東京カランコロンが解散した話
本当に好きだったバンドが解散した。
思い出をたくさん書きたくて放心状態でパソコンを開いたけど、言葉が全然出てこなくて困っている。なんとか、今書かないと、全部全部消えてしまいそうでいやで、拙い文章になっても構わないから、絶対に書き留めないといけないという使命感でなんとか言葉を絞り出している。
中学生の頃からのファンだった。私の青春の中にずっと一緒にいたし、私が本当に人生で一番辛さを感じた時に、泣きたくても泣けなくなってしまった時に、泣けたのは彼らがいたおかげだった。彼らがいなければ私はあの長い、出口がどこだかわからない暗いトンネルをどれだけ歩き続けたんだろう。知らないうちにここにはもう、いなかったかもしれない。そう思えるくらい、なんども救われた。もう、日常だった。中学生の時から使い続けているシャーペンみたいに。ずっと本棚に置いてある本みたいに。ずっと置いてあるぬいぐるみみたいに。東京カランコロンの音楽は、当たり前に私の生活の一部だった。
ライブが始まる瞬間も、最初も全然実感が湧かなくて、流れる音楽一つ一つ、何が流れても好きな曲だった。全部が好きで、メンバーが楽しそうに演奏して歌う姿が本当に好きだ。音源できく彼らの音楽も、MVで見ながらきく彼らの音楽も大好きだけど、東京カランコロンは、ライブでこそ光り輝くバンドだった。音源のように完璧で綺麗で感動する音楽じゃなくて、いびつでも、間違えても、音が外れようとも、そんなのは関係なくその場にいる人全員が歌って踊って、音一つ一つの心を高鳴らせて楽しんでいるのがわかるような音楽。
正直、彼らがここまでバンドを続けてくれるなんて、と思うことはたくさんあった。意見が合わないような話も何回も聞いていたし、曲を作る上でよく喧嘩をしていた話も聞いていたし、MCでの少し冷たい言葉にひやっとしたこともあった。個々の性格が偏り過ぎて、プライベートで遊んだことはほぼないとMCで喋っているのを聞いたこともある。それでも、音さえ鳴り出せば全部嘘みたいに一つの音楽となって、全員が笑顔になった。音楽は魔法だ、と私は何度も何度も思ったことがあったけど、東京カランコロンの音楽は本当に魔法だった。それは、聞いている私たちだけじゃなくて演奏している彼らにとっても魔法なのだろうなと勝手に想像したくらい(きっと、想像じゃなくて本当にそうだろうと、何だか確信できる気がする)。
カメラに向かって、指をさしたりウィンクしたり、言葉を紡いでくれるいちろーさんを見て、何度ライブ会場でこの人に釘付けになったんだろうな、と思ったりした。本当に一つ一つに夢中だった。『フォークダンスが踊れない』の「目があった?気のせいなのかな」という歌詞の後に「気のせいじゃないよ」と笑って目があったことも、いろんな曲ではしゃいで声を出した時に目がばちりとあったことも、掛け声に「いいね」と頷いてくれたことも、全部が思い出になって駆け抜けていく。恋心じゃないかと疑ったこともあるのが懐かしい。全てに高揚した。
いつのだったか、大阪のワンマんライブが始まって『恋のマシンガン』を序盤で歌っているときに、楽しくはしゃいでいたら、目の前のせんせいとよく目があって、後半で彼女が急に泣いてしまったことも覚えている。異変に気付いたいちろーさんがメロディを歌って、一連の曲が終わった後に何があったのか聞かれて、「みんなが楽しそうで泣けちゃった、ごめんね」と涙ながらに笑った彼女が美しくて、私も楽しくて嬉しくて感情がぐちゃぐちゃになってしまったことも忘れられない。声も仕草も全てが可愛くてふわふわしている彼女の、芯がとても強いところが、なんて美しいんだろうと何度思ったんだろう。
おいたんのギターソロが来る度にふっと、何度息が止まりそうになったんだろう。静かにギターを奏でながら邪魔にならないようにハモる彼の健気で、でも溢れる情熱に何度心を打たれたんだろう。楽しくてジャンプしてる私たちを見て笑いながら頷いてギターをかき鳴らしてるのを見て、嬉しかったことを思い出す。今この、コロナ禍だからこそ、余計思う。お互いの気持ちが高まりあって、あの楽しくてたまらない音楽ができていたこと。ギターを弾く時の顔がいつもいつも本当に嬉しそうで、この人はギターが本当に好きなんだなと思う瞬間が、本当に好きだった。
全ちゃんの意味の分からない言葉の節々に何度笑ったんだろう。いつも私たちを楽しませようと、考えてくれていたのが…彼が見てたら考えてない、と言いそうだけど…考えても考えてなくても、その心が嬉しかった。不思議なことをいつもいつもずっとしてて、言葉もボソボソしてて「なんて?」ってよく思ったけど、彼がどこまでもまっすぐで真面目な人だってみんな知ってたよ。物販に出てきた時にすごく丁寧に「ありがとうございます、へへへ」って、ステージにいる時みたいなあの笑い方で笑ってて、佐藤全部はどこにいてもどんな姿でも佐藤全部なんだろうな〜と思った。今日のライブで誰よりも真面目に喋っていて、やめてよ、と思っちゃった、初めて本当の気持ちをたくさん喋ってくれて本当に嬉しかった。
むー氏のドラムが、何年もライブを聞きに行っていて行くたびに感動したのに覚えている。ある日、「前までよく、テンションが高い曲が連続するとBPMが走ってたのに、こんなに安定するようになったんだ」って急に気付いて泣いてしまった時があった。フロアでワンマんの時、なかなか見れないむー氏をじっと見つめてた時に、ただただドラムと音楽に没頭する姿が見れて、いつも見えにくい場所でこうやって音楽を支えてくれてたんだなあとまた余計感動した。たまに喋る言葉の一つ一つになんかきらめきがあって、MCでむー氏が喋ってくれると嬉しかった。
そんな…もっと書けないくらいのいろんな気持ちがずっとぐるぐる渦巻いていた。この会場に行って、また踊って、歌って、掛け声をして、お互いの顔を見るだけで楽しいと伝えられて、彼らに私たちのいっぱいいっぱいの気持ちが空気だけで伝えられるあの空間に行きたいって思えば思うほど、もうそれが叶わないなんて、なんて悲しいんだろうと思ってたくさん泣いた。また「どうしまして」って言いたかった。
最後のラブミーテンダーの歌詞をなぞりながら、本当のこの歌詞の意味に初めて触れた気がして涙が出た。知りたくなかった。まさに「失って初めて気付く」というありきたりの言葉が当てはまって、こんなことってないよなあ、と思って泣いた。
伝えたいことがたくさんあったのに、最後の最後に、彼らは私たちの顔も声も聞かずに一方的に「ありがとう」って言っていなくなってしまうんだ。
ラブミーテンダーを歌うせんせいは、涙を流さずに、凛と、優しい顔で歌っていた。いちろーさんが、くしゃくしゃに顔を歪めてギターを引く手を止めそうになりながら演奏していた。むー氏はいつもみたいにビートを刻みながらみんなを支えていて、おいたんも愛おしそうにギターを奏でて、全ちゃんが笑いながらベースをいつもみたいに抱きかかえていた。
それだけで何だか、十分だった。誰が言い出したのか、みんなで空気で決まったのか、どうして解散という結論を出したのか分からなくても、あのみんなの空気と顔が、全てだった。私たちと向かい合って奏でた音楽じゃなくて、最後に、全員が丸くなって、お互いの姿だけを確認しながら、お互いの音だけを聞いて奏でた音楽で、この10数年間が、どれだけ大きくて大変で大切で、言葉にできないくらいのものだったか、全部分かった気がしたんだよ。
最後、彼らは消えて途切れそうな音を、逃さないように、一音、一音、そっと重ねて、どんどん重ねていって、消え去らないように、足掻くみたいにかき鳴らして、かき鳴らしてかき鳴らしてかき鳴らして、音が途切れる前にそっと楽器を手放した。一定のギターの音がずっと鳴り続けていた。消えないで欲しい、と思った。ずっと鳴り響いて、ただただ鳴り響いて、鳴り響く中彼らは笑いながら、いつものライブが終わった後にバイバイ!また会いましょう!と言ってステップを踏みながら駆けていくみたいに、楽しそうにいなくなった。「さよなら」も「ありがとう」も、言葉は何もなくて、ただただ、そこには音が鳴っていた。
東京カランコロンの、最後の音が、途切れないまま、永遠に鳴り続けてく。今も、ずっと、頭の中で鳴り続けていく。
また彼らが5人で笑顔でできる音楽ができる日を信じて、これからも彼らの音楽と生きていく。