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世界の片隅で「光る君へ」愛を叫ぶ ①
「大河ドラマは、戦国・幕末ものじゃないと食指が動かない。戦のない平安なんて、ゆるい時代でしょ?」
「紫式部と藤原道長がソウルメイト? ありえねぇー」
「平安時代のことは、よく知らない。藤原ばっかりでわけがわからん」
「大石静脚本? 大河を金曜10時の恋愛ものにする気かよ」
「このキャスティング、自分好みじゃないないなぁ」…… etc.
大河ドラマ・ファンを自認しつつも、上記のような理由で端から「光る君へ」を見ていなかった人たちに、私は強く言いたい。
「それは、もったいないことをしましたねぇ。大河史上に燦然と輝く、それこそ『光る』作品だったのに!」
もし異論を唱えるなら、まずは年末の総集編を見てからにしてくれ、と。
『傑作』という言い方は、あえてしません。「え、こうなっちゃうの?」と感じるような「傷」もないではないから。でも、その「傷」も含めて心から愛おしい作品でした。まひろも、そんなことを言ってたなぁ。
これまで私は多くの大河ドラマに触れてきたけれど、その中でも「光る君へ」は特別(ベスト1とか、五指に数えられるとか、そういう表現は過去作品との比較になるからしたくないです)な作品。試写を含めた(物理的な)視聴時間は、間違いなくナンバー1になりました。それこそ、かつて自分が担当し、毎週記事を書いていた作品(それはそれで、特別なもの)よりも多く見ていたと思います。
例えば、「光る君へ」が放送される日曜日の私のルーティンは。
1⃣ お昼のBSP4K放送をリアタイ視聴。(純粋に作品に集中するために、部屋を真っ暗にして、文字放送・副音声解説もOFFにしていました。当然4K録画)
2⃣ 夕方のBS放送を字幕・副音声解説をONにして、「X」の実況が流れるPCを横目で見ながら視聴。(昼の4K録画に、ノイズやテロップが出たときの備えとして、BSP4K再放送も録画)
3⃣ 夜は「平安クラスタ」と呼ばれる方々の解説をPCに複数表示させて総合テレビの本放送を楽しむ。
4⃣ 放送後に「#光る君絵」のイラストをポチポチと保存。印象に残るシーンがあれば、録画を見直す。
5⃣ 場合によっては、土曜日の再放送も視聴。(本放送から、微修正が入ることもあるし)
いや、これほどのめり込むとは、自分でも思っていませんでした。しかも、仕事として立ち合えたことのは何よりも幸せなことで。
最初はね、仕事じゃなきゃよかったのに、とも思ったんですよ。だとしたら、全力で「愛」を叫べるのに! 熱狂しつつ自分の思い通りの文章が書けるのに! と。ただ、その先には、深い沼にハマってしまって「光る君へ」ロスから立ち直れなかったであろうことも確実。仕事だったからこそ冷静な気持ちでいることができて、今は次の大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」を楽しみに待っていられるのかもしれない、とも思っています。
正直に書くと、ね。初回あたりは、そこまで前のめりで見ていたわけじゃなかったんですよ。
「おもしろいし、テンポよく進むし、飽きずに見ていられそうだな」とか「えりぃ(国仲涼子さん)はこれで退場なのか。贅沢な起用の仕方だな」とか、わりと冷静に見られていて。それが五節の舞から寛和の変にかけて物語にグングン引き込まれていき、直秀の死で完全に心を持っていかれました。語り草になっている六条の廃邸での、吉高由里子さんと柄本佑さんの芝居の説得力も凄まじかったし。それに重ねて、あの『枕草子』爆誕ですよ! こうなってくると、もうズブズブと沼に落ちていくしかないわけで。
それでも、越前編あたりでパワーが落ちるのでは?という危惧もしていたんですよね。だって、物語序盤のラスボスとも言えるほど存在感を見せた兼家は退場済みだし、まひろと道長は完全にお別れしているし、史実として結婚する相手は宣孝さんだよね? とわかっていたし。でも、その場面その場面で、まひろの行動に「当然、そうなるよね」と思わせてしまう脚本の巧みさと、それを体現する吉高さんの「まひろとしての佇まい」ときたら! それだけで物語を引っ張っていくんだもの。それこそ「刀伊の入寇」だって描かれだろうなとは思っていたけれど、それをまひろが目撃することになるなんて、最初に聞いたときは「なんたる主役補正!」と思ったけれど、見終わったら違和感はなかったし。本当にすごいなと驚きました。
(続きは、また明日)
*冒頭画像は、「かな文字からみる 光る君へ の世界」特別イベントで展示されていた、根本知先生による「光る君へ」題字です。
(撮影・SNS掲載OKの確認済)