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寺院とカメラと老人と

バンコク中心地にあるエラワン廟。
由紀はバンコクを訪れると必ずエラワン廟の中にある壁沿いの椅子に座る。
バンコク最大のパワースポットと言われるが、色んな気が混じり合ったこの場所で人々や車の流れを感じるのが好きだ。

いつもの様に椅子に座ってボーっと人々を眺めていると、目の前で大きな体の欧米系と見える男性が一番レフ片手にセルフィーを撮ろうと頑張っていた。体が大きいと言えど、さすがに一眼レフでセルフィーは難しいだろうと思い「写真撮ろうか?」と声をかけた。
彼の写真を撮りカメラを返した後、お互いに自己紹介をし少し話した。
お互いに一人旅だと分かり、この先数日どこに行く予定かをお互いに話すと幾つか被っていたので電話番号を交換した。翌日一緒に水上マーケットへ行き、夜には映画のThe Hangoverに出てきたルーフトップバーへ一緒に行く約束をして別れた。

お互いのホテルが同じ駅にあった為、駅で待ち合わせをした。翌日お互いにほぼ同じ時間帯に到着し、挨拶をして一緒に切符を買おうとしたところで雲行きが怪しくなった。
切符売り場の近くにいた欧米系の老夫婦に何故か声をかける彼。このご夫婦は2人で駅の地図を見ながら話していたけれど、特段困っている様子は無かったので、由紀は彼が何の為に声をかけたのかが分からなかったが静観した。そして、水上マーケットがある駅を指し「ここまででいいよね?」と聞くと、彼は何故か王宮がある駅を指定した。
「え、なんで?」と思わず聞くも老夫婦の方をチラリと見ながら「彼らと一緒に行く。」と。
彼らは終始英語で会話をしていたので、由紀も状況は把握していたが、由紀は静観していて会話には入っていなかったので、由紀の知らないところでそういう話になったのかと思いつつ、とりあえず送りたいだけかもしれないし。と何も言わずに従った。

電車の中では老夫婦の隣に立つも、老夫婦は明らかに彼を不審に感じているようだった。話しかける彼に、とてもよそよそしい感じで当たり障りなく返事をし、少しずつ距離を開けている。
彼は老夫婦をアテンドする優しい俺。に浸っているように見えた。
王宮のある駅に着き、老夫婦はそそくさと電車を降りて行ってしまった。
そこで彼に
「ここから、どうするの?私たち、水上マーケットに行くから待ち合わせしたんだよね?」
と尋ねると
「うん。でも涅槃仏のいる寺院と王宮も見たいんだ。すぐに済ませるから水上マーケットはその後に行こうよ。」
と言うので、水上マーケットは1人よりも2人の方が良いと思い、少し呆れながらもついていくことにした。

寺院に着き、由紀は既に訪れた事があったので、門を潜り抜けたところにあるベンチに座って待つ事にした。5分か10分ですぐに戻ってくるね。と言い残した彼を見送り、木陰で気持ちの良い風を満喫していた。
門の向こう側は昼下がりでとても明るく白い門の黒い淵とのコントラストで真っ白の門が閉じているように見えた。
由紀が幼い頃に好きだった漫画のワンシーンと重なって見えた。

頬を撫でるそよ風、木や屋根の黒い影と太陽の光のコントラスト、参拝通路に置かれた鉢にコインが入れられていく小気味良いリズムと軽やかな音を楽しんでいた。
ふと我に返ると、80代ぐらいである老人がにこやかに白い門から入ってきた。太陽の光のせいか、神々しいという言葉がとても似合う登場だった。
近所のおじいさんかな?と思いながら見ていると、由紀の目の前にやってきて
「お隣良いですか?」
と聞かれた。
「勿論です。どうぞ。」
と由紀は答える。

老人に旅行かと聞かれ、由紀は自身の話を少しした。
由紀のイメージではタイ人の話す英語は独特の訛りがあり、英語率はあまり高くないイメージだったけれど、この老人は訛りが無いとても聞き取りやすい英語を快活に話していた。由紀は老人に海外生活が長かったのかと質問をした。老人は終始にこやかに穏やかに彼の話をしてくれた。それは歌を聞いている様な、とても心地よい響きだった。
暫く老人との会話を楽しんでいたところで、くだんの彼が戻ってきた。
優に1時間は超えてのご帰還。
彼を老人に紹介し、ご一緒させてもらったお礼を伝え由紀は彼と寺院を後にした。

既に1時間以上出遅れている事から、由紀は水上マーケットを諦めた。
本来であれば午前中に行くのが良いと聞いていたのだが、もうすぐ3時になりそうな時間になっており遅すぎると判断したからだ。
その後、彼は王宮へ行きたいと言うので王宮前まで一緒に行くも、ショーツでは入れないと彼はガードに言われ、近くのお店まで歩いて行った。
由紀は王宮には入った事が無かったが、さほど興味が無かったのでお店の前に着いたところで
「私、ホテルに帰るね。だから、7時にまた駅で待ち合わせよう。」
と伝えた。
「え、水上マーケットは?」
と聞かれ、まだ行く気があったのかと少し驚いた。
「王宮に行って、水上マーケットに行くのは時間が無さすぎると思う。」
と言うと
「分かった。じゃあ、王宮だけ行って一緒にホテルに戻ろうよ。すぐに終わらせるから。」
「さっきも寺院で5分から10分って言ってたのが、1時間超えてたじゃない。同じホテルに帰るわけじゃないのに一緒に帰る意味が分からない。今日はもうこれ以上自分の時間を無駄にしたくないの。」
と伝えるも、どうにか私を待たせようと説得を試みる彼に
「私はこれ以上待たない。7時に駅で。じゃあ、楽しんでね。」
と言い残し、まだ何か言いたげな彼を残して由紀は駅へ向かった。

人として彼との間に何もコネクションを感じず、相性もそんなに良くないのだろうと思ったので、水上マーケットに行けなかったのは残念だったけど、ある意味一緒に行かなくて良かったかもしれないと思った。それにあの寺院で老人に会えた事はとても良かったと思った。
由紀はタイに行くと他の国以上に色んな人と知り合い、交流が生まれるので何かしらのパワーが働いているのではないかといつも感じている。
今回もきっと、老人に会うべくして会ったのだろう。とても憧れている相手や尊敬している相手でない限り、人生で誰かに会って光栄だと思える機会はそう多くないと思うけど、この老人との出会いはその数少ない機会の1つだった。


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