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6月2日(日)

クラフトビールが美味しいことに気づいて、日々こつこつ飲んだことない商品を飲む。ただアルコール度数が高いので酔う。この文章も酔いながら書いている。


強さとか弱さとかの尺度で、人を評価する習慣がこの世から消え去ればいいのに。本当にどうでもいい。すべての強さと弱さから解放されたい。そもそもあらゆる尺度においても、きちんと他人を評価できることなどない。せめてできるとしたら自分についてのみだろう。

強さも弱さも人に含まれる要素の一つでしかない。強い人も弱い人も世界のどこにもいない。誰もが強い人であり弱い人であり、そのどちらでもない人である。

個人的には、誰の強さにも弱さにも特別な注視を向けたいと感じない。それらはその人の一部以上の役割を持たず、風や水のようにごく自然に存在するものとしての佇まいを持つものだから。ときたまそれらが美しく輝く時にはうっとりと目を奪われてしまっている。


何がどうなってもお互いがお互いでいられるような人なら信頼できるが、どちらかが、あるいはお互いがお互いに寄りかかってしまうような関係が苦手だ。誰かがいなくても自分は楽しく人生を送りたいと願い、自分がいてもいなくても楽しそうに人生を送る人がいるといいとも願う。誰かのために生きることは、自分にはできそうにない。今の自分が面白いことを諦めず、大切だと思う価値観を守りつつ生きることで精一杯だ。


自分の書く一文が、自分が話す一言が、これまでで最も美しくあれているか、は気にしておきたいな。むしろそれだけでもいいくらいだ。


おざぶ雑談企画に応募してくれた、あらましさんと雑談した日のことが日記に書かれていた。

一読者だったあらましさんの日記に自分と話したシーンが書かれることは、とても不思議だった。 あらましさんの本、おざぶに置く予定なので、銭湯すぐ上のおざぶで読んでもらえたらいい。


今週のおざぶは、タコパしたりバルしたり、よく稼働していた。

たこ焼き、おいしかったな。規定の分量よりも薄めで生地をつくり、水の代わりに出汁を入れるとおいしくなるらしい。またやりたい。


クソほどきつくて苦しい人生の中であえて生の喜びを高らかに詠みあげるのは、とてもかっこいい。美しい一瞬を結晶化したものが、誰かの一瞬を支えるなら、人はきっと生きていくことができる。その大きな流れのうちの一つになれたら十分なのだろう。

どれだけ暗くても、どれだけ弱っていても、一瞬を生きることへの期待はなくさない。その気持ちは、死への渇望とも共存する。死は常に選択肢として存在している、それを外すことはできない。自由に生きることと、死ぬことは常に隣接している。


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ひらやま
最後まで読んでいただきありがとうございます。