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登校前に「未来を花束にして」観賞

早起きして時間があったので、AmazonPrimeで「未来を花束にして」をみました。邦題が果てしなくダサかったので内容は気になってはいたものの観るのを躊躇っていた過去の私、今すぐ観なさい。

1912年のロンドンが舞台で、劣悪な環境の洗濯工場で働くモードはある日女性参政権運動を展開するWSPU(女性社会政治同盟)の“行動”の現場に居合わせ、彼女は“サフラジェット”と出会う。ひょんなことから下院の公聴会で証言をすることになったモードは自分を語り初めて“違う生き方を望んでいる自分”を見つける――というあらすじである。男性社会に逆らい声を上げ行動することによって日常を失い、投獄されることになっても闘うことを諦めなかった女性達。彼女たちのおかげで、私たちの今がある。
では今の日本の現状は彼女たちが求めた社会そのものだろうか?

日本人で初めて、自身と加害者の実名を公開して性的被害を訴えた伊藤詩織さんは、なぜ日本を出ていかざるをえなかったのか?人権団体「ヒューマンライツ・ナウ」事務局長である伊藤和子弁護士が、日本人女性が自分が危機的な状況に陥っても拒否できない背景には、「日本人が『NO』と言えない教育をうけてきた」ことがあると言っているように、被害の声をあげても男性だけでなく女性からも無視され、セカンドレイプを受けることを回避できないのが現状だ。

キャリアを傷つけたくないなら、今の職場に残りたいなら、差別的な扱いを受けても沈黙を貫き耐え忍ぶ必要がある。セクハラや強姦被害を訴えようものなら「売春婦」「ハニートラップだろ」と被害者が叩かれるのが、日本という国だ。

特に衝撃を受けたものでは、こんな事件があった。二十代のバスケ日本代表選手がユニフォーム姿で海外で買春をしたことが明らかになった時には、“若いから仕方ない”“かわいそうに”“彼の将来を考えて”と擁護の声があがり、一方で、国民的男性アイドルが十代の女子高校生に強制わいせつを行った際には、被害者の女子高生相手に“自己責任”“ハニートラップ”“○○君がかわいそう”と非難が浴びせられ、ネット上では被害者に対するセカンドレイプが目を覆いたくなるほど多く行われていた。

韓国の女性たちがソウルで#MeTooデモを行った際、演説者の一人である文在寅大統領はこう言った。

「法だけで解決することはできない。私たちは文化と態度を変える必要がある」

日本もこと女性差別に関しては、この段階に来ているのではないだろうか。もちろん、法も充分とは言えないが。

世界各地では#MeTooデモが盛んにおこなわれている。「未来を花束にして」では、窓を割り爆破しないと女の声を聴こうとしない男から自由を手にするために「言葉より行動を!」「闘い続けて」というセリフが頻繁に出てきた。言葉より行動を、なぜ日本では#MeToo運動が他国より広まらなかったか?その答えはここにあると思う。

日本には、国民が立ち上がり権力を覆した歴史がない。権利は闘い、手にするものという意識が希薄なのだ。その原因としては神の目より世間の目を気にする文化や“普通”から逸脱しないスキルを幼少時から求められることにあると思うが、今、私たちは声をあげ行動しなければいけない。

そういうことを改めて考えさせられる映画でした。

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