第7回/2022年振り返り

2022年が終わる。
フットボール界ではやはりカタールW杯が一大イベントであった。
一方で例年のように各リーグや各国代表の試合でも印象深い試合があった。
今回は個人的に印象に残った2試合を紹介・振り返りをすることで
2022年を締めくくりたいと思う。

①カタールW杯 ヨーロッパ予選プレーオフ第2ラウンド(パスC)
イタリア対北マケドニア

試合終了時になんとも言えない感情が沸いた試合であった。

前回2018年、W杯の出場を60年ぶりに逃したイタリア代表。
当時どん底に沈んでいたチームはロベルト・マンチーニの代表監督就任とともに復調の兆しを見せる。
EURO2020を見事優勝し、「次のW杯でどこまで行けるか」と期待を抱かせるチームとなっていた。

しかしながら、その旅路はあっさりと終焉した。
ヨーロッパ予選プレーオフ第2ラウンド(パスC)、
北マケドニアと対戦したイタリア代表は、次のラウンドに進むことなく
W杯に別れを告げた。

この試合にはいろんな要素が含まれていた。
①2大会連続予選敗退は許されないプレッシャーのかかるイタリア代表。
②開催地がパレルモの本拠地、レンツォ・バルベーラ。
 元パレルモ会長のマイリツィオ・ザンパリーニが本年2月に逝去しており
 一種の追悼試合の様相を呈していた。
③北マケドニアにはゴラン・パンデフ(この試合は出場していなかったが)、アレクサンデル・トライコフスキ(元パレルモ)、エルフ・エルマス(ナポリ)などイタリアになじみのある選手が多かった。

といった、フラグのようなものは立っていたものの(あくまで結果論だが、今となってはすべてが伏線になっていたように見えてしまう)、
北マケドニアには大変失礼ながら戦力差は大きく、イタリア優勢は揺るぎないと思われた。
実際に試合が始まってからもその印象は変わらず、
イタリアの強さ、あるいは北マケドニアの技術的なマズさがあり
勝負は時間の問題のように思われた。

最終的なスタッツ。イタリアは32本のシュートを浴びせるも、1つのゴールを奪うことができなかった。
https://www.transfermarkt.jp/%E3%82%A4%E3%82%BF%E3%83%AA%E3%82%A2_%E5%8C%97%E3%83%9E%E3%82%B1%E3%83%89%E3%83%8B%E3%82%A2/statistik/spielbericht/3704057

しかしながらゴールを奪えないまま前半が終了。
すると次第に北マケドニアの集中力が高まっていく。
徐々に焦りが見えるイタリアは
攻め続けるものの、それでも得点が奪えない。
そして91分、ドラマが起こる。
北マケドニアGKストレ・ディミトリエフスキのキックを
途中出場のボヤン・ミオフスキーがヘディングで反らす。
そこに走りこんだトライコフスキーが迷いなく右足で振りぬいたボールは
延長戦を見越して投入されたジョルジョ・キエッリーニの背中を掠め
文字通り矢のようにゴール右隅に吸い込まれた。
1-0。
試合終了のホイッスルがなるのは4分後であった。

ブーイングと怒号がやまないレンツォ・バルベーラの雰囲気が今でも忘れられない。
そして
「ヨーロッパ王者が姿を消しました。北マケドニア、大金星です。」
という同試合実況担当の北川義隆氏の実況が耳に残っている。

「前回敗れたプレーオフのスウェーデン戦の方がまだ決定機作れてたじゃん。」
「前回プレーオフで敗れた経験を持つチーロ・インモービレやアレッサンドロ・フロレンツィたちをW杯に出してあげたかった。」
「失点シーンのジョルジーニョ、ハンドアピールするんじゃなくて最後まで走れよ」
「パレルモにいたトライコフスキが元本拠地で決勝点って。しかも決めた瞬間のチームの雰囲気、最高じゃん。監督もガッツポーズして走り回って、一体感が素敵すぎる」

トライコフスキのゴールシーン直後の選手の様子。
出場選手・ベンチ選手・スタッフの一体感が素晴らしかった。
https://news.goo.ne.jp/picture/sports/ultrasoccer-415482.html


イタリアを応援しつつも、次第に北マケドニアが好きになり、
試合終了時には北マケドニアファンになってしまったという起伏の激しい試合だった。
終了のホイッスルを聞いた瞬間上記の感情が入り混じった謎の涙が流れてしまい、個人的にとても印象に残る試合であった。


②プレミアリーグ 21-22シーズン 第29節 ウェスト・ハムVSアストン・ヴィラ

アンドリー・ヤルモレンコが主役にならなければならない、そして見事に主役になった試合であった。


個人的な印象ではヤルモレンコはウェスト・ハム加入後インパクトを残せていなかった。
ケガの期間が長くプレー時間が少なかったし、
何より彼のプレースタイル~独特の間合いのドリブルやボールの捏ね方~がハマーズの志向するスタイルに合っていなかったように見えた。

離脱期間が多く、出場機会が少ない彼に、更なる不運が待ち受ける。
母国ウクライナの戦争である。
クラブから休暇を与えられ、また自身もプレーできる精神状態でなかった彼はしばらくプレーを諦める。
そしてようやく復帰したのがこの試合であった。

この試合の52分、ミハイル・アントニオに代わってピッチに登場する。
すると、本拠地ロンドン・スタジアムの大観衆から大歓声が沸き上がる。
そして70分、クレイグ・ドーソンの素晴らしいサイドチェンジが
サイード・ベンラハマへ渡る。
ベンラハマは相手のタイミングを外してクロスを上げると、中にはヤルモンレンコ。
やや厳しい球かつ利き足と逆足の右足でトラップしたためか、
ワントラップ目はやや弾む。
しかし弾んだボールをすかさず左足で振り抜くと
タイミングを外す形になったシュートは
アストン・ヴィラGKエミリアーノ・マルティネスの手を掠めゴールに吸い込まれた。
大きな想いと、トラップからシュートまでの速さが素晴らしい技術がこもったゴールであった。

ゴール直後すべてのチームメートから祝福を受けたヤルモレンコ。
技術と魂のこもったゴールであった。
https://www.soccerdigestweb.com/photo/id=106671&page=1&no=01

ロンドン・スタジアムは割れんばかりの大歓声に包まれる。
その雰囲気もあったのだろうか。
ヤルモレンコは試合中にも関わらず、涙をこらえることができず号泣していた。
その後もゴールに迫ったヤルモレンコ。
試合は2-1でウェスト・ハムが勝利。
勝利に大きく貢献したヤルモレンコは
「母国の状況を考えると、今日起こったことはとても感情的なもの。僕の故郷では毎日、ロシア軍がウクライナの人々を殺しているから、今はサッカーについて考えることがとても難しい」
「正直なところ、何を言っていいのかわからないくらい、感動的だった。毎日、僕を支えてくれるチームメイトに『ありがとう』と言いたい。そして、ウェストハムのファンにもそう言いたい。彼らは僕をサポートし、ウクライナの人々をサポートしてくれるから」
とコメント(https://www.soccer-king.jp/news/world/eng/20220314/1629819.html)。
サポーターからも試合後も大きな声援が送られていた。

政治とスポーツは別物。
ただし、人間である以上どうしても観ていて個人の感情が入ってしまう。
この日、ヤルモレンコに主役になってほしかった。
そして彼はそれに応えた。
その強さに心打たれた。
シーズン終了後、彼は移籍してしまったが
このゴールはいつまでもハマーズファンに語り継がれるであろう。


他にも様々な思い出深い試合がある。
しかしながらすべてを振り返るのは困難なので、今回はこの辺で。
とにかく「2023年もフットボールで心躍る1年」になることを願ってやまない。

そして何より今年から「note」を始めたわけだが
読んでいただいた皆様に感謝申し上げます。
まだまだ拙い部分が多々ありますが
来年も極力頑張って投稿を続けていきたいと考えておりますので
2023年も宜しくお願い致します。







この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?