デフトーンズの官能的なヘヴィ・ロックを生で味わう
2000年のアルバムで、忘れられない1枚がデフトーンズの『ホワイト・ポニー』だ。彼らは、1995年にマヴェリック・レコードから『アドレナリン』でデビュー。担当は先輩の井本さんで、日本リリースを決める編成会議で、「7ワーズ」を聴いたのだが、”ファック、ファック"とサビで叫び続ける、インパクトはすごかった。そう、デフトーンズはデビュー時から、カリスマ的なヴォーカルのチノ・モレノ率いる、ヘヴィ・ロックのニュー・ヒーローだったのだ。
1997年のセカンド・アルバム『アラウンド・ザ・ファー』はサウンドも含め、彼らの世界観が結実した1枚だった。「マイ・オウン・サマー」は特にこのアルバムを代表する1曲だが、この曲を聴くと、この後にデビューするザ・ユーズドなどのスクリーモと言われたバンドたちに、デフトーンズが大きな影響を与えていることがわかる。彼らのサウンドが独特なのは、やはりドラムのエイブ・カニンガムがとてもテクニカルなドラマーであることが大きいと思う。彼の乾いたスネア・ドラムの音も独特だ。そして、ステファン・カーペンターのヘヴィなギターに、チノ・モレノのヴォーカルが絡み合う。静と動を巧みに使い分けるヴォーカルは、やはり他のヘヴィ・ロック・バンドとは、一線を画している。彼らが当時、ヘヴィ・ロック界のレディオヘッドと言われた所以だ。
そして、2000年、3枚目のアルバム『ホワイト・ポニー』から、僕が担当を引き継ぐことになった。デビュー作、2作目ともにアメリカでは100万枚以上のセールスを記録していたので、この3作目もかなりの期待作だった。僕はリリースに先立ち、彼らの地元サクラメントで現地取材も行った。カリフォルニアの州都とはいえ、かなり何もない場所だった。取材では、ギターのステファン・カーペンターが大遅刻してくるというハプニングはあったが、大きな収穫があった。彼らが自分たちのスタジオに招いてくれ、我々だけのために、演奏してくれたのだ。今までかなりのバンドを担当したが、この時以外にこういった経験はない。これはすごく貴重な経験だった。倉庫を改造して、機材などを置いているリハーサル・スタジオで、かなりの大きさのスケートボード用のハーフパイプが鎮座していたのを覚えている。
正直、何の曲をプレイしてくれたのか、今はあまり覚えていない。おそらくリード・シングルの「チェンジ」をはじめ、ニュー・アルバムの曲をプレイしてれたのだと思う。ちなみに、僕は『ホワイト・ポニー』では、「デジタル・バス」という曲が大好きで、この曲はやってくれたと思う。海外でライヴを見ると日本で見るより、なぜか感動するものだが、この時はさらにスタジオ・ライヴだけに、めちゃめちゃ感動した記憶がある。僕はチノにおそらく、「This is one of the best performances I've ever seen」 みたいなことを言ったのだと思う。喜んだチノが僕のほっぺにキスしてくれたのも、いい思い出だ。ちなみに、僕はこのフレーズをかなりの頻度で、ライヴ後にアーティストに言うのだが、いつもみんな喜んでくれる。実際、心から言っているのだけど、やはりアーティストもライヴの後は最高だったと言って欲しいのだ。
アルバム・リリース後すぐに、アルバム未収録曲の「バック・トゥ・スクール」というシングルが切られた。この曲のビデオのチノのファッションを見ると、当時のストリート・ファッションがわかると思う。今ではこの曲が『ホワイト・ポニー』の1曲目として、配信されているが、当時はアルバムに収録されず、日本では5曲入りのEPに収録して、リリースした。
今でも、デフトーンズはヘヴィ・ロックのオリジネイターとして、活躍している。その後もたくさんアルバムをリリースしているが、やはりこの『ホワイト・ポニー』が一番好きなアルバムだ。そして、デフトーンズはすごく今のバンドにも、影響を与えていると思う。僕は今、バッド・オーメンズというバンドの『デス・オブ・ピース・オブ・マインド』というアルバムが好きで、ずっと聴いているのだけれど、ヴォーカルの声質は違えど、バッド・オーメンズのヴォーカルのノア・セバスチャンからは、チノのヴォーカルの影響を感じる。
最後に、トリヴィアを一つ。意外に思えるかもしれないが、ギターのステファンはゴルフが趣味で、かなりの腕前。来日時に、外苑前のゴルフ練習場に連れていったこともいい思い出だ。<次回に続く>