餃子と兄と #夜更けのおつまみ
年上の兄がもくもくと餃子を食べている。
豊洲の一角に佇むお店の中はひっそりとしている。
だいすきな餃子がある。大豊記の餃子だ。都内に何店舗かあるお店で、近くを通ったときには、必ず行く。
とにかくおいしい。コスパや利益を度外視しているのではないかというくらい、一つの餃子中に、おいしさが詰まっている。
イベリコ豚と国産野菜がふんだんに詰まったタネが、分厚くて柔らかい皮に包まれている。タネと皮はどちらも店内で手作りされていて、本当につくりたての餃子からは噛むほどに肉汁が溢れてくる。
あぁ、食べにきてよかった
と食べる度に思わせてくれる。これからもずっと通い続けることは、もう約束されているように思う。
普段は料理に対して辛口な兄もこの餃子は、本当に美味しそうに食べる。
最近、元気にやってる?
兄とするのは、いつも何気ない会話だ。
ふと二十数年間過ごした関東の田舎にある実家で兄と過ごした日々を思い出す。
幼い頃に兄とはよく喧嘩していた。決まって泣かされていた。ゲームをしても口論をしても、ぼくが勝てないことの方が多かった。
「どうしていつも泣かされるのか?」
幼いながらもそう自分に問いかけ、次勝負するときには勝てるように、こっそりと練習を積んでいた。自分の中にある勝負へのこだわりは兄との日々が培ってくれた。
兄との関係は、いまはとても良い。お互いが自立していて、会うのは数ヶ月一回ほどだけど、お互いにいつも面白いことをしたがっていて、話が合う。
お互いに一般的にはマイノリティと呼ばれるような業界で仕事をしたり生きていたりしていて、常に自分の意思を信じて進む生き方は、近いものがあるのかもしれない。
いい人間関係の一つとして、「沈黙が苦にならない」ということがある。何も話していない二人の間に流れる空気が心地よいかどうか。誰もその空気の作られ方はよく知らないけれど、人は誰しもその空気を察することができる。
兄との食事の間に流れる静かな空気は、すきだ。20数年間のやり取りの中で培われてきた関係性は、形は変わるかもしれないけれど、これから先も続いていくのだろう。
年末は実家に帰る予定だけど。
3歳年上の兄がおいしそうに餃子を食べながら、話している。
そろそろ実家に帰ろうかなぁ。
兄と餃子を眺めがら、そう思った。