私は気難しいのだろうか(前半)

本日、東電のカスタマーサポートと電話してて。

支払方法について、今年1月からずっと似たようなやり取りしてて、今度こそ大丈夫という話らしいのですが。

そのことをツイートした際に(何度か削除書き込み繰り返した)、私が変なこだわり持っているのかなあ、と考えていて。

今までも人と言葉の使い方で、理解できないことがあった。

「納期厳守」と「許す」という言葉。

「納期厳守」という言葉は、私にとっては親の死に目にも会わずに、自分が体調を崩そうが、頭と手が働く限りはテキスト書いて必ず納品。

そのあとに親に会いに行く、入院なりなんなりする、という言葉である。

それを同人のお仕事を受けた時に「納期厳守」と言われて、「それはできないけれども締め切りは基本的に守ります」と答えて。

そこで厳守というのはこういうことだから、さすがに私はそこまでの責任をもって仕事は受けられない。同人だからではなく企業さんからのお仕事も私は受けられないというと。

相手は、その感覚で「厳守」とは使っていなかった。私の納期を基本的に守るが、相手にとって「厳守」だった。ということがあり。


そのあとにあったのが、「許す」という言葉の意味。

これは「許す」というテーマで作品を書くという話の時に、許すという言葉がまったく理解できなくて。

その人と直接会って話のすり合わせをしたことがある。

「許す」っていうのは、基本的には人にはできないと私には思っている。

ごめんねって謝ることは大事だけど、そこで「許し」を与えることは人にはできないよねって。

「ごめんね」という謝罪を受け入れたのであれば、このことに関しては二度と私は蒸し返さないよ、という意味で「気にしなくていいよ」となる。

これは犯罪に関しても同じで。

犯罪を犯した以上、被害者であろうと裁判官であろうと許しを与えることはできないと私は考えていて。

犯罪を犯して、示談になった、刑期を終えて出てきました。

そうなったときに、過去の犯罪について責めることはよくない。

加害者側は、きちんとけじめをつけたのだから。

でも犯罪をした事実は変わらない。

その犯罪に対して、被害者が受けた苦痛などは消えてなくならない。

起こった出来事に関して、持ってしまった感情をなかったことにはならないでしょ?

過去にそういう感情を抱いたものを未来に「あの感情はなし」にはならない。

で、ライターさんと私の「許し」って何?と聞かれて。

別に私は熱心な宗教家ではないし、特に何かの宗教に入っていないことを伝えて話した。

自分が世界中から責められる。配偶者、子供、親兄弟でさえも許さない。

皆がお前はいなくなった方が世のためだと思っている。

その時に心の片隅にでも「申し訳ない」の気持ちがあれば、この世の中では救われることなくいなくなるとしても、魂の救済的なものがあればいいなあ。

と言って、「許す」の定義が重すぎるよ!とびっくりされた。

気難しいんだろうね、やっぱり。

で、本日東電のカスタマーサポートと話していたことを書こうと思ったけど。

記事長いね。次の記事で書きます。これからすぐ。

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