ふいの困難を受けとめる。悲観的な楽観性の心づもり。
ときどき、文字が読めなくなるときがありす。脳みそが疲れてしまっているような感覚。
読んだ方がよい記事はたまり、発信した方がよいことがたまり、SNSのタイムラインは空虚に流れ、友人への連絡は遅くなります。
やった方が良いことがたまるほどに焦り、焦るほどに体と頭と心は動かなくなります。
そんなときは、少しドキドしながら、「まぁ、そんな時もあるよね」と自分の中のマイナスな気持ちを洗い流すようにしています。
常に調子が良い人もいなく、不完全な自分が自分であると言い聞かせる。うまくいくことばかりではない、困難の連続の中をよく頑張っていると認めてあげる。
こういう時のために、定期的なメンテナンスが大切なんだと思う。体のメンテナンスのために月一回マッサージに行く。心のメンテナンスのために月一回カウンセリングとコーチングを受ける。今も継続しているけど、これがなかったらもう少しひどくなってるかも、と思う。
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「小雨が降っているとする。あなたは表にいる。傘をひろげる。それで十分だ。『またしてもいやな雨だ』などと言ったところで、なんの役に立とう。雨粒も、雲も、風も、どうにもなりはしない。そんなことを言うくらいなら、『ああ、結構なおしめりだ』と言わないのか」
(アランの『幸福論』より)
ふいに訪れる困難は、ほんとうにふいに訪れる。元気で遊びまわっていても平穏無事に過ごしていても、ふいに困難は訪れる。
本当は、ふいの困難を事前に察知して予防することがベストなのだけど、できない時もあるから、そのときはしょうがなく受け入れる。
訪れる度に「どうしてなのか?」「これが原因かも」「でもわかりやすい原因もあるのだろう」とひとしきりぐるぐるした後、体と頭と心を休める。
原因がわかったところで、いまの自分の困難はたいして変えることはできないから、まず受けとめる。
「そんな日もあるさ」
「たまには雨に打たれよう」
「まぁ、なんとかなるでしょ」
そんな、悲観的な楽観性を持ちながら、人生の困難と向き合っていきたい。
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TOP画像は、阿佐ヶ谷のあささんぽで出会った風景。木漏れ日が綺麗でした。
最後まで読んでいただきありがとうございます。