野蒜ケ丘SC③
これまでの障害というか、乗り越えなければいけない課題を越え、いざスタートとなった時にまたひとつ課題が現れます。
一つ目は内なる障害、建築設計事務所がデザインするということです。これは一概に障害とは言えず強みにもなることなのですが、うまくコントロールできないと諸刃の剣になり替わり、味方諸共切り裂きます。
当時の担当者が描くデザインは、当然ながら建築的に評価が受けられるデザインを目指してくるので、プランを一目見た時の収益性の悪さに一瞬唖然としてしまいます。
しかしそれは反面、住み心地の向上や入居者の満足感に繋がる訳なので、否定はしません。自分の役目としては、出てきた案をベースとしながら、ひたすら運営の収支を合わせていくことです。そもそもこの事業は、社会的な意義を多分に有しており、通常の不動産会社やディベロッパーとは異なる性格であるので大きな収益を目的とはしていません。が、事業とは則ち継続することが最も重要なことであるため、そこそこ運営に潤いのある収益性が必要になります。出資者の皆さまの目を気にしながら、塩梅を探る日々が続きます。
計画もあるほぼ固まり、2,3ヶ月後の着工を睨むと野蒜地区では必ず通らなくてはならない、松島の風致地区となる特別名勝「松島」現状変更申請に臨みます。これは、歴史ある松島の風景を守り継承するために求められるデザインコードを審議される場となります。そのためにも、割合厳しいまちづくりのルールがあり、コモンズは全体で見ると大きな開発となるので、住宅一軒のような書類審査とはいかないのでした。
宮戸の縄文の里にある会議室、大学の先生方が居並ぶ席で説明を始めます。
一番最初の質問、「最近なんでもサスティナブルって名前が多いけど、どうなんだろうね?」
(心の中で)「え、そこですか?同感しますが、、、」
という先制攻撃を受けて苦笑したものの、そもそも分棟としているプランなど好意的に受け取っていただきました。
さらには事業としての期限があることで市役所の方々のヘルプもあり、ある程度の修正で許可していただけることとなりました。
(詳細な話はここでは書けませんが笑)
そして、いよいよ着工するというその時、外的障害としてウッドショックが始まりました!そこから始まる各種の資材高が、波状攻撃で予算を削ってくるのです。
最早、当初の計画を変更するしかなく、ほぼ確定し着工目前の賃貸住宅はそのままに、テナント側の規模を縮小して事業計画を練り直すことにします。
その計画が現在の最終案となり、なんと計画にあった(仮称)F棟を取り止め、それでもきちんと収入が下がらないよう、無駄を切り捨てた計画に行き着くことができたのです。設計事務所ってすごい(笑)
そうして工事が着工し、現場が始まってからも次々と資材の納期が遅れたり、はたまた使用する材料を変更したり、の調整は続いていくのでした。