えてくれたような感覚があり、
小学生の頃飼っていた大好きだった愛犬
本当に心優しい秋田犬の せんひめ(千姫号)が
そっと地面と私の間に滑り込んで・・・
クッションになってくれた、
気がしました。
あれ?
おじいちゃん?
せんちゃんも?
ありがとう。。。
・・・・・・・・・・・・・・ここまで・・・・・・・・・・・・・・
そのおかげなのか、
2m以上跳ね上がったのに、
奇跡的に
ほぼ水平に全身で、
それも、
うつ伏せで着地したため頭も打たず、
(バク宙? 横捻り?)
左頬だけザッと道路に擦った傷と
自転車が触れた足指に少しの痛みを覚え
ゆっくりと意識が戻ってきて・・・
慌ててワゴンを降りた駆けてきた運転手が
「大丈夫ですか?!」という声が聞こえ、
一応「痛い」と口に出してから
「はい」と答えました。
目の前の家の方が救急車を呼んでくださり
病院へ行くと。
時間外診療にあたった老医師に
私は多分、気が動転していて、
まだ全身の痛みもなく
頬が熱を持ってヒリヒリしていることを
伝えたのだと思います。
「こんなの怪我じゃない!」
無傷だからと特に検査もなく
(今では考えられないことですが)
迎えにきた母と一緒に返されました。
大きなショックと共に
文字通り 命拾い して、
私はうっかり簡単には
そちらの世界に行けないのだと痛感し
まだやり残したことがあるのかも?
そう感じた出来事でした。
期末試験を終えた頃で
ちょうど週末休み。
外傷はほっぺだけなので
そこにガーゼを当てて
週明けから学校に通いました。
が、全身打撲だったため
その後、夏頃がピークとなる後遺症が
かなり辛くなって。
汽車(!)で1時間、自転車30分
片道計90分の遠距離通学。
朝は大事をとって新学期はじめまでは
私の高校よりさらに遠くまで車通勤する父が、
ついでに校門まで送ってくれて、
帰りは汽車通学を続けました。
でもそれも徐々に難しくなり、
高校に自転車で通える範囲の
伯父宅に下宿させてもらいつつ
卒業までの15ヶ月、
ホームルームだけ出席してから
ほぼ保健室で過ごしました。
鈍痛もあり、集中時間も短かったその時期。
気を紛らせ楽しむことができたのが、
詩集や、
児童文学、
そして、シナリオでした。
身体は傷ついても
空想の世界は健やかで自由だった
からでしょうかね。
今日は、ここまで。
今日は午後まで宇田川町で予定があり、
尚かつ写真いっぱい撮りすぎて
まとめたりして、なんとか今日のうちの投稿に。
おもちゃ箱? 幕の内弁当? みたいに
色々詰め込みましたが、
楽しんでいただけたら幸いです✨💖✨
では、次回は1/21(火)の多分夕方に♪
どなたさまもどうぞあたたかくして
素敵な週末をお過ごしくださいませ.。,:*☆
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