「読むこと」の本質を引き続き考える【中編】
自分が何かを読むことにどんな意味があるのか、そもそも「読むこと」の本質は何なんだろうと思い立ち、書きながら考えることにしました。
中編も引き続き、思いついたままにつらつらと書いていきます。
6. 期待に応える
「読んでください」と言っていただくことがごくまれにあります。自分も読みたいと思うことが条件ですが、そういうときは全力で読みます。
読んでほしいという期待にできるだけ応えたいから。限界があったり期待の方向がずれたりすることもありますが、自分にやれることは尽くすようにしています。
7. 人生を垣間見る
noteに書かれていることが真実であるならば、それは世界のどこかで誰かの人生に起こっていることです。まったく見ず知らずの人の人生について、自分から読みに行きさえすれば、自由に知ることができます。
この世にはたくさんの人がいて、たくさんの人生があります。その一部を垣間見ることができるのは、本当はおもしろいです。
8. コミュニケーションする
読むことは挨拶のようなものだと思います。はじめての人に対して、「こんにちは。」「お邪魔します。」、そんなやりとりのようです。
そこからどんな会話が生まれるかはわからないけど、挨拶をしたくなってしまう人がいて、思わず声をかけてしまいます。
記事をシェアしたりDMしたりするのはそんな感じ。読むことは、コミュニケーションにつながっています。
9. 感受性を問われる
同じ文章を読んでも人によって感じることはまったく異なります。「読むこと」は、自分が何を感じるのかを問われる体験です。
よい文章を読んだとき、感動したい。
悲しい文章を読んだとき、悲しみたい。
悲しい文章を読んだとき、楽しみたい。
実は文章を読んでいる人が、文章に読まれているのかもしれません。背筋を伸ばして、丁寧に読んでいきたいです。
10. 夢を見させてもらう
自分が「こうなれたらいいなぁ」と思うことが書かれていることがあります。あるいは「こうあってほしいなぁ」という願いが書かれていることがあります。
読んでいる間の数分間、この世ではない場所の連れて行ってもらっていると感じます。
書いた人の想いと文章を感じながら、自分がなりたかったものになる。そんな体験が読むことにはあります。
あとがき
前編と中編でつらつらと考えてきて、自分なりにまとめられそうなので、後半ではまとめていきたいと思います。
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(1/5追記)後編を書きました。
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TOP写真は、尾道のみなはし亭での一枚。また行きたい。
Twitterでも色々考えてます。
最後まで読んでいただきありがとうございます。