『がんばれ』のつづき

March 13, 2014 19:56

「がんばれ」って簡単につかうんじゃないわよ!
みたいな会話を10代の頃よく人としたように思う。
がんばって、がんばって、もうこれ以上無理って人だっているんだと。
じゃあ、そのとき私はそこまでがんばったことがあるかというと
甚だあやしい。
言葉は、「何を言う」でなく「誰が言う」なんだろうと最近は思う。
(一応言っとく「早見優〜」)
そういう議論は、そっとやさしく棚の上に置いての話。


私自身は「がんばれ」と言われるのは嫌いじゃない。
むしろありがたい。
そこには全面的に善意しかないから、ありがたく頂戴する。

私がほんとうにしんどかった時、
彼女は「がんばれ」といつも小さな旗を振ってくれていた。

それから数年の月日が経ち、
私がスクリと立ち上がった頃、
彼女からメールが来た。

「よくがんばりましたね」と。

あ、見ていてくれたんだ。

私から「もう大丈夫だよ」とも何とも言ってないのに
わかるものらしい。

それはちゃんと見ていてくれたから。
私の自虐的な言動にも何も言わず
ただただ受け止めてくれていた。
きっと、「それは違うよ」と言いたいこともあったろうと思う。
だけど一度も否定されたことはなかった。
その彼女の器には本当に助けられたと思っている。

人それぞれに苦境があって
立ち上がるまでの時間は
それこそ人それぞれで
周りはもちろん、本人だっていつ立ち上がれるかなんてわからない。
むしろ、もう立ち上がれないかもしれないと思っている時もあるだろう。
それは、数ヶ月かもしれないし、3年かもしれない
あるいは10年、20年かかるかもしれない。
でも、いつか区切りのような日が必ずくると信じている。


それを見続けられる人で
わたしもありたいと思う。

がんばれという言葉には
「あなたのことを見続けているからね」という
あたたかく、大きく包み込む言葉がつづいているんだ。

そして、アナタもよくがんばりましたね。

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