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「シンプルに生きてるよね」と言われて感じてしまうこと

どうしようもない気持ちのときがあります。

せつなくて、火照った体を冷ましたくて、夜風に当たりながら思わず視界が滲んでしまうとき。

「人と人とはわかり合えない」ということは頭ではわかっているけど、いざ近くでわかり合えていないことを目にすると、「そうだよなぁ、難しいよなぁ」ということを、まじまじと感じてしまいます。

同じ時間を過ごして、同じことに向き合っていても、人と人との間にある果てしない距離を感じてしまい、さびしくなります。


別に知っているんです。
わかり合えないということは。

ただ、夢を見てしまうのです。


自分が言わないことを相手から言われる複雑さ

自分が大切にしていて、相手には言わないようにしていることをいざ相手から言われると、なかなか心にくるものがあります。

誰も悪くないし、むしろ過敏に反応してしまう自分が悪いくらいなので、まだまだ修行が足りないなぁと思います。とともに、このもやもやを抱えることが、どうしようもなく自分なんだろうなぁとも思います。

こういうことがあると、基本的には自分が打たれ弱い性格であることを改めて思い出します。負荷には強いのですが、その実、心の奥で傷を負いがちです。

いつもがんばりがちなので、知らず知らずにたまっている疲労や傷を癒してあげるために、普段から無意識的に自分をスムーズに進めてあげられる工夫をしておくことが大切になります。たとえそれが人から見えなくて、シンプルだと捉えられても、それはそれでしかたがないことだと思います。

ただ、自分の目の前にいる人も隣にある人も、人知れずがんばっているかもしれない。だれにも言わない苦労があるかもしれない。その想像力は大切にしたいと、思わずにはいられないのです。


当然わかっているんです。
わかり合えないということは。

ただ、諦め切れないのです。


ひとと自分の気持ちの向き合う時間の尊さ

noteを書くことは、自分の気持ちを整理する上でとても大切です。日々忙しく生きる中で、取り残してしまいそうな自分の気持ちを、丁寧にすくい上げる時間になっています。大きく動きながら気持ちにも丁寧に寄り添う、両方やりたいのです。大変だけど。

人の気持ちを数字にしたり誰かと比較する感覚は、少し前に自分の奥にしまってしまいました。自分の気持ちがなくなってしまったり誰にもわかってもらえそうな深い悲しみを感じたりして、人の主観を感じとれるのは本人のみだと痛感したからです。

その人をその人としてみることを大切にしていると、人を人として見れなくなりそうなときに、怖さを感じてしまいます。

ただ確かに、誰しも知らず知らずのうちに、自分と誰かを比較して善悪を主観的に判断していることがあります。そういうことを見ると、悲しくなるし寂しくなります。

そうしたもやもやを感じたとき、色々書いたり色々考えたりするのだけど、全然わからないことばかりです。だけど、だからこそ、考え続けるのだろうし、応え続けるのだろうし、書き続けるだと思うのです。


選択肢のようなものが溢れる社会の煩雑さ

答えのようなものが溢れ、選択肢のようなものが溢れ、急がなければいけないような感じるいまの社会の中で、考え続けて応え続けて表現し続けることが大切なのかもしれません。

がんばり続けるということはとても過酷なので、ときには不健全に、ときにはわがままに、過ごすようにしていきたいです。

仲間の存在も大切だと思います。もやもやしていることを察して、わざわざDMをくれたり心配してくれたり。違和感を感じたとき、それを表明できることが長い時間を一緒に過ごしていく上では大事なのかもしれません。

周りに合わせることをよしとしない自分は、けっこうめんどくさい奴なんだろうなぁと思いつつ、それはそれで仕方がないとも思っています。こんな自分で付き合ってくれている周りの人に改めて感謝の念が湧いてきます。

心の奥に自分なりの弱さを抱えて、ただそれはあまり表には出さない。元気な一面を見せがちなんだけど、繊細で臆病で、すぐもやもやしてしまう。自己矛盾に苦しみがちです。

自己矛盾したままではつらすぎて生きられないから、つどつど考えうる最適解を出しながら、その様がシンプルなように受け取られることもあるのだなぁと感じました。


自分だけではわかりません。
わかり合えるということが。

だから、問いに応え続けるしかないのです。


まとまらない日があってもいい

間違えることもある。忘れてしまうこともある。おごることなく、自分が不完全であることをよくよく自覚して受け入れていきたいです。

今回は本当にまとまりのない文章になってしまいました。まぁ、こんな日があってもいいのかなと思います。

どうしようもない気持ちのとき、あるよね。


最後まで読んでいただきありがとうございます。