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お月見日和に狐に化かされて20万円取られた話

 人間に助けられたことがある。

 ずいぶん昔、ボクが子供の頃の話だ。山を歩いている途中に、崖から落ちて、戻れなくなったことがあった。

 幸い、怪我はなかった。だが当然、子どものボクには深くて急な足場を昇れるわけもなく、この時間にこんな場所なんて誰も通らないから、誰かが気付いてくれる可能性も低い。最初こそ諦めずに小さい声を精一杯張り上げたり、登ろうとしていたけど、その事実に気づいてからは、無理だと悟ってその場に蹲った。

 ——――もう、お母さんにも会えないのかな……

 そう思って涙が出そうになったその時だった。

「おっ、ここめっちゃ見晴らし良いなー」

 能天気な男の声が頭上から聞こえてきた。

「ひえー、ここの崖結構深そーだなー……おっ、早速なんか落ちてるじゃん」

 そう言って覗いてきたのは馬鹿そうな表情の少年だった。

「キツネの子どもかなー……可哀想になー。この深さはお前ひとりじゃ登れないだろうなー」

 アホそうな顔して何を言っているのだろうかこいつは。これ以上ボクを煽ったって何も得しないのに。

 それともこの少年は弱いものを嗤って楽しむ趣味でもあるのだろうか。

 だったら早く消えてほしい。ただでさえ惨めな状態が余計に惨めになるだけだから……

 そう思いながら睨みつけ、精一杯の威嚇をしていると、「ちょっと待ってろよー」と言って少年は姿を消した。

 漸く消えたかと思ったのもつかの間、カチャカチャと音が少し鳴ると同時に、少年が崖から滑り落ちてきた。

 「よかったー山登りの道具持ってて。持ってなかったらどうしようかと思ったわ」

 こともなげに少年が呟く。そうしてボクに笑いかけながら、「ほれ、こっち来い来い」と手招きする。

「大丈夫だよ。取って食いはしないから」

 その言葉を信じて、ボクはおずおずと少年の腕に抱かれる。それを確認した少年は、腰に引っ掛けてあったひもを引っ張って穴を昇った。

 ものの数分で登りきると、少年は「よーし、着いた」と言ってボクを下ろすと、慣れた手つきで道具を片付けていく。

「じゃあなー。もう二度と落っこちるんじゃないぞー」

 そうして全部を片付けた少年は、一言だけボクに声を掛けると、一瞥もせずに行ってしまった。

 まるで山おろしのような奴だった。

 ————せめてお礼をさせてくれても良かったのに。

 そう思いながら帰ろうとした時、足元に何かが当たった。

 見れば、あの少年が落としたであろうハンカチ。

————決めた。

 ボクはその日、決心した。

 もう一度、あの少年に会いに行こう。
 

 




 昨日の夜、20万円盗られた。

それも「その年で童貞なのはまずくない?」という友人に唆された始めた出会い系で出会った見ず知らずの女性に、だ。

 いや、言いたいことは分かる。だまされた俺が全面的に悪いってことは分かっているし、初対面の女性を信じる方がおかしいってことも十分承知してる。

 ただ、言い訳をさせてもらえるならば、状況が悪かったのだ。

 待ち合わせ場所は夜のコンビニ。車で来た俺に対してあの女性はずけずけと助手席に入り込み、色々と取引みたいなことを畳みかけた後に20万をすぐに支払えと言って来たのだ。

 怒涛の展開過ぎて考える余裕がなかった。寧ろあの状態で正常な判断をしてる奴は頭おかしい変態だと断言できるだろう。

「アハハハハハ! それで、君はその契約を鵜呑みにしてまんまと支払った挙句、それ以降音沙汰なしだから逃げられた可能性が高いなんて! 傑作もいいところだ!」

「オイ、笑ってんじゃねぇぞ仙子ォ! マジで冗談じゃねぇんだよこっちはぁ!」

 向かい合わせでゲラゲラ笑う飯生仙子いなりせんこを、俺は涙目で怒鳴りつける。

 大学時代からの悪友であるこいつは、事あるごとに俺の不運を笑っては煽ってくる。

 曰く、「君の不幸はボクの身体に良い」のだそうだ。

 高二から始まったこの不運癖は今なお俺の頭を悩ませているというのに。なんとも失礼な奴である。

「あー、笑った笑った。相変わらず君の不幸は面白いね」

「オメェを笑わせたって意味ねぇんだよ……はぁ。仙子の口車に乗らなきゃよかった」

「まぁまぁ、勉強代だと思えばさほどダメージもないでしょ。それで、一体どんな見た目の女に騙されたんだい?」

「あぁ? どんな見た目かって……」

 仙子の言葉を受けて、俺は昨日の女性の事を思い出す。

「お前みたいなやつだったな。糸目よりのキツネ目で金髪。でもお前よりも年上で綺麗だった。大体30歳くらい……かな。服装は……なんて言ったっけ。中華服みたいなやつ」

「これ?」

 そう言って仙子が見せてきた画像には、あの女性と同じ服があった。

「そうそれ。アオザイってやつ。エロかったな―あれは」

「……ふぅーん、君はこういう奴が好きなのか……」

「おい、なんでそうなる。というか、なんで拗ねてんの」

「べっつに―? 何でもないんですけどー?」

 そのままコロンと床に寝転がる。

 ————こいつ、こんなに美人なのに男の俺の部屋にこんな無防備でいていいのだろうか。

 そう思った矢先、仙子がバッと身を起こすと、何か思いついた表情で俺にこう言った。

「そうだ! その20万円、ボクが取り返してあげようか?」

「……ハッ?」

 何を言い出すかと思えば、なんでそんな突拍子もないこと言えるんだろうか。

 俺が呆れた表情をしていると、それでもなお自信に満ちた顔で笑う仙子が続ける。

「ふっふっふっ。実を言うとねー、ボクの知り合いに似たような特徴持ってた人がいるのを思い出してねー。その人って確か起業してる社長さんだっけ?」

「……よく分かったな。その通りだ」

「じゃあもしかすると、ボクの知り合いかもしれないねー。どうする?」

「きゃ――――」

 却下、と言いかけて、俺は口をつぐむ。

 こいつは俺を弄ることはあるが、嘘はつかないことを知っている。

 こいつの思惑に嵌るのは少々癪だが、20万を取り返せるなら本望だろう。

「その話、乗った」

「君ならそう言うと思ったよ。交渉成立だね」

 そう言った仙子はニコリと微笑んだ。







 ————この山のこの場所に来てほしい。

 一週間後、仙子はそう連絡してきた。

 その山を見た時、俺は思わず「懐かしいな」と呟いてしまった。

 その山は、かつて俺が旅行で行ったことがある山だった。

「……ふぅ、流石に5年ぶりの山登りはキツイなぁ」

 息を切らしながら山道を登る。久しぶりに足を踏み入れたこの山の景色はあの時から変わっていなかった。

 やっぱり山登りはいいなー、なんて思っていると、前方に見たことのある景色が見えてきた。

「……おっ、着いた着いた」

 割と切り立った崖。急斜面で、怪我こそないだろうが一度落ちたら戻ってこれなさそうな深さである。

「確か、ここに立ち寄った翌日からだっけなー。俺の不運な日常が始まったの」

 あれ以来、小銭は落とすわゲームはしょっちゅう回線落ちするわの、しょうもない割にウザい不運に見舞われることになった。命があっただけでも物種である。

……にしても。

「アイツ来てねーじゃねぇか! 嘘つきやがって!」

 夕方から登り始めたせいか、時刻は既に夜。空に綺麗な満月が浮かんでも仙子は来ない。

 お月見にはもってこいの日和だが、夜の山は下手すると獣が出るからしゃれにならない。

 このまま帰ってやろうか……なんて思ってると、狐が一匹足元にすり寄ってきた。

 妙に小ざっぱりとしたその狐は、何度か俺の足に絡みついてくるが、俺にはこいつが何をしたいのかさっぱり分からない。

 ふと、狐の首に、見たことのある布が巻かれているのに気づく。少し汚れてはいるが、洗えばまだ使えそうなそれを、俺は知っている。

「これ……なくしたと思ってたハンカチ……あっ! お前もしかしてあの時助けた狐か!」

 ————そうだよ! この鈍感!

 どこかで聞いたことのある声が聞こえた瞬間、ボンッと煙が上がって狐の身体を包んだ。思わず体を逸らし、身を守る。

 煙が晴れ、視線を戻すと、そこには狐耳と大きな尻尾を生やした、アオザイ姿の綺麗な女性が立って————

「……って! お前仙子か!?」

 そしてその女性の正体に、思わず俺は叫んでしまった。

「ようやく気付いたかい? ボクが仙狐だって言わなかったのも悪かったが、それを差し引いてもキミの鈍さは筋金入りだね」

「も、もしかして、あの出会い系の人も……」

「そうさ。あれもボク。安心して、20万円はしっかり保管してあるから」

 したりといった表情の仙子に、俺は思わず尋ねる。

「なっ、なんだってそんなこと……俺を、化かして食うためか?」

「違うよ。ボクは君に、二つ用があって、あの日から修業を重ねたんだよ」

 そう言うと、仙子は俺の手にあの日落としたと思われるハンカチをそっと乗せた。

「一つは、あの日のお礼。子どもだったボクを、助けてくれてありがとう」

 そうして、仙子はにこりと笑った。その美しさに、思わず顔を逸らしてしまう。

「お……おー。べ、別に、大したことじゃないからいいぜ。で、二つ目の用ってなんだよ」

 俺がそう尋ねると、今度はハンカチを乗せたままの俺の手のひらを両手で包んできた。

「二つ目は、君と付き合い続けて芽生えた感情なんだけど……君の笑った顔に、どうやら惚れてしまったようでね」

「……は?」

「君でよければボクと番になってほしいんだ」

「おまっ!? 番なんて、そんな……」

「言っておくけど、ボク、尽くすよ? 君の望むことは何でも叶えてあげるし、君が好きなように染まることも吝かじゃないさ。でも……君が別のメスの匂いを振りまいてたら……分かるよね?」

「イヤ怖い怖い怖い! 後痛い痛い痛い! 重い重い重い! 握る力がだんだんと強くなってる! お前こんなヤンデレだったの……っていやぁぁぁぁぁぁ!」

 仙子の重すぎる愛に押し潰された俺の叫び声は、空に煌々と輝く満月しか聞くことはなかった。

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