相手に伝わらない悲しみ3
おぐちと連絡をとり、車で元町のマンションへ 向かったが、おぐちが豊の顔を見れないと言い、 1人でマンションへ入った。
雅子が横になっている姿を見て、言葉を失いました。 悲しみが込み上げその場で泣き崩れました。 涙が止まりませんでした。
あの時2人で何処かに行っていれば、とか後悔しました。 辛い思いをさせただけで助ける事が出来なくてごめんなさい。
私が雅子と一緒に過ごした時間は、長くは ありませんでしたが、それでも沢山の思い出が あります。
4人でディスコに行った時、雅子の踊りが子供の 引き付けの様で可愛かった事
雅子が風邪を引いて、ケーキを買ってお見舞いに行ったけど、移るとダメだと入れてもらえず玄関に置いて帰った事
一回生の時、修学旅行に行かず、2人で城崎温泉へ 行って、お土産でバレて姉のヒロちゃんに 怒られた事
濡れたハンカチをトイレのジェットタオルで乾かして いたちょっとおとぼけな所などが思い出します。
当時、雅子と兵庫短期大学時の友人赤井さんが語ってくれました。
大学生と付き合っている間も、「カズ君の方が優しい」 とか、「本当に好きなのはカズ君」などと呟いていた と聞かされた時は、もっとこうして置けば良かったとの 思いが拭い切れず、悲しくなります。
交際し、休学、登校すると、学校の友達に知られて、補習のノートを 貸してもらえなかった事。(これが家出時のノート発言) こんな事が重なり、悩みを抱え誰にも打ち明けられず切羽詰まった挙げ句、自ら命を絶ったものだと 思います。
当時私も若いので、
「なんで死ぬねん、1人で死んでどうする、雅子絶対許さん 心が弱いから生きられなかったんだ」と自分に言い聞か せて生きて来ました。
雅子は、初めて真剣に思った彼女だったし、大好きで ずっと隣に居てほしいと思っていました。
あれから、私も人の親になり、年も重ね、心身共に自由にならない事も多くなって来ました。
毎回突然訪れて無礼な事も多々あった事と思います、ごめんなさい。
今日、雅子には、「どうしてますか?43年待って居ますが、 一度も会いに来んな、もう諦めたるわ」と文句言って帰ります。
お母さんの抱えて来た苦労は、私には、計り知れませんが、 頭が下がる苦労があったのだろうと想像できる年齢になりました。どうかお元気でこれからは姉の ヒロちゃんの支えになってあげて下さい。
雅子、本当にありがとう。
令和6年5月27日