余はいかにして混ぜ物系メタビ使いとなりしか
X上で、マスターデュエルにおける【メタビート】批判のポストが目立つようになってきた。否定派と肯定派とで侃々諤々の議論が起こっている……わけでもなさそうで、両者の溝は深まる一方である。
筆者は混ぜ物系【メタビ】を最近好んで使い、動画にして紹介しているので、現下の状況は他人事ではない。ここはひとつ、否定派との和解の一助になることを期待しつつ、普通の展開系デッキも使ってきた自分がいかにして混ぜ物系【メタビ】を使うようになったのかを記そう。
デッキタイプの好き嫌いを表明することは、特定の人への人格攻撃にならない範囲で自由にやればよいと思うし、これを読んで【メタビート】を好きになってほしいわけでもない。ただ、対面した時に湧き上がる負の感情が多少なりとも収まればよいと思う。
なおここで【メタビート】とは、狭義において、特殊召喚封じモンスターを採用した罠ビートを指すものとして扱う。
遊戯王というゲームの異質さ
そもそも遊戯王は、カードゲームとしては「運要素」の比重がかなり大きい。これは巷間言われる、「マナの概念がない」という特徴と不可分である。
カードゲームはまず初手が運次第であり、各ターンのドローも当然ながら運次第である。マナやそれに類する概念を有するカードゲームにおいては、これらの運要素に応じたアクションを毎ターン考えることになり、さらにそれを受けて相手の手の内やデッキのコンセプトを読み解き最適なアクションを選択するというプレイングが要求され、ゲーム性を豊かなものにしている。
ここでは、運要素はプレイングに変化をもたらす要素として存在していると言えるだろう。プレイングが主であり、運要素は従である。
一方で、カード単体のパワーのインフレが加速した現代の遊戯王は、初手の配牌でゲームの帰趨が決することがほとんどである。
先攻は初手に引いたカードをすべて即座にプレイできるのだから(ここでは罠等のセットもプレイと考える)、ひっくり返されないほどに強固な盤面を形成することを目指して展開するのが第一目標になるのは理の当然である。後攻側がこれを止めうるかもまた誘発運ゲーであり、先攻側がそれを貫通できるかもやはり初手運ゲーなのである。
先攻の5枚、後攻の6枚の手札の組み合わせで生まれる状況のパターン数は、プレイングの要素を最大限考慮したとしてもたかが知れている。つまり、運要素が主でありプレイングが従になっている。
これはいわゆる「プレミ指摘」が遊戯王で顕著である(ように思われる)ことの理由でもある。考慮すべき要素が少ないので、最適解がわかりやすすぎるのである。
初手運ゲー克服の明暗
初手運ゲーでは面白くないのでもっと変数が必要だ、となって生み出されたのが、後攻でも動けるランダム墓地肥やしという、〈ティアラメンツ〉や〈イシズ〉ギミックなのだろう。開き直って運要素に依存したとも言える。
要するにこれはデッキの上からn枚が新たな手札となったようなもので、運要素が主であることには変わりがないのだ。この試みが失敗であったことはレギュレーションが物語る通りである。
一方、〈P.U.N.K.〉(《P.U.N.K.JAMエクストリーム・セッション》)や〈コードトーカー〉、〈斬機〉(《デコード・トーカー・ヒートソウル》)といった、自分のターンに追加でドローすることで展開に変化をもたらすテーマは比較的成功した部類だろう。まあ先攻有利を克服できてはいないように感じるが。
ホビーと競技の違い
先攻運ゲーで1試合の決着が早い、というのは、ホビーとして考えればある意味強みである。友達と運要素でわあきゃあ言いながら「もう一戦もう一戦!」と何度も対戦するのは確かに楽しい。
しかし競技としては大問題である。なにせ、何度も対戦するどころか、限られた対戦数の中での勝利数を競っていくものなのだから。
遊戯王OCGという競技において、運要素とプレイングの主従関係を「マシ」なものにする仕組みがマッチ戦なのだろうと筆者は理解している。いわばルールの欠陥をメタシステムで補う試みである。
マナの概念のあるゲームでは、1試合の間に、相手の出方からデッキタイプを推理し、手札、墓地の状況にマナの状況も勘案してマストカウンターを見極めるといったゲーム性が展開されるのに対し、遊戯王は基本的に試合が早期決着になってしまう。
ただしこの時に劣勢側は情報アドバンテージを意識したプレイングを取ることができる。1試合目で敗北しても、手の内を隠すことによって2戦目以降を有利に運べる可能性があるわけだ。
ここでサレンダーを認めるか否かはゲーム性を大きく左右する。昨夏にWCSのサレンダー可能告知で界隈がざわついていたのは当然である。
ま、私はOCGを競技としてプレイしたことないんですけどね。
マスターデュエルは「究極のデジタルカードゲーム」である
翻ってマスターデュエルを考えると、サイドデッキはおろかマッチ戦ですらない。ルールの欠陥を補うシステムが存在しないのである。端的に言おう、対戦ゲームとしてあんまり楽しくないのである。
こうなったらもはや先攻運ゲーを徹底するのが理に適っているのは論を俟たない。1試合当たりの競技性に限れば、これはOCGよりも損なわれることになる。
ただしマスターデュエルはデジタルカードゲームである。友達に会えなくても、あるいは友達がいなくても、相手を替えながら何度も何度も対戦することができる。
これによってホビー的な要素が担保されるとともに、競技性においてOCGとの大きな違いがもたらされる。競技的には1試合単位の勝ち負けにこだわらず、何度も違う相手と戦ってトータルで勝ち越せばいい、という考えになる。
ここで、OCGには文字通り紙をしばくフェティッシュな魅力があるのに対し、デジタルカードゲームにそのような快楽は望むべくもない。手遊びにシャカパチすることもできないのだから、競技として考えるのであれば、デュエルはさっさと終わってほしいのである。
展開系デッキを使うとひたすらマウス操作をすることになる。キーボードを打つのは快楽を伴うが、マウスをいじっても別段楽しくはない。
自分のターンにやることが少なく、かつデッキタイプによっては詰ませてサレンダーも期待でき相手ターンにかかる時間を減らせる【メタビート】は、不快を最小限にして勝ち越しの速度を上げるにはうってつけなのだ。
展開系デッキは時間効率が悪い。使用する際は、勝とうが負けようが、展開自体はせねばならず、しかも紙より時間がかかる。
後攻で展開系デッキを相手にする場合、捲れるか否かは有効な手札誘発や解決札を引けているかどうかという運ゲーに過ぎない。手札誘発を引けなかった、あるいはそれでは止まらなかった場合、なまじ、ターンが回ってきたときのドローで解決できる可能性があるから即座にサレンダーするわけにもいかず、相手の展開を眺めるしかない。
使用する側もされる側も多大な時間を費やすことになる展開系デッキは、時間効率の面からは【メタビート】以上に厄介な存在だと言える。
快楽による競技と競技による快楽
以上はあくまで私個人の価値観である。
マウス操作が苦ではないし、紙をしばけなくても、マッチ戦でなくても展開系デッキを楽しめる、という人もいることだろう。そういった人は、カードゲーム自体のキャラクター性などのホビー要素の快楽を競技のモチベーションにしているのかもしれない。
マスターデュエルにおいて殊更【メタビート】が嫌われるのは、ゲームシステムがホビー性と競技性を止揚しているにもかかわらず、対戦相手のホビー的な快楽を否定してしまうようなデッキタイプだからだろう。
しかしながら、デジタルゲームだからこそ味わえる競技性そのものに楽しさを見出して【メタビート】を愛用している人も少なくないはずだ。短い試合を重ねて試行回数を稼ぎ、微調整を重ねながら勝率を上げていく、というのは、OCGの競技システムでは実現できない、マスターデュエル独自の競技性である。
快楽による競技と競技による快楽。この二つの価値観の偏りを均すことができれば、【メタビート】否定派と肯定派の溝を埋められるかもしれない。
FTK→エクソシスター→混ぜ物系メタビ
さて、私自身の話をすると、かつて展開系デッキを使ってきたと言っても、【メガリスFTK】を長らく使っていた身である。先攻ワンキルもメタビ同様否定派の多いデッキタイプだが、展開が通れば必ず勝敗が決するのだから、無駄な時間が生じないという点では先攻制圧デッキよりもむしろ優しいと半ば本気で思っている。
しかし《ハリファイバー》や《ブロックドラゴン》の規制に伴いガチデッキとしては成立しなくなったため、ランクマッチではいやいや展開系デッキを使いつつ、〈魔鍵〉というマイナーテーマで先攻ワンキル等のソリティアを考えることでマスターデュエルのモチベーションを維持していた。
そんななかマスター帯の実装に伴い、せっかくだから毎月マス1を目指そうと決めて握ったのが【エクソシスター】だった(【斬機】も触ったけど)。
先攻でやることは《マニフィカ》を出して罠を伏せるだけとコンパクトでありながら、テーマ内に効果無効カードがないため、除去によるマストカウンターの見極めという比較的高度なプレイングが要求される。使っていて(少なくとも私は)楽しいデッキだ。
そして、コンセプトからして【エクソシスター】は広義の【メタビート】であり、狭義の【メタビート】に関心を持つようになるのはある種当然だった。
しかし普通の【メタビート】を握るのは味気ないなとも考えていた。可愛いカードやカッコいいカードを使いたいというホビー的な欲求も多少はあるのだ。
そこで行きついたのが混ぜ物系【メタビート】なのである。
混ぜ物系メタビはいいぞ
【メタビート】を根幹に据えることで競技性を備えつつ、テーマカードを展開するホビー的な快楽、構築を考える楽しみ、対戦時の思考時間から相手の困惑を感じる対話性――これらが共存しているのが混ぜ物系【メタビ】の魅力である。
最後の点は半分冗談、半分本気である。というのも、有限個の選択肢の中から最適解を選ぶだけなら極論人間がやる必要がないので、展開系デッキを触っていると自分も相手もロボットなのではないかと思われることが私には多々あるのだ。
ところが混ぜ物系【メタビ】を使って相手が如実に困惑していると、「あ、人間と対戦してるんだ」と思って安心する。
殺伐としたデジタル砂漠で「人間」と触れ合える神デッキ、混ぜ物系【メタビ】をあなたも使ってみませんか?
私のおすすめは【メタビート・ガーディアン】です。今のところ自己最高傑作だと思っています。
で、今月何使ったの?
3月は《トランザクション・ロールバック》の実装に伴い〈ティアラメンツ〉が息を吹き返してきた。開き直って運にプレイングを従属させるこのテーマのコンセプトが私は割とマジで嫌いであり(〈イシズ〉よりはよほどマシだし、ホビーとしてなら面白いとは思うが)、混ぜ物を考える快楽をこれへの嫌悪感がはるかに凌いでいたので、イージーウィンできるように《ネクロバレー》をガン積みした普通の【メタビート】を使った。
というか、今【メタビート】を使うならどう考えても《ネクロバレー》を使うのが最適解であり、変な混ぜ物は下位互換にしかならないので考案する意味がなかったのである。
私は〈ティアラメンツ〉が嫌いであるとはいえ、それを使っている人や構築を考える人を非難する気は全くない、どころかむしろ使っていて楽しめることを羨ましく感じるくらいである。これは嫌味ではなく、デッキタイプそのものを否定する気はさらさらない。
それに、普通の【メタビート】を使ったのはマス2だけで、それまでは【エクソシスター】やら〈ティスティナ〉研究やらでそれなりに楽しく遊んでいた。
環境が、流行りがいかに面白くなかろうと、楽しみは自分で生み出してしまえばよいのだ。
ちなみに私は、マスター1到達後に展開系デッキで遊ぶことにしている。まあ最近は忙しいのでマス1到達自体が目的になってしまっている感はあるが……。
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