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コロナの前は。あとから日記。

コロナの前は何をやってたんだろう。

2019年の大晦日。Leoの家に招かれてEfin、Etienne、Peterと5人で鍋を囲んだんだったっけ。その前にはTabooのハッピーアワーに行ったんだった。鍋の後にLeoがあいつの香港の友達とずっとSkypeで話してて、俺らはテレビを見てたんだ。カウントダウンの前にはTabooに戻ろうと言ってたのに全然Skypeを終える雰囲気は無し。放っておかれてるのにバカバカしくなってLeoの家を出てPeterと二人でTabooに向かったんだった。後から追いかけてきたEfinとEtienneの4人でカウントダウンして。2020年の幕開けはあんまり気分のいいものじゃなかった。

1月8日には大使館の新年会に二人で行った。今年で何回目になるかなぁ。既婚のゲイカップルは今年も俺らだけだったみたいだ。前は他にも居たのになかなか増えない。

1月17日。Edを囲んでアムスで食事会。ひさびさにEfin、俺、EdにKongの4姉妹が揃った。食事は、うん、それほどのものでもなかった。サービスは良かったかな。

1月18日。ロッテルダムのYAMAでペーターと食事。やっぱりここは美味しい。安心して楽しめる。食事もお酒もサービスも。すべて満足。次回は3月31日の予約だ。でもこれはコロナのせいで後にキャンセルになる。この時は知る由もなく、3月には春のメニューを楽しみにしてるよーなんて言ってたんだ。YAMAの後にはRickとKongの家に行ってEdたちに合流。ああ、そうだ、今思い出したけど、この時RickとEtienneは具合が悪いと言って、Rickは寝室のベッドで、Etienneは居間のカウチで横になったままだったんだ。

1月19日。前から予約してたアムステルダムのキャンドルカナルクルーズへ。この日は昼間とても天気が良くて良く晴れて暖かかった。少し早くアムステルダムに着いたので、Eye Amsterdamに行こうと思って連絡船に乗ったら行先が違ってて焦った。EyeじゃなくてNDSMに行ってしまった。でも天気が良かったから気分も良かった。夕刻、気温がぐっと下がり、カナルクルーズのボートが寒くて、うわーやばいなこれは、と思ってたんだっけ。

1月22日。ペーターの誕生日。Hotel des Indesのダイニングでバースデーディナー。悪い予感が当たって俺は風邪ひき状態。でもこの時はまだ何とかなって辛いながらもディナーを無事終えた。Rick達が具合悪かったのと、カナルクルーズで寒風にさらされたのが悪かったんだと思う。

1月24日。22日のディナーのあとに咳が出始めて体調は最悪に向かってった。23日は何とか一日仕事をしたものの帰り際には明日から仕事休むことは確実に。悪いけど明日から休むからと言って職場を出た。24日にホームドクターに行った。風邪ひいたみたいで、と言う俺に先生は「咳がでるんでしょう?」と言い当てた。今、多いんですよ、咳が止まらない人が、って。診断書書いてもらったら「24日から31日まで休んで休養するように」と。うーん、そんなに長くかかる?

1月25日。シルバーネットの新年会。具合が悪くてもこれは休むわけにはいかない。俺、役員だから。カラオケの機械を持っていくともみんなに約束しちゃってたし。でもお年寄りが多いこの新年会にこんな体調で行っていいのだろうか?咳が止まらないけれど、これってコロナウィルスってやつじゃないよねと、それも心配。体調悪くなってからずっと悩んでたけど結局マスクしていくことにした。去年日本に行った時に冗談で買ったマスクがあるんだ。和服着てマスクしてという変な格好で新年会に出席。俺の異様ないでたちを見た会員さんたちから、コロナじゃないでしょうね?などとからかわれた事を覚えてる。あの頃はまだコロナと言う言葉は笑って口にする余裕があった。と言うか、まだみんなこの病気に対して無知だったんだ。途中で倒れることなく行事を無事に終えて、家に帰ってベッドに直行。この後数日は文字通り動けなかった。熱も珍しくあって、37度くらいの微熱が続いてぼーっとした状態で咳が止まらない。ベッドから起き上がれなくて、数日は死んでた。

1月31日。職場には復帰したけれどまだ本調子ではなく。この日にはロンドンに引っ越すAiさんと食事をする約束があったのだけど、事情を話して食事ではなくお茶とケーキでお話ししましょうということにしてもらった。この時、事情を伝えるメールには「コロナウィルスではないようですが」なんて書いてたので、この頃にはやっぱりもうヨーロッパでもコロナの存在が知られてたんだな。翌、2月1日にはシルバーネット南ホランド地区の新年会が予定されてたけれど、これは欠席させてもらった。

2月2日。待ちに待ったバケーションでタイへ。体調はまだ完全に戻っておらず、咳が夜になると出始める。横になると咳が出る。やだなー、困ったなーと思いつつも行くしかない。みんなから「暑いところに行って辛い物食べれば風邪なんてすぐ治るよ」と言われて、自分でもその気でいた。というか、そういう風に気持ちを持っていくようにした。そう、病は気から。

2月3日、バンコク到着。5日、チェンライ。8日、チェンマイ。13日、バンコクへ戻り、17日バンコク発アムステルダムへ。タイでの2週間はそれはそれは楽しくて。新しい友達との出会い、新しい場所への旅行、新しい体験、それにであっという間に過ぎ去っていった。ペーターと「今まででベストの旅だったよね。また今年の終わりにタイに来よう」と感動しまくりだった。13日にバンコクに戻ったあたりから、マスクをつけて歩く白人の観光客が目立つようになり、ドラッグストアではマスクや消毒液が売り切れていて、ダイアモンドプリンセスのニュースを毎日テレビニュースで追うようになったことを覚えている。どこの商業施設に行っても入り口に手指用の消毒液が置いてあった。そうそう、風邪でホームドクター診察してもらった時に、前に受けた血液検査の結果を聞き、飲酒を一か月止めるようにアドバイスをされていた。肝臓の数値が良くなかったのだ。とりあえず一か月止めてみて、もう一度血液検査をしてから今後どうするか考えましょうということで。タイに滞在中にビールを飲めなかったのは辛かったけれど、健康第一だからと思って頑張った。絶対できないと思ったけれど、禁酒はやればできるものだった。

2月23日。アムステルダム・ソフィア会を開催。この間間違って行ってしまったNDSMで見つけたIj-Kantineというカフェレストラン。元々は中華レストランで開催の予定だったけれど、会員の一人が中華レストランで会食をすることに難色を示したので、ここですることにしたのだった。この頃はコロナはまだ中国人の病気と思われていて、東洋人が差別される事案が世界各地で発生したころだった。アムステルダムでも中国人に間違えられた日本人の子供が殴られたなどと言う話があって、日本人が大勢、地元の普通のレストランに集まって会食するという目立つ行動をすることに緊張をしたものだ。幸い、レストランでは嫌な思いをすることも無く、三時間の会食と談笑は非常に楽しいものだった。

2月29日、3月1日。自分にとっては今年初で当面のあいだ最後となったMuseum Rijswijkでのボランティア勤務。29日の土曜日は風が強い日で、ミュージアムの前で行われる土曜日のマーケットはいつもに比べて人が少なく、出店を見合わせた店も多いようだった。土曜日、日曜日ともミュージアム訪問者はやっと30人を超えるくらい。そろそろ不要不急の外出を見合わせる人が増え始めてきたころだった。1日、迷ったもののHappy Hourに行くためにアムスへペーターと出かけた。

3月6日。歯医者のアポイントメント。先生といよいよオランダも危なくなってきたよね。これからどうなるんだろうといつもより長く雑談。この頃はまだ歯医者も営業ができていた。

3月8日。振り返ってみると、この日が最後のハッピーアワー。

3月11日。再度の血液検査のために病院へ。職場ではそろそろウチの職場もクローズしないとヤバいのでは?とみんながソワソワしだしたころ。

3月13日。血液検査の結果を聞きにホームドクターへ。結果はやはりあまり良くなく、もうちょっと禁酒を続けてみましょうか、ということになる。ホームドクターの診療所から職場に行く間にスーパーマーケットに寄ったらトイレットペーパー、ペーパータオル、パスタ類の棚が空になっていて慄く。オランダでもとうとう買い占め、買いだめが始まった。この日、職場では来週17日火曜日からほぼすべての職員が自宅勤務をすることに決定。その決定は勤務時間以降に職員に連絡された。マネージメントがぎりぎりまで考えた末の結果だったのだろう。

3月15日。ペーターのお母さんを彼女が入所している老人ホームに訪問。当分会いに来られそうにないからねと。お互い、寂しい気持ちになる。日曜日だけどハッピーアワーに行く気にならず、老人ホームちかくのラーメン屋さん、横浜ラーメン斉藤さんで食事。これがロックダウン前最後の外食となった。

3月16日。この日は月曜日だけど、10in9で二週間に一度月曜日が休みになる日。桜が満開のアムステルフェーンの桜パークへペーターと花見に出かけた。これがロックダウン最後の外出。

3月17日。記念すべき自宅勤務の開始。当初は4月6日までの予定だったのだけど。自宅勤務開始の記念写真。どこか嬉しそう。

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