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組写真がうまくなりたい。


 先日、フィルムさんぽについての記事を書かせて頂いた。
 この企画でよく講評の対象とされるものが「組写真」である。
 2枚以上の写真を選び、写真がひとつのテーマに沿った組になるように意図するものだ。

 言葉で説明するより見た方が早いかもしれない。


 かつてモノクロ回で組んだ組写真を再現した。

 テーマとしては「鏡の中の世界」。

 撮影場所が新国立美術館という、非常にリフレクションが多い場所だったため、仮面ライダー龍騎のミラーワールド的なものを撮れないかなあ、と組んでみたものだ。

 こういった形で、参加者が自分の撮影した写真で、なんらかの「組」を作り、それが講評の議題となる形である。


 この組写真をうまくなりたいよね、という話だ。


 そもそも組んだ意図なんてもんは千差万別で、人によって、
「自分の目が留まった風景」だったり、
「ある人からの視点」を表現したものだったり様々だ。

 色や形で合わせることだってある。




 これも私が撮影した組写真の再現で、

 左側が静止・和装・背景が天然物・人間がいる・暖色の要素
 右側が動き・洋装・背景が人工物・人間がいない・モノトーンの要素。

 こうして正反対の要素を引き出してみたのだが、その、自分で言うのもアレなんだが。

 頭が堅すぎる。


 ……と思うわけだ。

 なんとなく察するかもしれないが、私は屁理屈に手と足が生えて活動しているような存在なので、組写真を撮るときいつも左脳的なものばかりになってしまう。

 つまり全て計算系だ。もう一組見てみよう。




 これは最初に
 左端の「白い壁にかけられた黒い女性ものの服」がなんかに使えるんじゃないかと思い撮影しておいたら、
 右端の「黒い壁にかけられた白い男性もののシャツ」(正確にはユニセックス)をルート中に偶然見つけたのでシメシメ!と思い撮影したもの。

 そして海辺で男女のものと思われる飲みさしのペットボトルを見つけて撮影し、子供が砂浜に書いていたハートを撮影して
「人の写っていない男女ポートレート」を狙った。

 これで「左端が女性、右側が男性で中央に双方をつなぐものを置いた」構図となる。

 この説明で私の頭でっかち具合がわかるだろうか。

 良く言えば予め組むことを意識して素材を集めている、と言えるが、
 悪く言えば計算ずくの部分だらけでかわいくない。

 これで一枚一枚の写真がぶっとんでいたり、36枚どれを選ぶのか難しい!というほど撮れ高のあるタイプかというとそういうのでは全くない。
 というか写真の腕そのものはあまり良くはないと自覚している。私。

 常に理詰めというか、要素を言語化して撮ってしまう傾向をもうちょっと見直すことができれば、または切り取りのセンスをもっと上げることが出来ればなあ、と毎回講評中に思う訳なのである。
 別に自分の写真や組写真が嫌いなわけじゃ決してないんだけど、もっと、こう、右脳的な組写真を作れるようになってみたい。


 たまには計算じゃない、ちょっと後付のものだってあるにはあるが。


 電話ボックスで電話している男性と、なんかよくわからないワチャワチャを繋げて、
「電話線の先がどこの誰に繋がっているのかわからない」というイメージ優先で組んだもの。

 このワチャワチャの写真をとにかく使いたかったので、手持ちの写真で繋がりそうなものを探したものだ。


 このワチャワチャ、一体なんなのかと言うと、公園のフェンスのほつれたところ
 55mmで最短距離まで寄って撮影した。

 こういうわけのわからんものは一枚撮っておくとたまに使い出がある。


 これからの目標は理屈屁理屈小理屈ではなく、もっと右脳にたくさん仕事をさせて写真を撮っていきたい。

 なんとなくの打算的な慣性に引かれ理屈で構図他を管制したものばかりでなく、
 感性をより完成させて講評の時に歓声を挙げさせたいものだ。

 皆さんも組写真を組むとき、何を意識して組むか、どうやって組むかを言語化してみて欲しい。


 ……なんなら、私にちょっとしたヒントを教えて頂いてもいいぞ。






kaz

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