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X人称

ホームグランドが使えなくなって早数週間
中学校や町の土グランドで練習することが多くなった
高校時代は試合や練習は土グラが当たり前だったため抵抗はなかったものの、大人になり使用する機会がほとんどなくなった土のグランドは優しくはなかった
芝とは違う跳ね方、スピード、ボールの扱いに苦戦した
ボールの他に意識を向けた瞬間、ボールがトラップを擦り抜けていく現象が度々起こる
逆にボールタッチに全神経を集中すると視野が狭くなったり、プレーや判断が遅くなって相手に詰められてしまう
今までどれだけ恵まれた環境でサッカーをしていたか痛感した
芝のグランドでやっと持てるようになってきた余裕も土の上じゃ余裕を持つ暇すらない
「自分」のレベルや特性を知ってる周りからしたら余裕のない自分など良い的もしくはカモになる
ほぼ毎日共にボールを蹴ってる間柄だからこそ焦ったら視野が狭くなるところ、パターン通りにプレーしてしまうこと、スピードや体力がないところ、自分の短所は全部知られている
だからといって今の現状を受け入れて練習したって周りの評価は変わらず、信頼を得ることなんて出来やしない
練習の中で変化しないとサッカーは上達しない
技術はすぐには習得できないからやはり考えるしかない
監督から「2人称で終わるな。3.4人称は当たり前に出来るように」と言われる
確かに味方と自分2人で状況を打開しようとしてる
3人目、4人目を含めてプレーをデザインしないと当たり前のレベルへ行けない
特にサッカーは総勢22人で行うスポーツだし、そこに審判や環境など➕aの要素も加わってくる
まず2人称で締結している自分のプレーを変えないといけない(状況によっては2人用の戦術もあるがそれとはまた別)
頭が回ってなくても状況に合わせて無意識に使えるように使う戦術を覚えることに加え、構造上起こりゆる現象を予測して事実と照らし合わせた
(ここでいう構造はゲーム中、アクション起こった際に発生する数的関係や優位性、スペースの大小など)
またポジション、エリア、スペース、向き、見え方、人によって導き出す答えは違う
だからひたすら自分以外の立場になった時どう動くか考えた
まだ頭がパンクしてフリーズしてしまうが
また合わないときは周りに聞いて修正・実行したり、ゲームを上手くコントロール出来る人を観察して自分に必要だと思った要素を取り入れた
そんなこんなで強敵土グラで練習の約2時間ずっと頭の中フル回転させていると稀に考え方が変わる瞬間がある
考えながらしかできなかったことが状況を把握した上で選択肢として無意識に使えるようになったり
今持っている引き出し以外を使ってもっと自由に出来るんじゃねっと思える瞬間があったり
まあ失敗の方がクソほど多いし、フィールド組のように潤滑にプレー出来ないけど自分のプレーを毎日修正・実行しているとサッカーが楽しくてたまらない
凄くキツいけど
フィールドでは自分の他に味方が10人いる
相手11人、ルール、環境、あわよくば審判をも巻き込んでコントロールできたらクソ楽しいだろうね




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