はじめに
ノートのアカウントを作成して早3週間。
まず、何を書けばいいか。
それはきっと、自己紹介でもなくて、経歴でもない。
そう、私にはハッキリと胸を張って言える肩書きがなくて、
経歴も、なにを、どう取り扱うか、1週間は考えた末に書き出すような一苦労が要る。(実際これを書き始めるのに3週間かかっている。)
履歴書を書くのだって、なんだか気が引けたものだ。
名刺だって持ったことがない。
矢追純一氏が言っていた。
「私は「矢追純一」なんです。色々な肩書きがあるけど、本当は、人間は皆、ただの「自分」なんです。」
いい言葉だ。
さすが、宇宙人と親しいだけあってハイブリッドな思想をお持ちである。
石垣りんだって、同じことを書いている。
「自分の住む所には
自分の手で表札をかけるに限る。
精神の在り場所も
ハタから表札をかけられてはならない
石垣りん
それでよい。」
素晴らしい。
だから、わたしは、私、なのだ。
そして、経歴といえば、わたしの人生を進めて来たもの、それは、岡本太郎のエッセイにあった。
「自分に能力がないなんて決めて、引っ込んでしまっては駄目だ。 なければなおいい、今まで世の中で能力とか、才能なんて思われていたものを越えた、決意の凄みを見せてやる、というつもりでやればいいんだよ。」
決意の凄み。
思い起こせば、決意だけはして来た。
なんにももっていなくて、震えながら決めた、あの、本当に怖かった決意が、また恐怖に呑まれそうになる時、この言葉でそれが息を吹き返す。
だから、
わたしは、「決意の凄み」ってやつだけでここまで来ました。
それじゃあ、これからの自分について書こうかと思えば、それもうまくいかない。
なぜならわたしはいまだにぼんやりしているからである。いまだに青春の茫漠のような、全身麻酔から覚め切らないような、現世にピントが合っていない状態に居るのである。ただ、
私のモットーは「いま」「ここ」なのである。それと、「簡単」。
わたしの聖書のひとつに『モモ』がある。
それはわたしに「いま」「ここ」という概念を与えてくれた。『かもめのジョナサン』でもそうだ。
本は良い。
頭の中のごちゃごちゃした問いにひとりで立ち向かうには脳みそが二つは要る。本は友人がいなくても「答え合わせ」をしてくれる。
それに、頭の中のぐしゃぐしゃした「自分」を、ここまではっきりと書いてくれているから。
だからわたしは本を読むのだ。
なるほど、本好きという事は、ひとつ紹介できたかもしれない。
つまり、わたしは私の事がこれ以上説明できないのである。頭の中にはただ3個のコマンドがあるだけなのである。それはすなわち日本で最も偉大な台詞、
「これでいいのだ」
「だめだコリャ」
「次、行ってみよー!!」
とかく 西に行きましても 東に行きましても
土地 土地の お兄貴さん お姐さんに
ごやっかい かけがちになる 若造です。
以後 見苦しき面体 お見知りおかれまして
今日こう万端 ひきたって よろしく おたの申します。という具合で、これからよろしくお願いします。
私はナカジマカザ。
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