#08 修了生の活躍とリアリティ
今日もご訪問、ありがとうございます❣
ぐっと冷えてきて、秋が深まります。
本編と関係ないのですが、
第7話をUPした後にみた山中湖の紅葉が
美しかったのでお福分け🍁
そんな光に浸りながら、
また思い出したことを綴っていきますね♪
レッスンはあと37回分ありますが、
今日は先輩修了生、
特に、私たち〈夜2期〉が手に取った
フライヤーにも載っていたおふたりの
ご活躍ぶりをご紹介しますね。
1990〜1993時系列
ここで、各期のサイクルを整理しましょう。
ざっくり一覧にまとめてみました。
視認しやすいようここからは、昼の期にも
別の括弧をつけ[◯期]と表記します。
月末月初は数日ずれる場合もありますが
初期4年間は、大まかにはこんな流れ。
色付けしていない枠の部分は、
オーディション〜開校式の期間です。
実際、私たちのレッスン期間中も
2/11(金)は各自の卒業制作のため
お休みだったのですが、
多分この日に、
[4期]のオーディションがあったかと。
こうして整理すると
「期間は半年」と認識し続けていたのは
オーディションを含む期間で
私たち〈夜2期〉の場合、
レッスン期間はきっちり5ヶ月。
後ほど紹介しますが
91年秋〜93年については
手元に資料があります。
それ以前の2つの実施期間は、
記憶している当時のお話からの
あくまで予測になるため
「?」を付けてあります。
今後また、資料や証言で明確になれば、
随時、画像を差替えますね。
「活躍中の修了生」
第3話にも載せた第6期募集フライヤー
その裏にこんな紹介があります。
私が最初に手に取った3期の募集から
載っていたこのおふたり。
レッスン中にも、先生方から時々
そのお名前を伺いましたので、
東京アクターズスタジオ関係者であれば、
誰もがまず思い浮かべるお顔かと。
この連載を始めるきっかけになった
大活躍中の西島秀俊さんは〈夜1期〉💚
裕木奈江さん&中島ひろ子さんの半年後。
というか、
私のこの時系列予測が正しければ、
オーディションは1期の修了前。
入れ替わりで学ばれたと考えると、
1991年前半って、
かなり胸熱!ですよね💕
昼[3期]と私たち〈夜2期〉は、
西島さんたちと交代で通い始めたので
1期生である裕木さん&中島さんの
ちょうど1年後になります。
と、いうことは・・・
私が派遣のお昼休みに
渋谷ビデオスタジオ1Fの
素敵なレストランを発見した頃は
同時刻、まだおふたりが
その5階でのレッスンのため
渋谷ビデオスタジオに通われていた・・・
ということに。
そうだったのか😳 ←今気づいた
今もそのご活躍に、
勝手に元気をいただいている
おふたりを当時の私目線で
ご紹介してみたいと思います。
中島ひろ子さん
つい最近私が視聴したドラマでは、
『新宿野戦病院』(フジテレビ)
また以前、欠かさず楽しみに観ていた
『逃げるは恥だが役に立つ』(TBS)の
石田ゆり子さん演じる”百合ちゃん”の同僚役
などでも、嬉しく拝見しています💕
紹介にもあるとおり、
中島さんは、若くして主演なさった
1990年秋公開の映画『櫻の園』で
第14回日本アカデミー賞新人俳優賞🌈✨
令和の今ならいつでも気軽に
様々な配信でチェックできるところですが、
当時は、
ドラマなら”運よく再放送される”のを待ち、
映画なら、テレビ放映されること、
またはビデオ化を期待して、
もしビデオになれば・・・
旧作は1週間300円で観られたけど
新作はレンタル1泊2日500円くらいする上、
家の近くのビデオ店だと人気ヒット作品しか
あまり気楽に借りた記憶がありませんので
今の便利さ、ありがたさを痛感します。
何度も足を運んで発見できたら
半年以上経ってレンタルして観る、
そんな90年代初頭。
私はだいぶ後になって
TSUTAYAでビデオを無事発見できた
高校の演劇部を舞台にした『櫻の園』の
瑞々しいその青春群像劇を、
じっくり拝見しました❣
中島さんは、東京アクターズスタジオに
1期生として通われるまさにその時期に
受賞なさったということですよね!
その後も、[4期]募集時には
テレビ朝日『東京湾ブルース』レギュラー
とも記載されていて、
冒頭に記した通り、今も拝見するたび
とても嬉しい気持ちになっております✨💖✨
裕木奈江さん
だいぶ後になって、
文化庁の国費留学でギリシャで学ばれた
ニュースを驚いて見た覚えがあります。
あれは2004年だったみたい。
その後に拠点をアメリカに移され、
NAE名義での活動も長くなり、
アメリカで制作の『硫黄島からの手紙』や
人気ドラマにもご出演なさっていますし、
近年はYoutubeチャンネルでも
発信されているようですね。
私たちが通った頃、メディアの露出が
一気に広がった印象の裕木さん。
みなさんが、裕木奈江さんを知ったのは
どのタイミングでしょうか?
私が最初に手に取った[3期]募集時は
代表作が、1990年春公開の映画
『曖★昧★Me』(あい・まい・みー)
でしたが、私は残念ながら観ておらず、
お名前には認識がなかったものの
お顔に見覚えが!
この方を絶対知っている。
どこでお見かけしたのだろう?
と、家でもしばらく考えていたところ
思い出しました❣
本棚に数冊並んだ白い文庫本!!
この中に数人の10代と思われる
男女の写真が載っているのですが。
そのヒロインである少女:ユイコ!
ここが、
私の裕木さんとの出会いでした!
東京アクターズスタジオ修了後
すぐに
数々のCM、歌手活動、
ラジオではオールナイトニッポン、
1993年はドラマの大ヒットに
24時間テレビのパーソナリティーも
なさったり、
ご活躍が目覚ましく
印象深かったです。
フライヤー裏の紹介も
[3期]募集時の『曖★昧★Me』に主演に加え、
[4期]募集時には、もう1行
TBS『ふぞろいの林檎たちⅢ』に出演
が加わり、
[6期]募集時には、
『北の国から’92 巣立ち』に出演
と、毎号更新されて
ムロツヨシさんが手にしたはずの
翌年以降はきっと
『ポケベルが鳴らなくて』に主演
になっていたであろう
まるで出世魚のような裕木さん。
『北の国から』と言えば、杉田成道監督。
東京アクターズスタジオのフライヤーの
レギュラー講師陣にも常に
名を連ねていらっしゃるので、
ぜひお会いしたかったのですが。
私たちが通っている期間は、
どうしても日程合わず、
お会いできずじまいでした。
が、
その理由は修了後すぐ、明らかに!
松田タマコ役で裕木さんが撮影に臨まれた
まさにその『北の国から』スペシャルの
『’92巣立ち』の番組制作に
杉田監督が全力を傾けられていた
・・・その時期だったから。
リアルタイムで
世の中に見えていることと
私のいる場所がつながっている
そんな臨場感に満ちていた1991ー1992年。
面識はなくとも
妙な親近感も
芽生えていたりします🌱✨
その道を歩んでいらっしゃる同門の
みなさまを心から尊敬し、
応援しております。
はらり🍃 出てくる出てくる
前半に載せた時系列の表の根拠について
ちょっと補足します。
〈夜2期〉修了後の日程がなぜわかる?
実は、手元のたくさんのシナリオ資料を
レッスン順に並べようとしていたら、
またまた、はらり🍃
なんと、第4期と第5期の募集フライヤーが
出てきました!
びっくり😳 ←自分が一番驚く!
なぜ、その資料を持っているかといいますと。
私は派遣満了の1992年12月まで
第5話に登場したあのゼネコンさんに勤め、
相変わらずお気に入りのレストランで
ランチを楽しんでいたから。
長くなるので端折りますが、
表の集合写真には思いがけない方も写っていて、
やっぱり気になって手に取ってしまいますよね。
ちなみに、
最初に見つかった第6期募集フライヤーは
1993年春オーディションのもの。
その頃はもう別の派遣先(新宿)に居て
レストランに寄ることも無くなったのですが。
1992年秋案内があり、11月下旬に
2日間だけの特別クラスが開催されまして、
仲間と誘い合わせそれに参加した時、
先生に知り合いがいたら声をかけるよう
配布されたからなんです。
特別クラスでのメモも大事に保管しているので
40話完結後、紹介できるかもしれません。
余談ですが。
銀色夏生さんの白カバーの文庫本は、
高校時代に読んだ「わかりやすい恋」から
詩集数冊を、当時大事に持っていて。
〈夜2期〉に通った頃は
『君のそばで会おう』がお気に入りで、
その中から詩をひとつ書き写して
バインダーに挟んでいたくらい。
「わかりやすい恋」に登場した美少女は
森高千里さん。
歌番組やCMで拝見するようになって
「あ!あの本の!」とまた驚きました。
今もまだ本棚の奥にあったのを
今回の断捨離でも捨てられず。
大事BOXに収めましたよ。
第8話も長文になりましたが、
最後までお読みくださりありがとうございます。
読んでくださるみなさんの青春とも
時代の風や香り、その手触りが
重なっているでしょうか・・・
次回は、
東京アクターズスタジオの母体である
メディア・ワークショップ に
もう一度触れておきたいと思います。
では、今週も純粋に
心が喜びで満ちる大好きなことを
めいっぱい集めて
存分に楽しみましょうね♪