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ある幸せな手紙

 愛するアナタヘ。

 この手紙を見ているということは、私はもう既にこの世のものではなくなってしまったのでしょう。

 あぁ、誤解しないでください。私は決して、アナタを悲しませるという底意地の悪いことをしようと思っているわけではありません。

 この手紙を書いたのは、ひとえにアナタとの思い出を振り返るため、そして、アナタに伝えたい事があるためです。それをお忘れなきようにお願いします。

 そんな事は分かっていると、優しいアナタは心の中で笑って答えるのでしょうね。私もそれを分かっているから、きっとお互いに顔を見合わせて笑い合うんでしょう。

 思えば、アナタは初めて出会った時から優しかった。

 生まれながらに心を読めるという力を持っていた私を、大多数の方々は恐れ、疎んじた。時には魔物と呼ばれて迫害されて、時には怪物と呼ばれて傷つけられました。

 顔や体に消えない傷をつけられて、心に絶望が広がって、這々の体で辿り着いたのが、アナタのお屋敷でした。

 今だから言います。私は、そこが吸血鬼の棲家と呼ばれていることを知って訪れたんです。

 聡いアナタなら、理由はすぐに分かるでしょう。ですから私からは何も言いません。兎に角、あの夜、私は確かにアナタの館の門をたたきました。

 出てきたアナタを見て、私はとても驚きました。だって、アナタは噂で聞いていたよりもずっと子どもの姿をしていたんですから。

 こちらとしては少なくとも働き始めたくらいの若者をイメージしていました。なのに、扉から現れたのは齢八つか九つが精々の子ども。思わず「ここの子?」と聞き返した私は間違ってはいないと思います。(その後アナタがムキになって否定するところも含めて、です)

 とは言うものの、すぐに私の状態に気づいたアナタは、何も聞かず館の中へ入れてくださいましたね。お風呂や着替えも用意してくださったし、温かなお食事も私に与えてくださった。その時の私はただただ困惑するばかりでしたが、今はアナタの優しさにただただ頭が上がらないばかりです。

 食事を終えた後、私から事情を聴いたアナタは、大層同情していましたね。打算や邪気といったものが一切ない、純粋な憐憫というものに、私は困惑するばかりでしたが、その後の「好きなだけここにいていい」という言葉で、その感情は驚愕と共に打ち消されました。

「すぐに出て行く」という言葉をアナタは聞き入れず、奇妙な共同生活はスタートしました。吸血鬼という正体を最初は訝しんでいた私も、昼夜逆転した生活、寝室にある棺桶、食事は保存した血液という姿を見ていれば、イヤでも信じるようになりました。

 でも、そんな長命な存在であって尚、アナタの心は純粋で無垢でした。
 
 館や農園の管理、採れた農作物の取引等……アナタに近寄ってくる相手は皆、嘘やおべっかに囲まれていました。なのに、それを鵜呑みにして丸ごと信じてしまうアナタが、私にはとても眩しく、同時にとても危うく感じました。

 私が秘書としてアナタの仕事の手伝いを申し出た時も、アナタは最初こそ客人だからと断りましたが、私が上目遣いでお願いすればコロッと許可を出して下さいましたね。今でこそ騙されることはなくなったでしょうが、当時の私としては複雑な心境でした。

 世間的には私は死んだことにされているようでしたので、仮面をつけ、一切喋らないようにして人前に出ました。結果として、アナタに寄り付く悪い虫はいなくなり、事業はますます発展しました。その時にもらったあなたからの「ありがとう」という言葉は、今でも心に残っております。

 それからの日々は忙しかったですね。仕事は勿論、新しくメイドを雇ったり、畑仕事を夜にやったり、新たな企画を考えたり……

 その合間を縫って、私と共に出かけたり、遊んだり、時には昼間にお散歩したこともありましたっけ。その一つ一つが、どれもかけがえのない大切な思い出となって私の心に刻まれております。

 ……少し、ペンを持つ手が震えてきましたが、続けます。

 振り返ってみれば、私の人生は全て、アナタのために捧げてきました。アナタに出会い、救われたあの日から、私はアナタの力になりたかった。恩返しをしたかった。アナタを守りたかった。見た目に比べ永く生きて、見た目通りの危うさを持つアナタの傍らにいたかった。

 ええ、そうです。どれもこれも、私がいつも声を大にしてお伝えしていることでございますね。

 ですが、一つだけ、たった一つだけアナタにお伝えしていなかったことがあります。

 それは、アナタをお慕いしていたという事。

 何故? とアナタは問われるでしょうね。何せ、私は普段そっけない態度しかとっておりませんでしたから。

 アナタは私の恩人で、私に存在価値を与えてくれた方。見た目通りのあどけない笑顔に、時折見せる吸血鬼としての目の輝き。そして永く生きたものだからこそ分かる気づかいと知識。どこに惚れない人間がいるでしょう。

 しかし、心が読めるとはいえ私は人間です。アナタとは埋めようのない時間の壁があります。

 何時かアナタを残して消えてしまいます。遅かれ早かれ一人にしてしまいます。そうでなくても、醜く老い、朽ち果てていく私は、いずれアナタのお荷物となるでしょう。

 そんな人間に、アナタの傍にいる資格などありましょうか? あまつさえ、アナタに好かれまいと冷たい態度を取っていた私に、好かれる資格なんてありません。

 それでも優しいアナタだから、私が今までそっけなかった事を謝罪して、真っ直ぐに好意を伝えればきっと同じくらい真っ直ぐな笑顔で了承してくださるのでしょう。

 それではダメなのです。アナタに助けられて、良くしてもらって、これ以上アナタから色々なものを与えられてしまったら、非力な私は何も返せない。

 私ではアナタを幸せには出来ないのです。

 それが私には耐えられなかったのです。

 浅ましい、馬鹿な人間だと笑ってください。こうでもしなければアナタと対等になれないと思い込んだ私をお許しください。

 ですが、それでも私は幸せでした。日傘を差して歩いた春の日も、雪を眺めながら身を寄せた冬の日も、晴れの日に一緒に仕事をしたことも、雨の日に館で語り合ったことも……

 全て忘れがたい大切な思い出でした。惨めに死ぬしかなかった私に、穏やかに生きる時間と場所を与えてくれた。それだけで私は満足なのです。

 ……あぁ、ペンを持つ手に力が入らなくなってきました。もうすぐ、文章を書くことは難しくなってくるでしょう。

 きっとアナタは、私の好意に気づかなかったことを後悔しておられるかもしれません。ですがどうか、どうかそのような事はしないでください。

 人間には決められた時間があります。それが遅いか早いかは人によって違います。そして、時間は止められるものでも、逃れられるものではありません。

 私の『その時』が来てしまった。ただそれだけのことなのです。

 ですから、アナタはどうか悲しまず、振り向かず、前を向いて生きてください。

 アナタには、私など及びもつかないような素敵な方々がおります。頼りになる方々がおります。その方々は、必ずアナタのお側について下さいます。きっと……いえ、決して寂しくはないでしょう。

 そして最後に、私から、最初で最後のお願いです。

 どうか、私の事はお忘れになってください。

 あぁ、きっとアナタはそんなこと出来ないと心の中で思うのでしょう。記憶に焼き付けて絶対に忘れないと、口に出してハッキリと断言するのでしょう。

 それではアナタは前には進めません。

 思い出や記憶の中でも、私はアナタを縛りたくはないのです。

 ……でも、不思議なものですね。こうして手紙で『忘れてほしい』と伝えているのに、本当は忘れられることを恐れている私がいるのです。出来ることならばずっと覚えていてほしいと考えてしまうのです。

 ですが、アナタにはずっと、私が愛した笑顔を浮かべていてほしいのです。アナタには何物にも縛られず、自由に前を向いて、これからの道を歩いて欲しいのです。

 だから私は、メイドに銘じて自分の私物をすべて処分しました。

 一点でも私の物が残れば、アナタはそれを大切に保管し、いつまでも私との思い出に縋り付いて浸り続けるでしょうからです。

 私の思い出がアナタを縛る鎖とならないように、私の記憶がアナタの行く先を阻む壁とならないように。アナタはただ、底抜けに明るい笑顔のまま、前を向いて進んでください。

 大好きな、大好きなアナタ。アナタに拾われて私は幸せでした。時間が訪れてしまっても、アナタを慕う気持ちは変わりません。

 アナタがいつまでも、歩いていけますよう、お祈りしています。

 



 

 

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