北の女王とアザラシ
0.女王の真実
北の果てにある氷の国。
家や家具、ありとあらゆるものが氷でできた極寒の地。
統べるのは氷の女王。
女王こそが、北の果てを氷で埋め尽くしていると思う人も多いが、それはとんでもない誤解である。
女王はその冷たく美しい容貌からは想像もできないほど、情熱にあふれているのだ。
そのため、未開の土地である氷の国を見つけた時に女王は思った。
「この土地をどうにか人の住める土地にしたい」
この女王の熱意が氷を溶かし、どうにか人々が暮らせるほどの気温の国となった。
そして住める土地が増えたと女王を敬い、人々が集い北の王国が出来上がったのである。
氷の国を人が住める土地にしたのは、女王の「ここに住んで氷の彫刻を作りまくりたい!!」という熱意に他ならない。
今回お話ししたいのは、そんな熱意溢れる女王とアザラシが友情を築いたきっかけである。
1.日々の幸せ
ノックの音の後に、弾んだ女の声がする。
「女王様、起きてらっしゃいますか?」
女王の周囲には常に人がいる。
慕われているのはもちろん、何よりも女王の周囲は暖かいのである。
「起きている、入れ」
言われて、女王の着替えを手伝うためメイドが数人入ってくる。
メイドたちが暖を取るためゆっくりと女王様の着替えをしていても、女王様は文句を言わない。
なぜなら女王様は、みんなが寒がるこの土地で寒さを感じることがないからだ。
自分好みの彫刻を作るための熱意に満ち溢れているためである。
人に裸を見られて恥ずかしいという羞恥心はすでに忘れた。
メイドと侍従を引き連れて食堂に向かうと、待機していた召使いが氷の椅子をすっと引く。
女王と違い普通の人間なので、その手には分厚い防寒手袋がはめられている。
女王は召使いに礼を言ってから席に着く。
すると、厨房から次々と料理が運ばれてくる。
シェフが笑顔で女王に料理を説明する。
「本日はほうれん草のスクランブルエッグ、サーモンマリネ、アボカドとトマトのホットサンド。デザートはシフォンケーキとミントティーです」
「美味そうだな、いただこう」
女王は満面の笑みを浮かべる。
厨房から食堂まで料理を運ぶ間に、作り立ての料理に霜が降り始めるのだが、女王が器を取ると霜が消え去り熱々の料理と早変わりする。
ここ最近の女王の流行はミントだ。
利用理に使うもよし、飲み物に使うもよし。
毎食ミントを使わなければ気が済まない。
サーモンマリネにはミントの葉が散らされており、食後のデザートにもミントのお茶。
女王はどこまでも上機嫌だった。
食後のシフォンケーキをミントティーと一緒に味わいながら、女王は執事に言う。
「私はこれから夜まで戻らぬぞ。また北の方に新しく彫刻を作るのだ。今度はガスマスクを作ってみようと思ってな」
「騎士甲冑の彫刻は満足なさいましたか?」
「うむ、もう十分作ったからな。違うものを作ってみたくなったのだ。」
ニコリと女王が笑うと食堂の温度が上がり、周囲の人も笑顔になる。
その周囲の笑顔を見て女王はまた機嫌がよくなる。
好きなことを毎日できて、美味しいものを作ってくれる人がいて、とても幸せだ。
2.崩れ去る日常
女王は彫刻を作る際、一人になることを好む。
城では一人でいると話し相手がほしくなるのだが、自分一人で好きなことを好きなようにするのが好きだった。
警備につく騎士も、いつもそばにいる侍従もつけずに氷で作った馬を走らせる。
女王は彫刻を作るのが上手かった。
こういう形にしたいと熱意を氷に向けるだけで、ある程度の形ができる。
そこを少しずつ削って、満足のいくものに作り上げるのだ。
出来上がったものに「これはこのまま動いてもおかしくないかもしれない、いや動くはず」そう女王が思えば、彫刻は動き出す。
女王が乗る氷の馬も、かなり精巧に作られている。
馬にまたがり、女王は北を目指して走る。
生きているかのように、馬がいなないた。
騎士から少し間合いを取り、ガスマスクの女の彫刻を頭に思い浮かべる。
身長はどのくらいか、スリーサイズは、腕や足の長さ太さ、具体的に思い浮かべていたその時。
「ぷぅろろろろぁぅっ」
「ろろろあうぅっ」
「あうっあうっ」
たくさんのアザラシの鳴き声が聞こえた。
群れを成したアザラシは何を思ったのか、座って休んでいる氷の馬に突進した。
カシャンッ!
バリンッ!
ドドドドンッ!!
大きな音がして、氷の馬から氷が剥がれ落ちる。
馬が「きゅいーんっ」と苦しそうな高い声で鳴く。
座っていたおかげで足は無事だが、馬の背が三角になってしまった。
「な……っ! な……ッ!!」
言葉を失う女王。
無理もない。
氷の馬は死ぬことはないが、そういう問題ではない。
大事に大事に作った彫刻なのだ。
女王が初めて作り、命を吹き込んだものなのだ。
そしてなにより――
「背中が三角では乗れないではないかっ!!」
女王の怒気のこもった声。
びりびりと周囲の空気が震えるも、アザラシの群れは「あうっ、あうっ」と叫びながら移動を開始していた。
これ以上、大事な彫刻を壊されてなるものか!!
3.暴走する女王
「この国よりアザラシを撲滅することを宣言する!!」
叫んだ瞬間、彫刻の騎士たちが動き出す。
剣をつかんでアザラシの群れをあっという間に屠っていった。
アザラシの死体を見ながら、女王は満面の笑みで頷いた。
「よくやったぞ、私の騎士たちよ。この調子で、北の国からどんどんアザラシを排除していくのだ!!」
その後、女王は昼食を食べに城に戻ることも忘れ、氷の騎士たちとともにアザラシ狩りを開始した。
その際、アザラシは食料として無駄にしないよう氷漬けにすることは忘れなかった。
食料に関しては冷静だが、女王は今後のスケジュールを誰にも伝えることはしなかった。
そのため、北の国では女王捜索隊が組まれていた。
騎士たちとともにアザラシをほふっていく女王を探すため、国民たちが三枚重ねの服にはんてん、パーカー、コートを着用して女王捜索隊が組まれていた。
これでも寒いので、ホッカイロもいたるところに張り付けられた捜索隊は、ガタガタ震えながら「女王様ー」と情けない声で叫び、さ迷い歩く。
そして女王は少し壊れた笑い声をあげ、アザラシを追い詰めてずんずん進む。
女王の足取りに迷いはなかった。
4.寄り添うアザラシ
「……しまった、一人になってしまった……」
恐らく女王が熱く燃えすぎて、騎士たちが若干溶けて足が遅くなったのだろう。
女王は途方に暮れて呟く。
「一人では帰れぬぞ……どうすればいいのだ……?」
アザラシを見つけては特攻していたので、来た道など覚えてはいない。
しかも、吹雪いてきた。
この吹雪の中を待っていれば、騎士たちも溶けていた氷が元に戻り、探してきてくれるだろうか?
若干溶け始めていると気づいた時、すぐに直してあげればよかった。
馬の背が三角になった時にはあれだけ怒り狂ったのに。
騎士たちはなぜ放っておいたのだろう。
馬と騎士との待遇の差に、落ち込む女王。
急に心細くなり、その場にしゃがみ込む。
すると――
「あうっ、あうっ」
にっくきアザラシが、やってきた。
群れではないが、家族連れだろうか。大きなアザラシが二頭、小さなアザラシが一頭いる。
あれだけ怒り狂っていたのが、なぜか今は憎しみがわいてこない。
そもそもアザラシを屠ってくれる騎士たちがいない。
途方に暮れる女王の手に、鼻をこすりつけてくる。
吹雪で濡れているけれど、やはり動物の温かさが感じる。
ゴマフアザラシは目を保護するために泣いているのだが、その涙目にも女王はときめいてしまった。
馬の背を三角に変えた元凶であるアザラシたちは、食料として生まれ変わった。
そもそも騎士たちの力がなければ、女王一人ではアザラシは倒せない。
女王は彫刻づくりの情熱は有り余っているが、腕力はあまりないのだ。
女王の心情の変化など、アザラシは知る由がなく、まるでなつくように手に鼻をこすり続ける。
ちょっと可愛い、そう思うと同時に、女王の中で後悔が生まれた。
「私はお前たちの仲間をたくさん殺させたんだぞ? 氷の馬の形を変えられて、怒って、殺してたんだぞ?」
呟きながら思う。氷の騎士が少し溶けたぐらいでは気にもしなかったくせに。
何で自分勝手なのだろう。
5.仲直り
自分勝手な女王に、アザラシは寄り添ってくれている。
馬の背が三角になったぐらい、なんだというのだ。
直せばいいだけの話じゃないか。
いや、いっそ直さなくてもそのまま乗りこなせるようになるかもしれない。
背が三角になった馬を乗りこなせるようになったら、かっこいいではないか。
「私は城まで帰りたいのだが、お前たちもよかったら一緒に暮らさぬか? 今までアザラシを殺していた私が怖くなければだが。私はお前たちを殺すより、仲良くなりたい」
アザラシは「あうっ、あうっ」と鳴くばかりで、否定しているのか肯定しているのかもわからない。
なにより帰り道がわからない。
どうしたものか。
考えていると、「女王様ー、女王様ー」という頼りなげな声が聞こえてきた。
6.日常に戻る
女王と自分を慕う人間の声に元気が戻ってきた。
すっくと立ちあがると、女王は声のする方に大声を出す。
「ここだー! 私はここだー!」
「女王様の声だ! 女王様がいるぞ!!」
嬉しそうな声が巻き起こる。
声は近い。
吹雪くせいで雪が上からも下からも舞い散るため、視界はよくないが、互いに近くにいることはわかる。
こちらが下手に動くとまずい。
女王は立ったまま、自分を慕う国民がこちらに来るのを待っていた。
女王と女王捜索隊の距離は3メートルも離れていなかったらしく、互いの姿がうすぼんやりと見えてくる。
女王が伸ばした手に、女王捜索隊の手が重なる。
捜索隊は安堵の涙が出てくるのを必死でこらえる。
ここで泣いたら涙が凍って、顔がさらに痛くなってしまう。
「ご無事で何よりです、女王様~」
「女王様の身に何かあったら、私たちは、この後どうすればいいのかと……」
「城に帰りましょう、女王様」
口々に言われ、女王はちょっと反省する。
「……うむ、少し熱くなってしまってな、道に迷ってしまったのだ」
「熱くなる分には構いませんが、お願いですから行方不明はやめてください」
女王が熱くなると、気温が上がるので国民的には大歓迎なのだ。
そして女王のことは気温関係なく慕っている。
この極寒の地を住める土地にしてくれて、誰にでも気さくで優しい。
そんな女王が北の国からいなくなるなどと、国民には考えられないことだった。
「では、帰りましょう女王様。そういえば、途中で彫刻の騎士たちの姿を見ましたよ? 全体的に溶けていて、動きずらそうでした」
彫刻の騎士は、女王お気に入りの馬と違って声を出すことがないので、意思の疎通はかなわない。
馬も鳴き声で、人間の言葉はわからないのだが。
「氷の騎士たちもお前たちが見つけてくれていたか。彼らを元いた場所に返したいのだが、付き合ってくれるか?」
「もちろんです。ポツポツと立ち尽くしていたら、騎士も寂しいでしょう」
女王である自分の趣味を理解し、氷の彫刻をまるで生きた人間のように話してくれる国民たち。
それが嬉しい。
ああ、自分はこんなに幸せなのに、何をあんなに怒っていたのか。
女王は心から反省し、国民に声をかける。
「城にアザラシが住んだら嫌か? このアザラシたちを連れていきたいのだ」
「女王様がそうしたいのでしたら、嫌がる人はいませんよ。あの城は女王様のものですから」
国民は声をそろえて、笑顔で言う。
女王様が住み始めてから気候がマイルドになり、人が増えていったのだ。
この国に住めるのは女王のおかげなのだから、女王に異を唱えるものなどないない。
女王は理不尽なことは言わないと、国民は女王を信頼していた。
女王は嬉しそうに笑い、アザラシの親子に声をかける。
「では、お前たちも一緒に行こう」
「あうっ、あうっ」
相変わらず、肯定なのか否定なのかがわからない。
それが妙におかしくて、女王は小さな笑い声をあげた。
「では、氷の騎士たちを拾いながら帰ろう」
女王と女王捜索隊は猛吹雪の中、はぐれないように歩いていく。
動けなくなっている騎士の形を整え、騎士たちを元の場所に戻し、背が三角になった馬を連れて女王は歩く。
その後ろをアザラシがついてくる。
女王捜索隊は、女王が凍らせてとっておいたアザラシ肉を抱えてほくほくとしていた。
食料が増えるのは大歓迎なのだ。
7.日常に増える幸せ
北の女王が住む城に、アザラシのペットが加わった。
彼らは自由気ままで、女王の言うことは聞くことはない。
時々イラっとはするが、うるんだ眼がかわいらしく女王に寵愛されている。
そんな女王が今懸命に努力しているのは、三角になった馬の背に痛みを感じないようにまたがる方法だ。
三角の背にぴったりで走っても痛みがなく、さらにかっこいい鞍のデザインを必死に考えている。
そしてアイディアを考えるのに疲れた時は、アザラシと触れ合う日々。
いつも通りの日常戻ったと言えば戻ったのだが。
最近では自由奔放なアザラシに、女王が時々腹を立て怒鳴り声が聞こえることだ。
しかしアザラシに腹を立てても、女王はアザラシを城から追い出すことも食料に変えることもない。
自分によくしてくれる国民とともに、気ままなペットを女王は愛していた。
そしてしみじみ実感するのだ、自分は恵まれた女王であると。
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