バリアフリーって

どうもKです。

ここのところ年度末でバタバタ。
娘も特別支援学校の一年生になったのでその準備も。
毎日があっという間に過ぎていきます。

先日、娘の入学式に行ってきました。
新しいお友達に囲まれ、
ニコニコの娘を見て幸せな気持ちに。
大きくなったなぁ~。
昔は笑う事も出来なかったのに。
笑えるようになったと思えるだけで幸せ。

昨日からバスで登校が始まり。
お母さんがまだ付き添ってはいますが父はとっても心配です・・・。

先日からTwitterに、障害者の「差別解消法」や「人権」
、社会のありかたなどなど難しいツイートを目にします。
きっかけはある障害者さんのコラムからでしたが、
とっても反響があったようで、
昨日もネット記事で上がってきました。

私もこのコラムが書かれた当初読ませて頂きましたが、
最初に読んだ時の感想は、
大変だったろうなぁ~、
駅側はもっと分かりやすくして欲しいよな~
(いつも娘と使って感じるから)
でも行く側は調べたり前もって連絡しないと、
結局辛い思いしちゃうんだよなぁ~
(嫌な対応される事ってよくあるし)
程度の感想でした。

でもTwitterを見ていると、
(法律違反だ!人権侵害だ!)
とか
(障害者は優遇されているのに騒ぎすぎだ)
(障害者ってめんどくさい)
などなど、
なんだか話がえらい事になってる"(-""-)"

正直、私のような頭の悪い人間は
「法律」だとか「人権」なんて難しい話はできなくて。
正直、障害児の父親なのに始めて知ることまで( ゚Д゚)

ただ、
私は思うんです。

障害あるなし関係なく、
100%守られてる法律や人権てほとんどなくない?って事。
受け取り方でみんな変わっちゃうし。
やり方は使う側にゆだねられてて。
障害があるとかないとか関係なく、
法律で守り切れてない事なんていっぱいあるのが現実では?
「人は殺しちゃいけません」
「人は騙しちゃいけません」
そう言ったってやる人はやる。
ちょっと違うかもしれないけど100%の改善は無理。
人権とか法律とかって結局違う意見が出てきてもめる気がしちゃう。

それが私の気持ちです。

バリアフリーとか障害者の生活環境って、
結局周りから見たら、
「困っていたら助けましょう。」
「困らないように改善、整備してあげましょう」
侵害しちゃいけませんとか、
侵害してるなんて思ってないわけで、
世の中的には結局手伝ってるっていう図式なんです。

正直日々生活してて、
人権とか法律なんて気にしてないと思うんですよね。
あたりまえの事だから。
あたりまえのことが出来ない相手が、
目の前で手伝ってくれって言うから、
その人にしたら追加業務が発生してる。
だから余裕が無ければやってられないよって感じなんでしょうね。
言い方汚いですし腹立ちますけど。

今の世の中にはたぶん余裕がない。
毎日のニュースを見ていてもそう。
今の世の中、法律で定められてても私たち障害のある人たちを、
助けてくれるとはまったく思えない。
悲しいけどそれが現実なんだろうなって。
人権侵害すんな~っていっても、
俺達だって困ってんだ~ってなりそう・・・。
てかなってる。

たぶん、今の日本て障害あるなし関係なく困ってる人はたくさんいて、
明日に希望が持てない人はたくさんいるんだろうなって。
だから自殺する人も増えてるし・・・。
自分も鬱病で明日に希望が持てない時があったから思うんです。
困ってる人は困ってる。
あなたにとって大したことなくても、
私にとっては大変、みたいな感じ。
誰だって自分が大事で価値観が違う。

だからSNSって炎上するんだろうなって思うし。
人権とか法律とか考えながら生きてる人がどれだけいるんだろう?
みんな自分の生活で必死でしょ?
自分の人権守ってよって感じじゃないのかな?

って事はバリアフリーなんて無理じゃない( ゚Д゚)

だから僕はどちらかというと・・・
僕が障害児の父親だからかもしれないけど・・・
入学式に最近出たからかもしれないけど・・・



障害を持った子供たちがいるんだって思っていて欲しい。
忘れないで欲しい。

なんとなく、車いすじゃ使えません、行けません、
無理ですってだけだと、
この子たちの事知らないのかな?
この子たちは使えないでいいって思われたのかなってなる。
使わない子たちって除外されたのかなって。

この子たちは何も悪いことしてない。
誰も望んで障害をおったんじゃない。
優遇して欲しくて、助けてもらえるから障害を追ったんじゃない。
何もしてないのに、
普通に出来る事、
あたりまえのことがあたりまえに出来なくなってしまった。
歩く事、走る事、食べる事、しゃべる事、
望んで障害を追った子なんて一人もいない。

なのに、この子たちは除外されちゃうんです。
忘れられちゃうんです。
一生懸命生きているのに、
使えないなら使わないでねって言われちゃうんです。

僕は思うんです。
バリアフリーって、
そういう子供たちがいるって知る事、
考えてもらう事、
忘れないでいてもらう、
それだけでも大きなバリアフリーになっていくと思うんです。

人権とか、法律とか難しい話より、
単純に皆が使うからって中に入れておいて欲しい。

何もエレベーターやスロープを全てにつけてくれとは言わない。

「前もって連絡してね」
とか
「こうしてくれればこんな対応します」
など発信してくれるだけでも違うと思うし。

今までたくさんの人たちが、
人権や法律を話し合い、
作ってくれている、
かなり改善されているし。

嫌な対応する人はいっぱいいる。

それは障害あるなし関係なくある事で、
お互いに余裕が無いから起こる事もたくさん。

だから、もっと具体的にどうしたらいいかを、
沢山話し合うべきだろうし、
そういう場をもっとたくさん作って、
もっと発信して欲しいと思う。
ただ権利を主張するのではなく、
お互いに歩み寄れる方法を一緒に考える場は持てないのだろうか?

そういう場ならどんどん参加したいなって思う。
今できる一番いい方法を一緒に考える。
いっぺんに最高なんてできないのだから。

誰が悪いとか、どっちが悪いとか、
権利だからとか・・・
凄く分かるけど、
もっと具体的な話し合いがしたい・・・。

理想論だし、安易だけど、
お互いが事情を持ってるから、
お互いに話し合える、そんな世の中になればいいなと思う。

正直娘の入学式を見ながら、
この子たちがすこしでもハッピーで楽しい生活が送れるように、
それだけを願い、その為に動いていきたいと思った私なのでした。


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