#02「東京アクターズスタジオ」って?
ようこそ♪
お読みくださりありがとうございます。
スキ♡やフォローがとても励みになっています。
第2回は、前回記した通り
今現在Wikipediaにも載っていない
#東京アクターズスタジオ について
その概観をご紹介したいと思います。
「東京アクターズスタジオ」は、
渋谷SEIBU のA 館とB館の間を
NHKに向かう井の頭通り沿い、
右手に東急ハンズとオルガン坂を見ながら
通り過ぎた左手(渋谷区宇田川町41-8)
にかつてあったテレビスタジオ
「渋谷ビデオスタジオ」内に設けられた
俳優養成所でした。
クラスは半年間毎に修了の短期集中で、
レッスンは週に2回 (火)(金)。
入塾すると
40回ほど通うこととなります。
メディア・ワークショップ
東京アクターズスタジオの母体は、
1984年4月に渋谷で開講した
「新しい時代の新しいメディアを担う人材の育成」
を目指すメディア私塾
「メディア・ワークショップ」。
代表取締役社長は、
渋谷ビデオスタジオの代表でもある
石井智 氏。
カリキュラムプランナーには
私たちが教えを受けた先生方とは
別のお名前が並んでいます。
渋谷ビデオスタジオ
現在Abema Towersのある
立地も良いエリアにて
2007年まで稼働していた
渋谷ビデオスタジオでは、主に、
お台場へ移転する以前のフジテレビの
月9ドラマの数々や、
当時の私も馴染み深いバラエティの人気番組
「ボキャブラ天国」「やっぱり猫が好き」(フジテレビ)、
世界まるごとHOWマッチ(毎日放送)なども
いくつか収録されていました。
懐かしい💕
ガラケーも生まれてない時代、
外観は一度も撮ったことがありませんでした。
ギリギリ残っててよかった❣
かつてはボウリング場だった
そう聞いたことがある大きなビル。
当時至近のゼネコンで派遣OLだった私は、
そんな建物だとはつゆ知らず。
その1階、
道路から数段階段を降りた
エントランスの脇にあったレストランに
週1程度のランチで
気分転換を楽しんでいました🍽️
女性ひとりでも入りやすく、
お味も雰囲気もよくてお気に入り💕
(井の頭通りに面していた多分「Le」か「J」で始まる(?)
フランス語だと思われる店名のおしゃれなレストラン
・・・覚えている方、ぜひ教えてください)
「受ける?」
そんなある日、
出入口のワゴンに重ねて置かれた
カラーのフライヤーに目が留まりました。
20歳前後の私服の若者が
黒板前に並んでいるだけのカラー写真。
白シャツに黒いエプロン姿の
スマートな店員さんの立つ
そのお店の雰囲気とはギャップが。
気になったので
顔見知りになっていたウエイターさんに
「こちら、いただいていいですか?」
と尋ねると、
ぱっと表情を明るくして、
「ぜひ、受けてくださいね!」と
にっこり手渡してくださいました。
それは、まだTV露出する前の
裕木奈江さんをはじめとする
1期生の集合写真。
前年開校したばかりの
「東京アクターズスタジオ」の
シンプルな3期生募集案内❣
食事をしながら
裏面の詳細説明を、たぶん、
目をまんまるくして読み、
どきどき持ち帰りました。
私たちのレッスンスタジオ
東京アクターズスタジオのレッスンには、
渋谷ビデオスタジオ5階の
エレベータホールにいちばん近い
空きスタジオが使われていました。
塾長は、「ふぞろいの林檎たち」等で有名な
TBSのテレビプロデューサーであり演出家の
大山勝美(おおやま かつみ)先生。
裕木奈江さんや中島ひろ子さんのいらした
1期は無料のお昼のコースのみでしたが、
2期からはオーディションに
合格すると無料で昼のコースに、
不合格でも希望すれば
学費を払って夜間コースに通えるシステムに。
つまり、夜間クラスは
1期分ずれてスタートし、
2期生と同時スタートの〈夜1期〉が誕生!
西島秀俊さんは、その〈夜1期〉クラス。
私たち〈夜2期〉メンバーの中に、
西島さんと同年代の大学生で
繋がりのある仲間がいたこともあり、
当時からお噂はかねがね!
勝手に親しみを感じ、
その後の活躍を今も眩しく拝見しています。
懐かしく
消えることのない
私の思い出の場所。
先週ちょうど、早朝渋谷へ
人間ドックを受けに行ったので
当時の出勤時間帯に
その界隈を歩きました🐾
2024秋の街並みも、添えます。
今日もお読みくださり
ありがとうございました。
1991年、
あなたは何に夢中になっていましたか?
次回は、
なぜ、東京アクターズスタジオは
受講料なしでスタートしたのか?
塾長の思いを残しておきたくて
下書きを進めています。
気に入っていただけましたら、
11/8(火)正午ごろ
またお目にかかります♪( ´ ▽ ` )ノ