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『坂の上の雲』の最終回を見てない話

いまNHKで、司馬遼太郎『坂の上の雲』のドラマの再放送をしているそうですね。

私は唇を噛み締めている。
私は血涙を流している。


すっごく嬉しい。
そしてとても悔しい。そんな思いが沸騰し身体の中を駆け巡る。

なぜか。

私は『坂の上の雲』の大ファンなのだ。

あれは高専3年生の冬。大河ドラマが終わって一息ついたNHKが、次の大河ドラマが始まるまでの間にとんでもない超大作を放映した。
主演はもっくん。正岡子規役は香川照之。
主人公の兄は私が大大大好きな阿部寛。
3年がかり3部構成で放送すると謳われたそれは【坂の上の雲 第一部】

何気なく見始めて、私は震え立った。

面白い。

面白すぎる!!!!!

すぐに図書館で坂の上の雲を借りた。二段組みのハードカバーで全部で7冊もあった。ハードカバーは一冊一冊が大きくて重い。司馬遼太郎をちゃんと読むのは初めてだった。

面白い。
面白すぎる。

私はもう夢中になった。坂の上の雲の虜になった。ドラマも小説も合わせた坂の上の雲フィーバーで、私の日々全てが坂の上の雲だった。
もっくんが、阿部寛が格好良くて仕方がなかった。香川照之も好きになった。
香川照之が、こんな老けた中学生いるか?っていう見た目でもずーっと夢中に観ていた。もっくんは若々しくて、違和感なかったけど、もっくん、凄いな…。
サラブライトマンの主題歌が流れると気分が高揚した。渡辺謙のナレーションをiPodに入れて暗唱できるまで聞いたりした。
クラスメイトでひとり、やはり面白いと言う子がいた。でも彼女は原作を早々にリタイアしてしまった。
原作も含めた話し相手がいなくなった。
私は興奮の持って行き場がなかった。そんな状態が、【第一部】から【第三部】までの3年間続いた。
ネットは黎明期。今でいう、〈推し活〉の仕様も無く、近くに仲間もなく、私の【好き】(スギッッッッッ‼︎‼︎)は溜まる一方で、膨大なフラストレーションとなっていった。
松山放送局が「雲」の写真を募集したらすぐ応募したことが、田舎でできたささやかな推し活であった。今でも持ってますその返礼品。
今日に至るまで、その熱は解放される事なく私の身体に滞在している。迂闊に触れては爆発する。ニトログリセリンである。
これが第一にある。

そして、実は、私はドラマ版の最終回を未視聴なのである。
好きすぎて、見れなかったのだ。当時の私には終わることが耐えられなかったのだ。

どういう事かというと、【第三部】放映当時、私の母は末期癌を患い、脳に転移もしていて、自宅で過ごしたいと病院から自宅に帰って来ていたのです。
母は左半身が麻痺している。骨の様な脚になっている。母がいつ死ぬかと、気が気では無かった。恐ろしくてしかたがなかった。腫瘍のある所が痛いと言っている。私達家族は一生懸命だった。なににかわからないけど、一生懸命だった。
私はきっと、坂の上の雲にすがっていたところがあるのだろう。
【第三部】の放送を凝視している時間だけがつらい事を忘れさせてくれていたのかもしれない。母の容体が良くなることは無い。
最終回の放送日になった。
私はそれを見たいとなぜか思わなかった。好きすぎて、終わるのが悲しかった。そして現実のつらさを乗り越えるものが無くなってしまえば、私は……。
結局私はリアルタイムで最終回を見なかったし、DVD、Blu-rayで見ようとも思わず、今日まで来てしまったのだ。
死ぬほど見たいのに見たくない最終回があった、『坂の上の雲』のドラマ版。

それが、12年の時を超えて再放送されるという!!!!!
ちょうど母の13回忌の年でもある。
そして、奇しくも、今年「なんでいままで行ってなかったんだ」という思いで夏に松山ひとり旅を敢行した、この年に!!!!!




だけど私にはテレビがない。



君に聞かせるピアノも無い〜

流行に乗った試しのない私が、テレビ離れの波にだけは乗ってしまっているのである。
でもオンデマンドとかは違うねん。
そんな軽い感じで見られるんだったらとっくに見とるねん!

私は、だから、今も並々ならぬ思いで『坂の上の雲』を少し離れて眺めているのです。


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