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札幌軟石:石山で火砕流の恵みを味わう

ライトアップされる火砕流堆積物と現代アートが融合している風景に出会ったのは2005年。火山噴出物のこんな利用のされ方を見たのは初めて。

ライトアップされた火砕流とオブジェ群は札幌から地下鉄で数十分のところにある真駒内から、さらにバスで10分ほど行った先にある石山緑地にあった。

 緑に囲まれる白い地層は火砕流堆積物。火砕流とは、高温の火山ガスと火山灰が混然一体となって高速で山を駆け下ってくる現象で、火山噴火ではしばしば発生。白い火砕流堆積物の手前にある木々は数mの高さ。火砕流堆積物の厚さは木の高さを越える。上の画像右手の灰色のオブジェがある部分も火砕流堆積物。火砕流堆積物を掘り込んでオブジェがつくられている。これだけの厚さの火砕流を堆積させているのだからすぐそばに火山があるのかと思いきや、この火砕流をもたらしたのはこの場所から南に数十km離れた支笏湖。

支笏湖からやって来た火砕流

 石山の火砕流堆積物をもたらした噴火は4~5万年前に今の支笏湖の位置で発生。この噴火での噴出物の量は約100立方kmと推定されており、日本で起こった噴火の中では最大クラスの巨大噴火。100立方kmといったら、10km×10km×1kmの体積。それだけの量のマグマが噴火で地下から噴出したために、地表には陥没地形が出来て、支笏カルデラが誕生し、そこに水がたまって支笏湖となった。


 石山緑地の火砕流は、数十キロ南から流れてきたなんて、実際眺めてみたらどんな感じだろうか。そう思って、札幌周辺を俯瞰することのできる藻岩山の山頂展望台へ。下の画像は、展望台から眺めた石山緑地付近と、支笏湖の距離感。支笏湖といっても、湖面はもちろん見えず、支笏湖を囲む樽前山・恵庭岳を遠望。樽前山・恵庭岳は支笏カルデラが誕生した後に成長した火山。


支笏火砕流は札幌軟石となって活躍

 火砕流が堆積後も高温の場合には火山灰の粒同士が熱でくっつき(溶結)、キンキンに固まった溶結火砕流となる場合がある。石山緑地の支笏火砕流も溶結作用により園内の手の届く高さにある火砕流はどれも固まっていた。近づいてみてみると支笏火砕流は数センチくらいの軽石や岩片をポツポツと含む火山灰のレンガという感触。堆積物自身の重さがかかりながら溶結したためか、含まれる軽石は上下方向につぶされて扁平になったものが多い。結構な硬さを持つ一方で、普通の岩石に比べて、多少多めに空隙を含むために溶結火砕流は切り出しやすく、溶結した支笏火砕流は昔から石材として利用されてきたようだ。この場所が石山と呼ばれる由来がそこにある。石山緑地自体が石切り場跡を再利用して作られた公園。


 しっかりと強度を持ちながら、加工がしやすい程度には軟らかい支笏火砕流の溶結部分は札幌軟石と呼ばれ、石材として利用されてきた。札幌軟石は1871年に開拓使の雇われ外国人が発見し、本州から石工が呼ばれて採掘が始まったという。それ以降、札幌軟石は耐火性が高い建材として盛んに採掘されたが、1950年以降、石材建築に関する規制がかかるだけで無く、採石場周辺が宅地化したために粉塵公害が問題化し、1970年代には石山地区での採石の歴史は終了。open-hinata&今昔マップで味わう1916年(左図)と1975-76年(右図)の石山。


 石山緑地から北に2kmほどいったところにある藻南公園も石切り場跡を利用した公園。こちらには支笏の溶結火砕流がいかに石材になっていくかが分かる野外展示があった。

 野外展示の解説によると、まず火砕流堆積物の上部にある溶結していない部分や溶結が弱い部分を除去。この部分は軟らか過ぎて良質の石材には向かないためで、当時は“悪石”なんて呼ばれていたようだ。

解説によると採石の手順は以下の通り。石材として良質の溶結部分が露出すると以下のような順序で石が切り出されていく。

1.掘切り
 深さ30センチくらいの垂直な溝を碁盤の目状につるはしで掘る。
2.つるうち
 今度は垂直な壁面に楔(金矢という)を打ち込み、水平に石を割る。
3.小割り
 その場でさらに30×30×90センチくらいの大きさに割り、運搬しやすくする。
4.野取り
 切断面がまだ粗いので、規格どおりの大きさに整形。ここで石の角が欠けてしまうと石材にはならなくなってしまうので、この作業には相当な熟練が必要だったようだ。石山緑地や藻南公園の溶結火砕流には、採石されていた時代に付けられた切削痕が今でも残る。藻南公園の切削痕は、荒っぽくて人力でつけた感じ、一方で石山緑地の切削痕は機械がつけたような整った切削痕がついていた。

 整形された石材は、馬車をレールの上で走らせる馬車鉄道によって札幌の中心街へ輸送され、そこから北海道全体に運ばれた。札幌軟石を使った建築は、札幌市資料館小樽運河の倉庫群など、周辺のあちこちで見られるという。また、石材を運ぶために作られた馬車鉄道は、後に現在の市電へと発展していったという歴史

札幌軟石の街・石山

 石山という地名のとおり、札幌軟石とよばれた支笏火砕流の採石とともに周辺の街は発展してきた歴史がある。通り沿いには石材屋さんが今(2005年当時)でも残っおり、街を歩けば、札幌軟石で造られた建物や石垣をあちこちで見ることが出来た。灰色の基質の中にポツポツと軽石が含まれる石材であればそれが札幌軟石。史跡として有名なのは旧石山郵便局だった総札幌軟石造りの「ぽすとかん」だろう。このような史跡でなくても、住居やお店の建物などに札幌軟石が普通に用いられている。

 街の片隅には石山神社が鎮座。石山神社は、開拓民によって採石の無事を祈願し明治時代に創建。札幌軟石で造られた鳥居をくぐるとそこには札幌軟石で造られた狛犬が本堂を守っていた。


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