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Tシャツのモデルになった親戚

先日、山形県新庄市のフリーマガジン、季刊にゃ~ のサイトを覗いていたら、親戚のおじさんが最上の偉人Tシャツになっていることを発見!
https://kikan-nya.stores.jp/items/5f44d3b7223ead12ad4fed7b

これは、一目置いている(なぜ上から目線?)新庄市在住のデザイナー、吉野さんの手によるものだけど、衝撃が大きかったのはもちろんのこと、おかげで実家に連絡する口実もできたことは感謝しかない
そしてバックナンバーを読めば、これまで全然聞いたことのなかった押切六郎さんの、すごい人生のエピソードが( ゚Д゚)
http://www.city.shinjo.yamagata.jp/book/etc/nya-201712/html5.html#page=9


祖父の葬儀以来、会っていないので何年ご無沙汰しているのだろう
というか、冠婚葬祭でしか顔を合わせないので、正直祖父とのつながりもどういった親戚だったかもよく分かっていない
だけども、山形県の経済同友会が出演するテレビの提言番組では拝見していたので、顔はよく憶えているし、祖父の葬儀の時にかけられた言葉も記憶している

こんなに熱い人生を送っていたことは今回初めて知り、それは確かに最上の偉人と呼ばれるであろうと
さらに、不思議とその、エシカルでありパンクな視点と感性が自分と重なり、なんか応援されている気分にもなり、、、
こんな苦労、きっと一生味わいたくないという甘い人生観は引き続き持つので、なんとか創意工夫で回避していこう笑

しかし、六郎さんの激熱な半生、この年齢になると、あれ?もっとたくさん聞ける機会があったのに、なんて思うことが多くなった
近くにものすごい人生のお手本があるのに、気がつかないのは自分のポリシー、遠くの神より近くの神様(遠いほうに参詣したほうがご利益ありそうだけど、近くの神様に感謝するほうが大事という意味で)にも反していることに気がつかされる
半世紀生きた自分、さて次をどう過ごすのか、そんなたいそうな人生ではないけど、この世界でなにを提供できるのだろうと思わず考える

最上地方、新庄市は高校生活3年間を過ごした思い出の地ではあるのだけども、実は学校が楽しくなかったので、あまり最上というか新庄に対していい思いは持ってない
でも、この季刊にゃーがきっかけとなり、吉野さんが主宰するkitokitoMARCHEのい~感じの空気をまた吸いたくなったし、空手の練習に行く前に腹ごしらえした、とりもつラーメンもまた食べたくなったし、、、
そういえばハードロックに目覚めたのも新庄にあった貸しレコード屋で借りたホワイトスネイクが原点だし、服飾に興味持ったのも新庄のミドリヤ(だっけか?)とか、いろいろ影響を受けている地域でもあったりするので、実はエシカルパンクの原点なのだろうか?

雪が融けたらその原点に向けて足を運ぼう
六郎さんが目指した新しい観光、を年月と共に改めて見直す視線を持ちながら

風の時代だし、軽やかに

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