2024年10月27日
10月21日(月)
かつて一緒に仕事をした人とおざぶで話す。いまどうですか?と聞かれ、楽しいですよと答える。
お互いの近況を話してから最近ようやくできたことや当時やりきれなかったことなどを交換する。様々な事情で大切な価値観が徐々に失われる過程を見るのはつらい。大切なことを大切にしたくて活動するのであり、ビジネスゲームをしたいのではない、というような考えがテーブルの上に並べられていた。
話し終えて玄関から出ていくのを見送った後、部屋で一人飲みかけの珈琲を啜りながら、自分が仕事に対して価値を感じないままに社会人になったことを思い出す。どうせ一日八時間働くのならおもしろい方がよいという発想で、一見なんでもないようなことからでも何かを汲み出せないかと懸命に働いた。意義のある仕事を為すことで、仕事から意義を見出すことで、自分にも燦く美しい一瞬が訪れると信じていた。しかし、いまならその期待が過大だったとわかる。そうでもしないとうまく現実に没入できないくらいには不器用だった。持ちうるすべての体力と精神力を万力にかけて圧縮して抽出したものを提出し続けるような苦しい日々だった。後悔はないが、いまの自分が当時に戻るなら同じようには働かないだろうとも感じる。そう思えることは変化した結果だと捉えることで、湧き上がりそうになる何かを鎮める。
昨日まであったワイヤレスイヤホンがどこにも見当たらない。
10月22日(火)
読書は会話だった。発語しないが、頭の中で著者と言葉をやりとりする。
人にひどいことを言いそうな自分を捉えて、不安を覚える。わたしは自分が最も大切なことの変容を迫られることを許容するが、相手もそうであるかわからない。わたしは悲しみや苦しみ、困難を常態とみなすが、相手がその価値観と重なる価値観であるかわからない。わたしの放つ言葉の質量を、相手がいかなる重さで受け止めるかわからない。人との間に広がるわからなさの薄膜をどう扱うべきなのか、いまだ答えがない。
家で髪染めをするセンスがなく、銀色を目指しても紫になる。
10月23日(水)
ここに書くことには、本当のことと本当ではないこと、本当だとは言い切れないが本当ではないとも言い切れないようなことたちがある。日記を書く行為は切れ切れになった日々の破片をかき集めて一枚の絵を描くような行為だ。
10月24日(木)
わたしが一人でいる時、登場する人間はほとんどいない。誰かと話したい衝動を感じることもあるが、わたしは一旦何を話したいのかと自問してみると、別に話したいことはないと気づき、隆起した衝動も萎む。
人と話すことに含まれる共同性・共存性には興味がある。話す内容ではなく、共にする時間と空間そのものに興味がある。夢の中にはよく人が出てくる、一人きりの夢は少ない。わたしの無意識は何かと共存したがっているのかもしれない。大抵は何かに追いかけられる夢なのだが。
おざぶの近くの居酒屋でお酒を飲みながら、人間の名前をつけるのは如何なる行為か、という話をしたが、まったくまとまらない。名付けの行為は、祈りであり祝福でもあり宿命でもあり呪いでもあるように感じる。
清澄白河始発電車の存在を初めて知る。
10月25日(金)
祖母の三回忌に出席する。親族だけの小さな集まりだった。昼食に祖母が好きだったハンバーグ定食を食べて、祖母が好きだったクリームソーダを飲む。とても甘い。
10月26日(土)
教育をするのもされるのも好きではない。教育的な関わりが必要とされる場面でも、あくまでも役割を果たしていると理解してもなお、個人的な感覚として気持ち悪さを感じる(しかし自ら学ぶのはとても好きだ)。教えることと教わることが重要になる場面では、正しさという概念が特定の一軸においてのみ成立する前提が覆い隠されやすいからかもしれない。都度たくさんの注釈をつけながらコミュニケーションすることは非効率極まりないので実現しないが、どれだけ普遍的な正しさでもそれには時代性が含まれていると感じる。わたしが一人の人間である限りある特定の地点からしか話せないように、どこの誰でもある地点からしか話を始めることができない。だからせめて、自分(あるいは相手)の正しさは限定的であると自覚して話したい。わたしが正しさを語る時、わたしが美しさを語る時、わたしが何かを語る時、それはわたしが語ること以外の何にもなりえないことを忘れたくない。人が人に何かを伝えようとする営みは、必要性とともに語られることが多いが、突き詰めて考えると、それは美学の問題のように感じる。
久しぶりにオムプリ以外のパンツを履くと、オムプリの快適さを思い知らされる。
10月27日(日)
「美学を話すなら、それを美学として話せ。自らの美学を、普遍的な善なることとして話すな。自らのエゴに自覚を持て、そして注意深く話せ。」と昨日の日記を読みながら感じる。「自覚を促しつつ、自覚できないこともあることを自覚し、その不可能性に開かれよ」とも言ってる気がする。
家の近くの投票所に行き、その足で東京都現代美術館に行く。『日本現代美術私観:高橋龍太郎コレクション』を観る中で、志賀理江子の『螺旋海岸31』の前で立ちすくむ。
事前情報がまったくなかったが、写真の持つ凄みと死の気配に引き寄せられた。わたしは何を感じたのだろうか、ゆっくり捉えたい。