アイスキャンディー

 幽霊が見えることを羨ましいと言ってくれたのは、私の幼馴染だけだった。

 普段から変わり者と言われていた彼は、取り分けオカルトやらスピリチュアルやら、そういうこの世有らざるものに出会った時から興味を持っていた。

 ────幽霊が見えるだって? 素晴らしいじゃないか! むしろ羨ましいくらいだよ! 

 私が初めて彼に秘密を打ち明けた時、目を輝かせながら受け入れてくれたことは未だに覚えている。

今日みたいに、日差しが強い夏休みの日の事だった。

「……あったねぇ、そんな事。もう二十年も前じゃなかったかい?」

 隣でカラカラ笑いながら、人ごとのように彼は言う。

「あの時の私はね、みんなと同じように気味悪がられるんじゃないかってドキドキだったの。両親にも理解されなかったことを、アンタだけが受け入れてくれたことは、子供心に嬉しかったわ」

 その後の質問攻めには参っちゃったけどねと、苦笑しながら付け足すと、「そうだったっけ?」と彼はあからさまにとぼけて笑う。

 ────あぁ、やっぱりアンタは変わらないね。

 そう思いながら、「何それずるいぞー」と、私も笑った。

 ◆

 人は忘れるから変わる。いい意味でも、悪い意味でも。

 久しぶりにこの町に帰ってきたとき、その考えは確信に変わった。

 みんな、私にしたことなんてなかったかのように話しかけてくる。それどころか、今の私の『肩書』のおこぼれに預かろうと必死になって取り繕ってくる。

 ────テレビで見たよ。最近頑張ってて凄いじゃないか────

 ────昔から他の子とは違うって、私は信じていたわ────

 お父さんもお母さんも、自分達がしたことを忘れておべっかまで言う始末。クラスメイトなんて言わずもがな。望んでもいない同窓会にかこつけて、私と繋がろうとしたり過去の事を許して貰おうとしたり……

 それでも、私がこの町に来たのには理由がある。

 一つは、今日が私にとって特別な日であるから。

 もう一つは────

「……やぁ、おかえり。久しぶりだねぇ」

 この町に来れば、必ず彼に会えると信じていたからだ。

 ◆

「……それで、今日はどうしたの? かれこれ数年はここに来なかったキミが、昨日の今日でいきなり帰ってくるなんて」

 山奥にあるお寺の参道を歩きながら、物珍しそうに彼が問いかける。私は何でもない風を装いながら、「べっつにー?」と返した。

「ほら、今日はお盆じゃない。ご先祖様にちょっとは顔見せしないと祟られそうだし」

「ふーん、幽霊が見えるのに墓参りねぇ……」

 じっと彼の目が私の顔を射抜く。若干の居心地悪さを感じた瞬間、ニヤリと彼の口が弧を描く。

「相変わらず、キミは嘘が下手だね。過去にご先祖様と話したこともあるってボクに自慢気に言ってたキミが、今更墓参りなんてするわけないじゃないか」

「……バレたか」

 ため息を一つつくと、申し訳なさそうに笑って彼に顔を合わせる。

「墓参りに来たって言うのは本当なんだけど、それはおまけって言うか……実はアンタに……」

 ────伝えたいことがあってきたの。

 私がそう言うと、彼は驚いたように目を見開いたが、すぐにいつものように飄々とした態度を取り戻し「それじゃあ聞かせてよ」と続きを促した。

 それを見た私は深く呼吸をして口を開いた。

「……私ね、結婚、するんだ」

 一瞬、その場がシンと静まり返った気がした。既にお寺の中に入ったからか、空気も心なしか冷たい。

 一瞬彼の顔を覗き込むと、さっきと同じように驚いた表情を浮かべていた。

 そりゃそうだよねと思ったその時。

「……そっかぁ~」

 にへらと脱力したような笑顔を私に向けた。

「おめでとう。お相手はどんな人なの?」

「えっと……会社員の方なんだけど……いいの?」

「何が?」 

「何がって……えっと……」

 改めて聞かれても答えに困るな……と思っていると、それを察したのか彼が穏やかに答える。

「ボクはね、キミが幸せでいてくれていればそれでいいんだよ。ただ自分が幸せになりたいがためにキミを縛り付けるなんて、悪霊と同じじゃないか」

 にこやかに笑う彼の言葉には、憎悪や嫉妬などの悪い気は微塵も感じられなかった。

「でも、ちょっとだけ悔しいかな」

「……どうして?」

 桶に水を溜めながらそう尋ねると、こともなげに彼は言った。

「一つは、これから幸せになるキミを見られない事。もう一つは、ボクじゃキミを幸せに出来ないって、分かっちゃった事かな」

 作業する手が完全に止まった。

「知らなかった? ボク、キミのことが好きだったんだよ?」

「……だったら!」

 小学生の頃からずっとねー。とのんびりと続ける彼に私は向き直る。

「早く告白、してきなさいよ! 何もかも、もう全部遅すぎたのよ!」

 思わず出てしまった私の大きな声に、彼は再び驚いた顔を浮かべた。

「アンタが、私に一言好きだって言ってくれれば! 私はすぐに受け入れたのに! あんなことになっちゃって……。ずっと後悔してた! ずっとアンタの事が忘れられなかった! 忘れるのが怖かった! それでも忘れないでいいって人がいてくれたから! 私は……」

 一度感情から発した言葉は、後はポンプで押し出した水のように溢れてくる。それを聞いた彼は、申し訳なさそうな表情になると「……ごめん」と一言だけ謝った。

「……私こそ、ゴメン。今更だったよね……こんな……」

 今まで見たことないほど悲しそうな表情に、私もたじろぎながら謝る。彼は何も言わずにお墓の方へ歩き出す。

 暫く気まずい沈黙が流れた後、徐に彼が口を開いた。

「……キミはさ、優しいよね」

「え?」

「普通さ、考えないものなんだ。あんなことがあったボクの事なんか。事実、この町の皆は数年で忘れてしまった。でも、キミはずっと考えてくれて、その上報告にまで来てくれた。これほど嬉しいことはないよ」

「別に、私は……」

「大したことなんだよ。それだけでボクは救われた。幸せになれるキミを見送ることが出来たんだ。だから……」

 ふと、彼は足を止めて私の方に向き直ると、一歩踏み出して、私の身体を抱きしめた。

「ありがとう。キミのおかげで、ボクは安心していくことができるよ」

 そう柔らかく笑いかけて、彼は光の中に消えた。

 目線の少し先にあったのは、事故で死んだ彼のお墓だった。

 ◆

 帰る途中で、私達がよく買っていたアイスを見つけた。

 今はもう都会では見ることのなくなった、レモン味の折るアイスキャンディ―。

 未だに残っていた駄菓子屋でそれを買い、歩きながらゆっくりと舐める。

 昔はよく、折って一本ずつにして二人で食べたこのアイスも、今は折らずにそのまま一人で食べる。

 ────大きくなっても、二人で一緒に食べたいね。

 ────えー? 酸っぱいからヤダー。

 今はもう叶わない、夏の思い出が蘇る。

「……はは、やっぱりこのアイス、ちょっと酸っぱいや」

 溶けて地面に滴るアイスの冷たさを感じながら、私は空を見上げる。

 昔と変わらず澄みきった青が空を覆っていた。

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