君住む街へ

発売の時から、
その後の病(声帯麻痺)での声の出る出ないにかかわらず、
何千回歌ったかわかりません。


学生の頃、この曲を一緒に分かち合った友人は、
常に成績トップで裕福で、毎年小田さんのコンサートへも通う人でしたが、
その後、地元優秀大進学や地方公務員へ進んだ後、
小田作品を「ダサい、時代遅れ」と馬鹿にする様になり、
共通の友人や、ひきこもりの妹への、
思い遣り無いワルクチも八当りに口にする様になってしまいました。(90年代のことです。)

私も当時、彼女と同じ行政県庁に務めておりましたし、
また、口外していませんでしたが既に難病とその寝たきりを経験後でもありましたので、
どちらの立場や環境事情も慮り、しかし
あまりに過ぎたそれを小さくたしなめたところ、
逆に、
その流れを歪曲した私の中傷を、他の共通の友人達に、彼女から流布され、
耳をかさなくなった皆は、未だそれを信じたままです。
卑劣を行うと、その隠蔽に卑劣を重ねざるを得なくなり、又、
誰かを犠牲にした保身で一生を終える心を変える事もなくなるのだなと、
ただ残念を感じるばかりです。

私も彼女よりも前から、
小田作品には親しみ、当然コンサート参加をずっと毎回夢見ておりましたが、
難病や、それへの社会偏見に伴う窮状で、
未だ、20代の頃に一度行けたきりでしたので、
10代の学生の頃から普通に毎回コンサートへ行ける彼女の環境を、
口外は皆無とも、
当然内心羨ましく感じておりました。

彼女が批難した友人は、共にいた頃には既にご家庭が複雑で、
背景に多くの重荷を背負っていた事は、その友人が口外をせずとも、背景や彼女の言動・表情の端々に思いを馳せれば、容易に判る事と私は思っておりましたが、
批難した彼女は、それすら実は気付いていなかったという事だったのでしょうか。

彼女の「恵まれた軽卒」により、
私の学生時代の旧交は、そのように空中分解したままです。

彼女には、
私が子供時代に、
ネグレクト虐待な親に殴られながらも録画に成功した、オフコースのレコーディング風景のドキュメンタリーTV放映のビデオを、
観たいと言うので、卒業前に貸したのですが、
未だそれは返却されておらず、
他の友人の話では、
私がそれを返してほしい旨と言っていた件について、彼女は
「あんなもの、まだ言ってるの?」と言っていたそう。
(ちなみにその件を私が口にしたのは、話の流れで彼女に会う事を聞いたその友人に言った「一度きり」でした。
厚意で信用して貸した物を返して貰う事はごく普通の事と思いましたし、何年も忘れていると思われたため、ついでに伝えてねと話した経緯だったのですが。)

元々、子供の頃からの音響技師志望だった私にとって、
そのビデオがどれほどの宝物であったのか、
その価値を、彼女は分からなかったのでしょう。
又その録画について、
私が虐待家庭の中、どれほど大変な思いをして録画に至っていたかも、
家庭に恵まれた彼女には、脳内にかすりもしない事だったのでしょう。
しかし、
それは、
私や批難された友人をよく見ていれば、
気付くことは、それほど難しい事ではなかった筈で、
そのような「視力」の人物が、
現在やこれまでの日本社会の「先導席」や「優遇優先席」に在がちである事が、
国の劣化の一因であったろうと、
その後も度々、社会の中、
とみに、地方行政や上層企業や霞ヶ関のなかで
「恵まれた軽卒」を見掛ける度、
私個人は想わざるを得ません。

2024.2.21.6:39追記

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