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「不器用なリフティング」には応援が募る。

こんにちは、葬祭の道化師 原作の風林です。
本日は、『0発進』というテーマでお話をしていこうかと思います。

私の友達に、アメリカ国籍で日本暮らしの歳上の友達がいまして。
彼は、日本語ネイティブで難しい単語はたまに伝わらないことがありますが発音は日本人そのものといった具合なんですね。

そんな彼の日本語力に対して私はいつも賞賛していたんです。
(あ、多分「賞賛」は伝わらないかもw)

そんな時私は賞賛の言葉の後ろに必ずこんな言葉を言っていたんです。

「逆に自分だったら英語なんて喋れる気がしないよ、やっぱMugen(彼の名)には才能があるね」


今この記事をお読みになってるあなたもきっと
優れた技術の前では、似たような発言をするのではないでしょうか?

ですが、この私の言葉がどれほど愚かな発言であったか示すには次の一文で充分です。

『Mugen(彼)はアメリカ育ちである』

お分かり頂けたでしょうか?
アメリカで生まれ、アメリカで育った。
そんな彼は日本のアニメが好きで、日本の文化に触れたく、20半ばにして日本へ足を踏み入れたのです。

ここがすごく重要で、
「日本語が喋れるから、日本に来た訳じゃない」ということですね。

たとえ不慣れでも、覚束無くても、まず足を動かし、現場で体感し、そしてあそこまで語彙が成長したんです。


以上のお話を踏まえて、本題に入らせて頂きます。

実際どう感じましたか?
私と同じような愚かな発言をしたことのある人は少なくないと思います。

ここでは、わかりやすく説明するために今私が活動している「漫画」に当てはめて例をあげてみます。


例えば、あなたが「漫画を連載」してみたいと考えていたとします。
この後、あなたは何をするでしょうか?

・専門学校に通って画力を鍛える
・「絵上手くないから」とやっぱ諦める

概ねこれらといったところでしょうか。

では、漫画とは一体何者の手によって作られてきたのでしょうか?
「絵が上手い人が作った?」ちがいます。
 
冒頭でお話したMugenと同様です。
初めから上手かった人なんて存在しません。
Mugenのような、「日本語が話せるわけじゃないけど、まず日本に行ってみた」が大事で。
「絵は上手くないけど、まず描いてみた」な人間が「漫画文化」を築いてきたのだと思います。


リチャード・バック氏はこう発言しました。
プロの作家とは、書くことをやめなかったアマチュアのことである」

A professional writer is an amateur who didn’t quit.


仮にあなたの考えとおり、「絵が上手くなってから漫画を描こう」。
もっというと、技術が発達してから○○をしよう。の意気込みで取り組んでしまえばどうでしょうか。

修行してから旅に出ようなんて思ってたら、仙人になってしまいます。
ルフィは海賊王になってから、海に出ようなんて考えないですよね?
強くはないけどまず、海に出て数々の強敵と戦って仲間を築いて洗練されていきました。

要は、ここで言いたいことは…
『必要なものは現地調達』ということです。
知識も技術も経験も全て現地で拾えます。

「まず、やってみた」が先手を打ってきたのだと伺えますね。


例えば、江戸時代初期の剣術家で有名な宮本武蔵がいますが、彼は対峙において「構え」という行為を取らないんですね。
「構えとは相手の行動を伺う」受け身の行為。
つまり、初っ端から後手に回るということです。
彼は「構え」る前に「切る」を選択した人物です。先手を打ったのでしょう。


…とここまで、お話しましたが。
例であげていた「漫画」に限らず、往々にして
技術というものは後からついてくるものだと理解出来たかと思います。
ですが、技術が実るまでの期間、未熟な時期はどうなるのか?と疑問が浮かびますね。

「漫画」で言えば、下手くそな絵を数話描き続けなければいけませんし、Mugenの事で言えば日本に来てからの数年間は日常会話どころかコンビニで買い物する時すら困ったことかと思います。(今ではラーメン屋さんでバリカタ注文するくらい達者ですw)

今あなたが活動し始めようとしている全く新しいジャンルにおいても未熟な期間は必ず着いてきます。

きっと恥ずかしいです。
「下手な絵を公開し続ける」ことも
「下手な日本語で話し続ける」ことも
あなたはきっと、この恥を気にしているのかと思います。


ところがですね、例えば。
サッカーボールを昨日初めて触ったような
スポーツ経験ゼロの男性が居たとします。
彼が、リフティングの練習をしているとして
どうでしょう。最大3回…。
ですが、周りはそれを見て「下手くそ」と蔑むでしょうか?いいえ。
傍観者は「頑張れ!」「1回増えた!」
経験者は「ここをもっとこう…」「そうそう」
下手を公にすることで、応援やアドバイスが湧き上がります。


私は漫画どころか、絵に関わる経験をしてきたことが1度もありません。
ですが、絵の練習をしてから漫画を描こうとなど考えませんでした。
「まず、1話目描き始めるかぁ…」から今に至ります。
葬祭の道化師 をご購読されてる読者の方々は満場一致で「下手な絵」と思ったことでしょう。当然、ものすごく恥ずかしいです。
描き直せるものなら、遡って序盤を描き直したいです。

…でも、消さないで。
私は今絵が上手いとは思ってません。
ですが、第1話に比べて確実に成長は感じてます。あの時より上手くなってると自負してます。

あなたのその活動もそうです。
成熟した時、過去の下積みを消して輝かしい部分だけ見せたくなる気持ちは分かります。

ですが、お客さんは
あなたの成長を楽しむコンテンツと考えています。
序盤が下手であればあるほど、当時から見続けてきたお客さんはプロサッカー選手になった男性を尊敬しファンとして付いてきてくれます。
中には「俺、あの選手がボール触り始めてリフティング練習してる頃からずっと応援してきたんですよ!」と古参アピールするかもしれません。それがファンです。

あなたの下手が作り上げた大事なファンです。

いかがでしたでしょうか。
何かを始める際、私たちの脳内に罷り通っている「自分はどうせ」といった「才能の有無」の一言で片付けてしまう凝り固まった考えが、とき解されたでしょうか。

絵が描けない人間が描き続けてきている漫画。
ぜひ、ご一読よろしくお願い致します☺️
今もずっと恥ずかしいですけど、それでも描き続けます。最終話の画力がどれほどになってるかが楽しみなので…⬇(絶賛連載中です!)


P.S.福山雅治さんがラジオにてこんな言葉を仰ってました。「僕は今でも作詞は恥ずかしい。ポエムを聞かれているようで。でも、恥ずかしくなくなったらお終いよ。」

©カザバヤシ/葬祭の道化師






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