イラスト大教室① 『ないものを見ない』
私がイラスト大教室というオンラインコミュニティを立ち上げて、5年目になる。
オンラインコミュニティを運営するようになるなんて、思ってもいなかった。
行き当たりばったりで、計画的に生きていないので。
10年前の私に、「イラストを描く人を応援する場所をネット上に作って運営してて、めっちゃ楽しいよ」と伝えたら、どんな顔をするだろう。
大学院修了後、何をするわけでもなく漫然とバイトをして生活を繋ぎ、子供ができて今の夫と結婚した。
出産という契機のおかげで、私はやっと社会に生きる人間になった。
就職からも逃げて、のんべんだらりと好きなように浮世離れしたまま生きてきた私。
出産をきっかけにやっと大人になって地に足をつけてみると、世間には、なくてもいい、苦しむためのしきたりや思い込みがたくさんあるように感じられた。
そのうちのひとつに、私も一時、絡め取られてしまった。
『もう、お母さんなんだから。』
誰に言われたわけでもない。
自分の中から繰り返し湧いてくるそれは、私の意思とは違うのに、私を執拗にコントロールしようとしてきた。
地味な服を着て目立たぬように、波風を立てぬように。
私は私を殺して子供のためだけに生きるように私を押さえつけた。
ふと見ると、優しかった夫も私を押さえつけてふんぞり返っていたので、立ち上がって夫とやりあって、その過程でだんだんと正気を取り戻してきた。
「うるせえ!母親になろうが、私は私だ!」
我に返った私は、猛然と自分にできることを探してどんどんやってみた。
Twitterで140字みっちり気持ちを吐き出し、ブログを立ち上げて記事を書き、絵を描く友人に声をかけ漫画家になるためのアドバイスをした。
目をつけた友人がホントに漫画家になりそうで、これはいけると絵を教える個人レッスンを開催し、1年くらいやったけど先生が向いてなかったのでイラストで交流できる空間を作った。
過去の私と私たちのために。
自分で作った苦しみに囚われた私を、私たちを助けにいくために、オンライン上に自分のままでコミュニケーションできる空間を作った。
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「こうあるべき」や本音と建前。
謝罪から始める会話、自己卑下と同時に見せられる成果。
まわりくどい言い回し、暗黙の了解、その場の中心人物の機嫌のための嘘。
どれも全部、本質ではない。
そういう余計なものをとっぱらって、本質部分で関係を築きあげられたらどんなにラクだろう。
「非難されたくない」「嫌われたくない」「非常識だと思われたくない」
そういった予防策からの自己防御が不要な場所があれば。
敵がいない、攻撃されないと安心できる場所にしたい。
見栄を張らなくていい、察してもらうための嫌味を言わなくても大丈夫な場所にしたい。
自分のままでいることは難しいから、その一助になれば。
その気持ちに気づいたのは、イラスト大教室を運用し始めてしばらくしてからのことだった。
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イラスト大教室がスタートした当初、メンバーの一部から「サボっていましたが」「イラストと関係ない話なんですが」といった発言がよくあった。
気遣いだろうその言葉がノイズに感じられて、一人一人に返信しにいった。
「サボった期間なんて他人は気づいてもないよ!今描いてえらい!」
「イラスト以外の話もしようよ!してOKって書いてるよ!絵描きの前に人間なんだからさ!」
走り回る私の姿を見て、個人レッスンの時代から事務作業を担当してくれている友人が
「いちいちツッコミにいってて、えらいねえ。」
と労ってくれた。
何か考えがあって話に行っていたわけではなくて、
「どうして余計なことを話の頭につけるの?やったこととか本題だけでいいじゃん!」
と思うままに動いていただけだった。
事務方の友人にそれを伝えると、
「ほんとに、気になるんだねぇ。」
と、ノイズをスルーできない私に驚いていた。
「画力がない」には「伸び代がある!まだまだうまくなれるって楽しみしかないね!」
「毎日アップできてない」には「自分が毎日続けられる人間だって自信あるのすごいよ〜!指で空中にマル描くのだって描いたうち!」
悪くないのに謝罪から話し始めて、がんばった自分を貶めて。
自分に対する期待値が高く、その評価基準に満たない自分を卑下している人が少なくないことがすごく不思議で。
『ただの肉の塊なのに生きててえらい』という基準の私より、ずいぶんハイレベルな悩みに苦しんでいる人を散見した。
どうして、頑張っているのに、やりたいことがあるだけでも充分素晴らしいのに、そんな風に自分を責めてしまう人がこんなに多いんだろう?
すごく考えて、みんなと色々な話をして、少しずつ正体を探った。
細かい理由は個人によって違うけれど、そういった発言をしてしまう理由は、自分を守るためなのかもしれない。
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サボっていると叱咤された経験から
調子にのるなと邪険にされた経験から
優秀な人と比較された経験から
何もしていないのに怒られた経験から
成果報告の前に、
「しばらく描けていなかったけど」
「私のレベルでおこがましいですが」
「毎日描けていないけど」
そうやって「悪いところは自分でもわかっていますよ」、と自己申告をすることで怒られを回避しようとしている。
周りの反応を自分の中で予測して、先回りして大事な自分を守っている。
予想外のことで傷つかないように、卑下して貶めて先回りして自分で自分のことを傷つけている。
なんてことだ。
イラスト大教室には監視する人も、怒るひともいないっていうのに。
こんなに、頑張って生きて、その上で描きたいと思って行動する素晴らしい人たちなのに。
ここにいない『自分を監視して隙を見せれば怒ってくる存在』の機嫌を伺っているなんて。
そうやって防御しなければいけないようにさせてしまった世間がつらい。
せめて、私がルールを作れるこの小さな空間は、そんな存在に怯えずに過ごしてほしい。
そう思って、大教室のポリシーに『ないものを見ない』を追加した。
Twitter(現X)を中心に応募してくれた、文章と親和性の高いメンバーたちは、大教室の各所に投稿される、私が作成した長い長い文章も平気で読んで理解してくれる。
ポリシー記事と呼ぶ「イラスト大教室で大切にしたいこと」の記事に『ないものを見ない』を追記したというお知らせにも、たくさん感想をもらった。
そこから一気に私のパトロールの頻度が下がった。
指摘されなくても、「やばい!今ないものを見てた!」と自覚して、まだない理想や取り組めなかった時間を注視せず、自分がやったこと、これからできることを見るよう意識する姿を見せてくれるようになってきた。
追記してから数年。
このポリシーが浸透してから入ってきた人たちも、方針に目を通してくれていて、「全然描けてませんが…」から始めることもほとんどない。
そんなに素直で、人の想いを汲める優しい人たちが、自分で自分のことを傷つけないでいいように。
安心して過ごせる場所にできるように。
『監視して隙を見せれば怒ってくる存在』は大教室にはいないから。
自分のままで、気ままに、思うように。
頑張れるときにがんばって、がんばれないときは休んで。
ないものを見ずに、できたこととできることに目を向けて進んでいけるよう応援できる場所であり続けたいと思う。
読んで頂いてありがとうございます。
カバーイラスト ぞん