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現在までの道のり②~大学受験再挑戦、浪人生編~


挨拶

こんばんは。
前回の投稿からかなり時間が経ってしまいました…

研究等で忙しかった、っていう言い訳は置いておいて、不定期とは言え、もう少しテンポ良く書いていけるように精進します…笑

今回は、前回の記事(現在までの道のり①~一度目の大学受験まで編~|K2(精神ギリギリ大学院生日記) (note.com)
で予告した通り、浪人生時代のことを書いていきます。

大学受験再挑戦、浪人生編

浪人生の始まり

 高3の大学受験、浪人覚悟で受験した第一志望の大学は、見事なまでに散ってしまい、他の大学には進学せず、国公立大の後期入試も受験しませんでした。

 どうしてもその第一志望の大学に行きたい気持ちが強く、両親にも応援してもらい、高校の卒業式を待たずして、3月中旬から予備校(高3時もたまに行っていた所)の浪人生のコースに通い始めました。

 一次試験(当時はセンター試験でしたね)、二次試験(実技)ともに合格ラインからは遠かったため、これからの道のりが険しいものであることは自分自身でも覚悟の上での進学?でした。

 高校の卒業式の日、陸上部内で同じく浪人生となることなったメンバーで受験再挑戦を熱く?誓いあったことを思い出します笑

劣等感→充実した日々

 浪人生というのはあくまでも肩書であって、実質無職という身分。自分が浪人することになるとは思っていませんでした。

 当初は、この身分に劣等感を持っていましたが、予備校の同期(もちろんみんな浪人生)は明るい人たちばかりで、かつ、受験再挑戦という同じ目標を掲げていたので、とても楽しく、充実した日々を過ごすことができました。

 予備校までの通学は、実家から1時間弱、電車を乗り継いで行きました。これまで徒歩通学、自転車通学であったため、新鮮な気持ちでした。

 大阪駅での乗り換えも含まれており、通勤ラッシュに巻き込まれながら、おしくらまんじゅうの車内で単語帳を開きながら通う日々でした。

予備校での生活

 予備校には、ほぼ毎日、開校する時間(9時)から閉校する時間(21時)までの12時間、すべての時間滞在していました。

 通っていた予備校は特殊であり、通常の国語や数学、英語などの座学ももちろんありましたが、実技の授業もあり、予備校近くの陸上競技場や体育館に行く時間もありました。

 授業時間以外は空き教室で自習することができ、一人で黙々と問題集を解いたり、誰かと教え合うなどしていました。

 学力レベルや志望校別にクラス分けがされるのですが、毎月1回行われるテストでクラス移動があるというサバイバル形式?でした。

 受験受験受験ってだけの日々ではなく、実技帰りにみんなでアイスを食べながら予備校に戻ったり、何人かの友人が生活をしていた寮にあつまりタコパ?お好み焼き?(記憶が不確か笑)をしたり、楽しいこともしていました。

 また特に理由はありませんでしたが、ルーティン的な感じで、毎日欠かさずあんぱんを食べていました笑(未だに意味が分かりません笑)

 昼食はありがたいことに、高校時から引き続き、母が弁当を作ってくれました。
(経済的支援やその他様々なことから、本当に両親には感謝してもしきれず、頭が上がりません。ありがとう。)

着実な成長

 浪人生あるあるだと思うのですが、夏までの模試はまだ現役生(高3)がまだ本気を出していない(出している人が秋冬と比較して少ない)ため、自分の実力以上に高い判定が出ます。

 判定が高く出てしまうことは分かっていたため、その結果にぬか喜びしないように気を付けました本当は少し嬉しかった笑)。

 1度目のセンター試験では6割半ばほどであったため、まずは各科目、基礎を徹底することにしました。

 問題を色々解くよりも、参考書や高校時代の教科書を最初から、じっくり読んでいきました。

 さらに社会科目を、もともと地理B受験だったのを、これまで一度も勉強したことがない倫理にすることにしました。(受験予定の大学は倫理政経でなくても大丈夫でした)
 地理は苦手意識が中々ぬぐえず、「いっそのことやったことないのやろ!」ということでの判断でした。

 基礎固めを夏までに終わらせ、そこからはとにかく問題を解き、各科目で
・苦手な分野をあぶり出し、それを潰す。
・得意な分野は、より確実に、早く解けるようにする。

ように頑張りました。

 こうして、二度目のセンター試験までの各模試で成績を漸増させていくことができました。

 二次の実技試験対策は、予備校の授業時間に加え、勉強の合間を見て自主練していました。

 勉強の良い息抜きにもなりつつ、運動能力も着実に向上していきました。

センター試験再挑戦

 一度目よりもしっかり準備できていたため、自信を持って、会場に向かうことができました。

 とはいえ、二浪目は無いと決めていたため、あとがないことによる緊張はありました。

 体調を崩す、受験票を忘れるなどのトラブルもなく、無事に2日間戦いきることができました。

 ほっとはしましたが、すぐに二次試験に向けて気持ちを切り替えつつ、会場から帰宅後、各予備校が出す解答速報で自己採点を行いました。緊張の瞬間です。

 最初に国語から行いました。英語と同様、200点満点で非常に重要な科目でしたが、苦手意識は最後までぬぐえませんでした。

 自己採点の結果は…

100点ちょっと(約5割)

絶望からしばらく無の時間がしばらく流れたことを覚えています笑

 なんとか切り替え、他の科目の自己採点に移りました。

 英語(リスニング含む)が約8割、理科基礎、倫理、数学ⅠAでは9割超えでした!
国語が・・・でしたが、他科目ではこの1年間の成果を発揮することができました。

 結果、受験する大学の必要とする科目での総得点は、約8割となりました。
アドバンテージに!とはならず、むしろ受験者の平均か少し上程度で、二次の実技試験に不安があった僕にとっては、あまりいい点数とは言えませんでした。

二次試験(実技)も再挑戦

 昨年度と比較すれば、1年間の鍛錬の結果、運動能力ももちろんレベルアップしていました。

 二次試験本番でも、1度目の挑戦時よりも高得点が取れたであろうという出来だったと思います。

 センター試験でのアドが無いため、正直厳しいかな…という気持ちは拭えなかったものの、すべてを終えた後は少し晴れ晴れしい気持ちでした。

努力は必ず”思った通りに”報われるわけではない

 不安は的中してしまい、二年連続で第一志望の大学には不合格となってしまいました…

 晴れ晴れしいとはいったものの、「努力してきた日々が砕け散ってしまった」、「自分とは違い合格した同期が羨ましい」という感情がぐるぐるし、苦しくなりました。

 滑り止めでいくつか私立大学は合格していましたが、念のためで申し込んでいた地方国立大の後期入試も受験しました。

 センター試験の得点のおかげで、その地方国立大には合格するこができました。
 結局、
・国立大・スポーツ科学も一応学べるかな?・後期とは言え二次試験もそこまで厳しくない
という理由で受験した大学に進学することとなりました。

まとめ

 残念ながら、二度も第一志望大学に跳ね返されてしまった僕。

 ひとつ前の小見出しにある通り、
「努力は必ず報われる、ということではないこと」
「努力は努力でも正しいやり方を選択する必要があること」
「別の成功に繋がる努力である経験かもしれないこと」

を学ぶことができました。

 あとはシンプルに、人生の中でここまで必死に頑張ることのできた日々というのは貴重だったなと感じています。

 次回は、大学生編となります。

 あまり期間が開きすぎないように気を付けます(とはいえ、修論研究第一なので、何とも言えませんが…笑)

それでは!

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