「正しさ」について、やめること
「正しさ」という言葉を聞くと、もやもやする。
ぼくはそれが正しいと思う。
あなたの意見は正しい。
人にはそれぞれ正しさがある。
自分で話しているときですら、少しだけ違和感を感じてしまう。
人はなぜ正しさを求めてしまうのか。
考えてみたけど、その答えがよくわからなかったから、まず「やめること」を決めてみた。
1. 正しさを探すのをやめる
それは自分の外側にはないから。自分の正しさを決めることができるのは、自分であってほしい。自分の意志に反しながら誰かに決められた人生を歩きたくないから。
とても魅力的な正しさが身の回りにあり、一時的にそれを信じていたとしても、いつかは卒業することになる。自分はその人ではないから。
正しさは探すものではなく、自分の中に見出すものだ。
2. 正しさを怖がるのをやめる
それは自分を傷つけるものではないから。仮に傷つけられたと感じる正しさがあるとしたら、「自分がなぜ傷ついたと感じたか」を省みるようにしたい。
人の気持ちはとても複雑なので、一瞬の気持ちの中にも色々な感情が混ざっていて、割合なのか濃度なのか、人それぞれの尺度で測ることができる。
自分を測ることができる尺度を持ちたい。
3. 正しさに依存するのをやめる
一つの正しさを信じていれば安心な時代は終わってしまったから。テクノロジーの発達に伴い、世界の中にある多様な正しさを知ることができるようになったり、自分の正しさが変化するような劇的な体験を経験しやすくなったりしている。
変化が目に見えるようになった今、自分が信じているものを自覚した上で、そのときの状況や環境に応じた表現をしていきたい。
正しさは、ツールであり、悪にも正義にもなる
あるロジックにおける正しさは確かに存在するけど、それは善悪を決めるものではなく、人の認識を揃えるツールとして活用されるためのものだ。正しさに共感できなくても悪ではないし、正しさがわかっているからと言って正義でもない。
正しさに振り回されるのではなく、正しさを活用したい。
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TOP写真は、ひらやまの後ろ姿。
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