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#13 「ときめき」は羅針盤

みなさま、こんにちは❣
忘年会シーズン、お元気にお過ごしですか?

日曜の満月、綺麗でしたね✨🌕✨
寒くなると寝具が急に薄く感じて
毛布みたいな暖かいカバーを買ってきたら
ぬくぬくです💕

本日は、冴え冴えとした冬晴れの空を
窓外に見ながらこれを綴っています💙


いつも以上に自分語りメインですが

33年も前のことを、
私がどうしてこんなに事細かに
メモしていたり
記憶しているのか・・・
自分なりに考察してみました。

お楽しみいただけたら幸いです🌈✨



あなたの一番古い記憶は何歳ごろですか?




私は、
いつも天井を向いてて
オルゴールメリーがくるくる回って
陽の光が綺麗でチャームが揺れて
優しい音とモーター音がして♪

その映像記憶には自分の手は見えず
うまく動けなかったのだと思うので、
多分0歳。
この映像が脳の捏造でなければ、ですが。

高卒で共働きだった当時の父母。
母によれば、
笑わない子で有名」だった私は
同時に「泣かない子」でもあったので
勤務していた繊維メーカーの事務所に
ベビーベッドを持ち込み、
仕事中、ずっと寝かせておいたらしいw

私は第2子。
きっかり15ヶ月違いで
にこにこ笑顔で有名」な兄も
同じベッドで絵本など見たり、
時々あやしてもらったりしていたはず。
まだコミュニケーションを取れなかったから
そこは記憶にないのですが。

あんたはハイハイしないで立ったのよ!
そう目を丸くして、どこか得意げな母。

お母さん、それは狭かったから。
柵に囲まれてたからよね?(笑)

ゆき1歳。撮影:父
笑うものか!

母による絵本の読み聞かせの記憶はなく
2〜3歳頃、母激推しの

『おはなしコンサート』


というレコードシリーズが家に揃えられ、
幼稚園から帰ってきた兄が
プレイヤーで再生してくれて、
ずっと、何度も、2人で聞いていました。

おかげで、
兄は小さい頃から物語の創作も上手に。

兄の入園式。
母の勤めていた繊維メーカーの生地で
作られたワンピース。(笑う機能OFF)

私もストーリーと声や歌をほぼ暗記してて
場面を想像する癖がついたのかも。

すっかり話を聞くのが好きな子に育った私。
人が1度話してくれたら、たいてい覚えるので
小学校の頃、授業も宿題なども
知らないことは、あまりありませんでした。

 ※でも一部例外もありまして。
  高学年以降の社会科、
  特に流通や歴史はずっとピンとこないw


身体能力は高くても、
食も細く、身体機能は弱く
毎月1度は発熱か腹痛で休んでいたので
授業に出ていないところは教科書で補います。

年子だけど2学年上の兄を横で見てきた
第2子の特権かと思っていたのですが、
どうもそれだけではなかったような。


神経衰弱?


小学生になる頃、トランプをいただいて
ルールがシンプルで幼くても楽しめる
シンケースイジャク(←変な名前ですよね)で
遊ぶようになった時、
苦もなく当たるので
いつもいっぱいとれて楽しいだけ。
神経が衰弱することはありませんでした



そんな私が思う

キーワードはこの5つ。



金田一少年のように

ⅰ  じっちゃんの


名にかけて!

・・・いるわけではありませんが (笑)

この記憶力は、
隔世遺伝が一番の要因かと。


父方の祖父母が年老いたので
誰かが田畑や家の後を継ぐ必要があり
6人兄弟姉妹のうち何故か三男の父が
東京の会社を辞め、それを任されました。

そのおかげで、
幼少期は都会の核家族育ちだった私も
中2の秋までの8年半、
おじいちゃんと一緒に暮らすことが
できました。(享年82歳)

祖父は耳が遠くなり、また声もかすれていて
なおかつ、関西弁だったので、
挨拶や受け答えはできても、
あまり会話にはなりませんでした。
そのため、母から聞かされた話になるのですが。

祖父は若い時からとても記憶力がよく、
地域(5つほどの町・多分隣の郡まで)の
細かなことを知っていて
コンピューターの無い時代の生き字引
家の農業の他に、それを活かしたお勤め
(公的機関ジャンル不明)もしていたそうです。

そんな祖父から受け継いだと思われる

1度聞いたら忘れないメモリー


搭載


ⅱ 人生の大きな変化


第4話でご紹介した渋谷区宇田川町に
縁ができる頃にも吹いた人生の季節風🍃
他にも何度かそんな出来事がありました。

ビフォー👉アフターの差が大きく際立ち
かつ、時期を特定しやすく
部分的に記憶が鮮明。


🍃5歳

都会のアパート暮らしから、
父の実家である100年級の大黒柱のある
1階建の古くて広い田舎の家へ引っ越し。
銭湯はなく、薪で焚く五右衛門風呂に!
家族は4人から8人に!

電気もガスもありますが、
同じような年恰好の兄妹だった
ドラマ『北の国から』の純と蛍の
その境遇に共鳴・共感していました。

🍃17歳

高2の冬休み直前、交通事故。
全身打撲による後遺症がかなり辛く、
ホームルームの後ほぼ保健室で過ごしたので
高3のクラスの記憶はほぼありません。

高2の秋ごろまでの記憶は生き生きとしていて
痛みから解放されてくると記憶も鮮明に
なってきた気がします。

心身ともに健やかであることは
私の記憶の大切な要素だと感じます。

🍃出産

人生の一大事!ここを境に祖父譲りの
1度聞いたら忘れないメモリー
機能しない場面が激増しました。

TV番組の特集なども、
「あれ?これ去年も聞いたよなぁ
 なんで同じことを話すのかな?」
という感覚から、
 「前に見たけど中身覚えてないかも」
な状態へ。

自分が変わってしまったようで
一時ちょっと怖かったけれど、
その後も、

興味のあることだけはしっかりメモリー


その他は忘却 という
人間の持つ素晴らしい機能をフル活用できて、
取捨選択が顕著になり、
その分、キャパも回復!?

年月は、人間の救いである。
忘却は、人間の救いである。

by 太宰治(お誕生日がお揃い)

まさに!

ⅲ 3度め


初めてのことって新鮮で
深く記憶に刻まれることが多いですよね。

それとは別に、
繰り返し訪れる状況や
過去に経験したこととの違いで
記憶やポイントを整理整頓でき、
より深く理解できることもありますよね。

第1話でご紹介した
この連載のきっかけとなった
だれかtoなかい』(フジテレビ)では

2024.09.08放送『だれかtoなかい』(フジテレビ)より
2024.09.08放送『だれかtoなかい』(フジテレビ)より

#ムロツヨシさん#西島秀俊さん
この道に入る一発目が
東京アクターズスタジオだった
」と
話されていました。


そう思うと、私は
自らの意思で門を叩くのは3度目


1度めは、神戸。
新聞記事の広告で見つけた
新しい事務所のオーディションに行き
そのメンバーで構成される
小さな劇団の初公演が
私にとっても初舞台でした。

山田太一作品について前話で触れた通り
私は、映像を作る場所、
シナリオのキャラクターが
生き生きと動き出す現場を見たい!

という気持ちを強く持っていました。

当時、関西で現代劇のドラマはあまり
制作されていない(見学は難しい)からと
TV番組のスタジオや、太秦の撮影所へ
見学に連れて行ってくださった社長から

ゆきちゃん、
本当にそれがみたければ
東京へ行きなさい

とエールをいただきました。


2度めは、保育士の時。
神戸の短大を卒業し、
都内の大学生だった兄の住むS区の
公務員試験に運よく合格して
職員寮に入ることで両親も納得し
晴れて上京した私。

だいぶ仕事に慣れた頃、
土曜までシフト勤務でも通える
日曜に開いている養成所を見つけました。

でもその後、入院〜退職するほど
保育の仕事は体力的には過酷だったので
通えたのは1年ほど。


そして、3度め
人生の季節風🍃 が運んでくれたのが、
東京アクターズスタジオでした。

それぞれに良き出会いや特徴があります。

求めよ、さらば与えられん

を地で行くように
段階的に、
自分の心が本当に求める場所に
近づいて行って・・・

開校式に 「泣いてしまった」
私がいました。

そんな私ですから、もう
東京アクターズスタジオの

目に映る全てのことがメッセージ🎵
 ↑脳内BGMはユーミンでよろしく

余さず記録しておきたかったのでしょう。


・・・ そうだったのね、33年前の私! 


ⅳ 「ときめき」を信頼する


今、美徳のファシリテーターとして
活動する私ですが、
その資格認定を受けた14年前の研修も
担当くださった忘れられない恩師がいます。

その1年半後に天に還られたので
直接お会いしたのは2度(計5日間)。

でも今も色鮮やかで、
ずっと大切にしている言葉が
いくつもあるのですが、
そのひとつを
私がその資格につながる入門ワークへの
参加をまだ決めきれずにいた時に、
ファシリテーターの先輩が

ときめきで選んでいいのよ

と、ご自身の体験も語ってくださって
より印象に残っています。


私は高校の頃まで、
かなり忙しくはあっても、
四季折々の自然の中で
兄妹や近所の友だち、
そして犬や猫、音楽で遊びながら
まぁまぁ楽しく過ごしていました。

近くにお店もないですし
今ほど情報もなかったので、
特に欲しいものもなくて
お小遣いがなくても困らない。

できないことを言っても仕方ないと
どこか冷めてもいたので
それほどわがままも言わず、

考えてみると、
いつも消去法を多用しながら
大きくなってきました。

また、成長するにつれ
どっちが得か?の打算が通常モードで
それができないと、おバカさん扱い。
・・・ではあったのですが。


私の記憶もそうであるように、
結局、

純粋に興味のあること
心が動いた瞬間
つまり、

生きている実感がもてた時


今の私を元気にしてくれたと
思うんですよね。

なので、
ときめき=羅針盤
が、オススメです!


ⅴ 探しものは何ですか?

↑BGMは斉藤由貴さんバージョンで♪


シナリオのキャラクターが
生き生きと動き出す現場を見たい!

その一心で上京し、
ちょっと時間はかかりましたが
幸いなことに東京アクターズスタジオに
たどり着けた私だったのだと
本日綴ながら気付かされています。

その、なんだかわからないけれど
心が渇望するような、
どんどん湧き出てくるような情熱が
もし見つかったのなら、

この先もやはり、
心に従って一歩動いてみようと
手を伸ばしてみようと
思っています。

それは、私のとっての
得体の知れない大切な何か

そこにまた、
私の記憶に鮮やかに刻まれる
宝ものがあるはず。



本日は、ここまで。


またまた長文になりました。
今日も最後までお付き合いいただき
心より感謝いたします。

次回は12/20(金)にまたお目にかかります♪
また、レッスンに戻りますね。
どの先生のお話になるか、お楽しみに( ´ ▽ ` )ノ


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風瀬由季*𝑌𝑢𝑘𝑖 𝐾𝑎𝑧𝑎𝑠𝑒
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