見出し画像

感想文 映画「きっと、うまくいく」

困っている人に、1ミリのためらいもなく、スッと手を差し伸べられたなら。困っている友達に、1ミリのためらいもなく、全力で手を貸せたなら。どんなに素敵なことだろう。

おごらず、ひがまず、卑屈にならず、周りに流されず、常識に囚われず、好きなこと、正しいことに真っすぐになれたなら、どんなに素晴らしいだろう。

私にはできない。

友達が借金で困っていたとする。お金を貸してほしいと頼まれる。貸すか、断るか。

私だったら断る。

友達には悪いけど、それが自分にとって一番良いと知っている。お金の貸し借りはダメだと教えられてきたから。苦労したくないから。

ランチョーはカッコいい。
ランチョーが人を助けるたびに、友情を優先するたびに、彼らの友情が深まっていく度に、グッときてしまう。

同時に複雑な気分になる。
私にはできないから?少し違うかもしれない。

ランチョーは困っている友達にお金を貸さないだろう。
多分、考えるんだと思う。借金をチャラにする方法、返さなくて良くする方法、返済額を減らす方法。
そして友達に教えてあげるか、自分で実行してしまう。

貸すか断るかの2択ではなくて、第3の方法を考える。それがめちゃくちゃカッコいい。

(しかも工学の知識と技術でもって問題を解決していく。めちゃくちゃカッコいい)

複雑な気分になるのは、自分が今まで、2択でしか考えていなかったからだ。もっと真面目に考えていたら、浮かんだ第3の方法があったかもしれない。誰かの困難の助けになったかもしれない。
無数の可能性が浮かんできて苦しくなる。

私たちには、たくさんの困難がある。社会常識、家族事情、世間で善しとされているもの、金銭的問題、体の問題、地位や名誉にすがる気持ち、その場の流れや空気など。勇気を出せば取り払えるものから、自分ではどうにもならない命を脅かすものまで大小の困難に直面している。

困難に囚われると、ぶつかるか、あきらめるかの2択になってしまいがちだ。

でもよく考えれば、困難の裏には「これさえなくなれば、これができるのに」という「成し遂げたいこと」があるはず。

「成し遂げたいこと」をこの状況でやるには、どうすれば良いか。頭をひねる。
それが第3の方法を考えるということなのだと思う。

私が考えたところで、今後誰かの抱える問題を解決できるかは分からないけれど、考えること自体はできる。もしくは、「困難」から「成し遂げたいこと」にフォーカスを変えてあげることはできるかもしれない。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?